見出し画像

返して、僕らのスーファミ。

市民プールへ、20インチで駆ける。
河川敷の草花は青嵐と共にささくれ立ち、僕たち二人はギヤをあげた。小学生にはちょっとした冒険くらいの距離に市民プールはある。ペダルを漕いで行けば漕いで行くほど、塩素が鼻腔を震わす気がした。

市民プールに行く時は必ず、ブリックの紙パックジュースを一緒に買って、プールサイドで飲み干す。そしてまたプールへ飛び込んで行くのがルーティンだった。けれどその日はなぜだろう。紙パックの両サイドを広げ、畳んだままのパックを彼は体育座りをしながらずっと吸い続けていた。

「ウチの親、リコンしちゃうんだよね」
「……そうなんだ」

水着に母親の字で書かれた名前と3年2組。
僕の腕から伝って滴る塩素水は同情と惑いが混じっていたと思う。
それらはプールサイドのひび割れたゴム製タイルにじんわり染み込み、行く宛をなくして次第に飽和していった。

「どうしたらいいと思う?」
「どうしたらって……一緒にいたいの?」
「そりゃあ、ねえ。」
「ちゃんと一緒にいたいって。言おうよ。伝わるよ、きっと」
「そういうものかね。……なあ、帰ってうちでスーファミやろうぜ」

彼の名前と3年2組はすっかり乾いていた。

***

ゴールテープへ20センチのシューズで駆ける。秋風が運動会を紅葉色に染めていった。見慣れたおばさんに、見知らぬおじさん。彼のお父さんはいつの間にか見知らぬおじさんになっていた。スモークのかかった眼鏡に浅黒い肌。幼いなりに胡散臭さを感じて、僕は遠くから監視するように眺めていた。

29センチで歩く彼の新しいお父さん。見慣れた彼のお母さんはなんだか化粧が濃くなっていた。
大人の事情って、子供の事情でもある。僕は彼のことが気になり表情を確認すると、いつもの彼のような気がして安堵した。

けれどその日、組別対抗リレーでアンカーの彼は、わざと転んだ。

***

下駄箱で22センチの上履きに履き替える。油性ペンで消された古い私。
片方だけひっくり返った上履きをあいつと一緒に蹴飛ばしてみた。

「結婚詐欺だってさ、あいつ。」
「……サギ?」
「帰ったら俺のスーファミとかテレビとか、全部無くなっててさ。」
「最悪だね、そいつ。」
「何がお父さんだよな。」

それから彼はずっとハナマルを獲り続けた。
皆が塾に通い始めても、誰に頼ることなく、ずっと独りでハナマルを獲り続けた。
身長が170センチを超えた頃、なんとなく大人に近づいた僕らは、なんとなく疎遠になる。ちょうどその頃、クラスの担任が地域でトップ校への進学を彼に薦めたという噂を学校の廊下で聞いた。

けれど彼は、下から2番目の学校へ行き、純粋無垢だった彼の妹はビッチになっていった。

***

「なあ、帰ってうちでスーファミやろうぜ。」

最後に彼を見たのは、幹線道路越しからゲーム屋さんでバイトをしている後ろ姿だった。

この記事が参加している募集

この街がすき

読んでいただきありがとうございます! 執筆の励みになりますのでもしよろしければサポーターになってくださると幸いです!!😊