aya_kunimi(櫻井智美)

自費出版(国見あや)、障がいのあるアーティスト、櫻井智美として活動する一方で現在は区役…

aya_kunimi(櫻井智美)

自費出版(国見あや)、障がいのあるアーティスト、櫻井智美として活動する一方で現在は区役所勤務している。絵画ではポコラートに数回入選経験あり。自費出版作品は3、4日で書いた原稿が採用された。悔やむことが多いがある意味いい経験。高校3年の時、心の病を発症、人生で17回位の入退院経験者

最近の記事

精神病院と私の始り

今日は通院に精神病院に来ている。総合病院の精神科などではない。専門の精神科の病院だ。 私は18歳で精神の病を発症した。現在はもうすぐ52歳になる。立派ないい大人である。 しかし、時は18歳で止まってしまったのだろうか。 私は今も青春している。 けれども、健常者としての青春はもう取り返すことができない。皆周囲は私を精神障害という括りでフィルターもしくはバイアスがかかった目で見ていることは事実である。 普通の人だった私にはもう戻れないけれど、戻りたい… ようやく手に入れたいち

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      プチ画集 パラリンアーティスト櫻井智美

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        三溪園にお散歩に行きました!

        • 精一杯生きる醍醐味

          『克服』という本を出版した現在の私 あれは、かれこれ10数年前に遡る。  私は子供の頃から作家に憧れていた。  とある、出版会社の宣伝に目がいき、締め切り間際の3日間か4日間で自分の作品を書いて、出版社に送った。二週間もしないうちにその出版社の担当、という人から電話がかかってきた。共同出版という名のもとの自費出版だった。ドラマ化も有りうる、などと調子のよい話がでたが、なんだか少し驚き、この可能性にかけてみようと思いつつ、嫌だな、とも感じていた。しかし、私は高額な代金を払って

        精神病院と私の始り

          実りの秋を感じて

          実りの秋を感じて

          人生はいいもんだ①

           横浜で主人と初めて出会った。  私が生まれて、住んで、暮らしている町、横浜。  主人とは桜木町で出会った。  道に迷っている人かな?と思い、私から声をかけ、なんだか、とある展開によってみなとみらい近辺を観光案内している私だった。  その出会った日から、私は主人と連絡を取り合うようになり、しばらくしてお付き合いしだした。  私には精神の病があるが主人とお付き合いがスタートして、そのことを伝えても、主人は「なんだ、そんなこと?」と私が逆に意表をつかれる思いだったのを覚えて

          人生はいいもんだ①

          道を探して(第五話)

           あの灰色が黒ずんだような建物に再び父の車が進む。  建物の場所は少々小高い山の中に野原、というより伸び放題の管理されていない、ボウボウの草木が茂ったