不登校 進学に向けて 子どもと自分を理解するチャンスにしよう
この2年不登校だった三男が4月から中学生になる。
次男の時よりかなり進化していて、三男と見学に行って過ごしやすそうだねと話していた。
三男の不登校は3年生の同級生との関係から。
五月雨登校から3カ月ほど不登校。
その後登校するも、怖さが増えてしまって、この2年間ほぼ不登校の三男。
昨年末に4月から中学の別室に登校し、勉強したいと思っていると言いだした。
在籍校では教室に入るのが難しい子どものための別室を用意している。
昨年秋に見学には行っていたけれど、通わないかなと思っていた。
「ゲームや動画には飽きたけれど、家では勉強する気にならない。ゲームや動画になっちゃう。」
「高校には行きたい。その為に勉強したい。」
突然打ち明けてくれた。
実際に4月から登校できるのか。
私は今回、登校することではなく、その時々に息子が感じていることを息子自身もわかるように対話して、親子で理解していくことを何より大切にしたいなと思っている。
登校する時に何が頭に浮かんでいるのかを自覚する
三兄弟それぞれが不登校になった時に、何が起きて登校できないのかは聞いてきた。
でもそれは最後のきっかけを作っただけで、その前から学校がしんどかったと三兄弟と対話する中で、少しずつわかってきた。
この2年過去を振り返り、何がしんどかったのかを聞いてきた。
評価や否定、アドバイスなく聞くよと何度も伝えて対話してきた。
そこで少しずつ表現できて、わかってきたことが在る。
でもやっぱり時間がたったせいで鮮明ではないなと感じることも在る。
学校に行きたくないと言ったタイミングでそこをじっくり聞ける関わりが出来たら良かったと思う。
でも我が家にはその土台が無かった。
私にその体験もないから、彼らにできなかった。
表面的に求められる期待に応えていないといけないと思い込んできた。
その時自分が何を感じているかを大切にしていたら、そんなことできない。
だから抑圧したり、我慢して頑張ることが必要だった。
何十年もそうやってやってきた。
だから息子たちにもそれを求めてきた。
気持ちを切り替え、やるのだと言ってきたと思う。
だから評価や否定、強制されると息子たちは感じてきたと思う。
そのせいで、彼らがその時どんな世界を見ていたのか、何が浮かんで動けなくなっていたのかを表現できなかったと思うし、私も聞こうと思っていなかった。
「彼らを動けなくさせているものの正体」
それが今も彼らを縛っていると思う。
感じていることや願い、ニーズを聞ける関係性を築くことが大事だった
私は息子たちが自分が感じていることや願っていること、必要としていることを安心して話せる親では無かった。
いつも正しさや良いことを話してきた。
比較的親の言うことを聞きやすい面を持っている息子たち。
一部すごいこだわりがあり、そこは私が譲る形になっていた。
お互いがそれぞれ在ることを表現して、わかろうとして聞くという文化が無かった。
どちらかの希望に合わせる。
片方は我慢する語りだった。
私もそんな風に育ったと思う。
しかもほとんどが親の願う通りだった。
放任される部分と否定や強制される部分が在った。
私も親の関わり方を引き継いだと思う。
勉強に関しては放任主義で
ポジティブ、弱さを見せない、積極的などを強制されたと思う。
ネガティブな感情、怖れや不安を感じることは良くないこと、弱いことだ。
それを表現するのは危険だと感じてきた。
息子たちにもそう関わってきてしまったと思う。
だから学校で感じたきたことを表現することができなかったと思う。
一人で前向きに頑張るしかなかった。
でも
難しかったり、
不安だったり、
サポートが必要なことはある。
私の在り方や関わり方では息子たちが愚痴を言ったり、弱音を吐いたりするのが難しかっただろうなと思う。
でもネガティブな感情にこそ自分らくし安心して挑戦していくヒントがあるんだとやっとわかった。
自分に合ったペース、分量、やり方を模索する大切さ
息子たちはすごく頑張り屋だ。
そりゃそうだ。
弱音や愚痴を言えなければ、一人で頑張るしかない。
そしてできないと無力感で何もやらないという選択になってしまったんだと思う。
無理して周りの期待や周りのペースに合わせるから疲弊したり、安心がない。
そこが学校に行けなくなる根っこだったように感じている。
自分に合ったペース
自分に合った分量
自分に合ったやり方
これらを体験し、感じ、試行錯誤しながら見つけ、成長すること。
そうやって安心して成長できる方法を身に着けていくことが大事だった。
今回三男が登校しようとする時や登校した先で感じたことが彼が自分に合ったことを理解し、探求し、創造し、選択するチャンスだと思う。
自分のペースや分量、やり方を模索することを大事にしていきたい。
それでいいんだ。
まず安心して体験していくことが一番成長できるんだと実感してもらいたいと思う。
そんな体験をたくさんできたらいいな。
自己否定ではなく、自己理解することが大事だと実感できるといいな。
これからの人生でどうしたら一番自分がのびのび自分の力を発揮できるのかを試行錯誤していいんだと思えたらいいなと思っている。
今回の中学進学に際しての登校チャレンジはそんな体験にしたい。
登校できない時も自分を知る機会にしようと伝えたいなと思う。
登校できない時に感じるがっかりや自己否定があったら、その気持ちも在るんだねと三男が自分で受容できたらいいなと思う。
私も自分が感じることを大切にしたい
今回の久しぶりの登校で私が感じることも丁寧に見ていきたいと思っている。
実は中学の準備をするのに抵抗があって、説明会後もらった封筒を放置してた。
そこにどんな気持ちが在るのかをじっくり感じてみようと少しずつトライしてみて、今まで三兄弟が学校に登校する際に体験し、感じてきた気持ちを受け取り損ねていて、それがブロックになっているとわかった。
その時の気持ちを書いたツイート。
今までの体験から登校する時に
◆自分が彼らに上手く関われなかった悲しさ
◆どうしたら良いのかわからない、自分の力が足りないから彼らが損をしているのではないかという不安と怖れ
◆私の関わりのせいで子ども達がみんなから遅れてしまうのではないかという焦り
◆子どもがどうしたいか決められないので私が決断しなければいけない時の恐怖
◆どうしたら良いのかわからないのに、一人で対処しなければならない不安と孤独
いろいろな気持ちを抑え込んで、自分にできることを必死にやってきたなと思った。
相談に行っても
◆私や息子たちの力になることを教えてもらえない
◆親の関わりがダメだと言われる
自分を責めることが増え、ますます一人でやるしかないとようになっていった。
すごく寂しかったし、不安で、怖かった。
だから三男が中学で登校しようとしてることを嬉しいと思う反面、凄く怖いんだなと思う。
また私がなんかやらかして、三男に損をさせたらと思うととっても怖い。
自己肯定感低いね…。
でもこれ自分の気持ちをしっかり受け取っていないからだと今は思う。
それがどれだけ辛かったか。
その気持ちを丁寧に感じることなく、抑圧して良い関わりをしようとしたせいで、暴発したり、親子でわかり合う対話ができなかった。
それが子どもも一人にしてしまったと感じている。
「楽しいことではつながっていたけれど、お互いにネガティブな面を隠していた。」
息子たちが感じていた不安や怖れ、孤独をしっかり感じられなかったのは私が抑圧していたからだなと今は思う。
だから今回はその場でしっかり自分のネガティブな気持ちも理解して、受容したいと思う。
そしてその奥にある自分の願いやニーズを理解し、そこから落ち着いて関われたらいいなと思っている。
子どもの力を引き出す関わりをしていきたい
そしてツイートにも書いたように三男は中学生になる。
小学3年生の小さくて、まだ力のない頃とは違う。
自分のしんどさや苦しさ、願いやニーズを問いかけから感じられると思う。
お互いに在ることを話し合い、そこからどうしたいかを探求、創造していける年になったと思う。
また昨年は否定や評価なく安心して対話する場を何度も持ってきた。
お互いに感じていることを自己否定、劣等感、恥、罪悪感なく、反発や防御、シャットアウトせずに聞き合うことも少しずつできるようになってきた。
まだまだお互いに自己否定、劣等感、恥、罪悪感などを感じ、対話が難しい場面はたくさんある。
それでも落ち着いてから私の感じていることをそのまま明かせるようになって、ありのままの自分で大丈夫をお互いに感じて、少し深いことまで落ち着いて話せることもできてきた。
今回中学で別室登校する際に、彼が感じることを丁寧に見ていくチャレンジをしてきたい。
彼が安心の中、自分に向き合うこと。
そこで自己否定、劣等感、恥、罪悪感なく、自分の気持ちを理解し、受容できる体験にできたらいいと思っている。
自分は自分で在っていい。
自分を卑下しない。
自分を信じることを諦めない。
そして自分に合ったやり方、内容、ペースで成長できると信じる。
自分らしい道を探求し、創造する力がある。
これらを感じてもらえる体験になればいいなと思っている。
それにはまずは私が安心、安定していること。
それは私が自分の感情や自分自身をありのまま受容し、自分の願いやニーズをわかっていること。
そしてわからないことやできないことは三男に明かせること。
未熟だ
能力や努力が足りない
優しくない
いろいろな理由をつけて自分を責めたり、罰しないこと。
私は私で在っていいし
三男も三男で在っていい。
それぞれが豊かな体験ができるように関われますように。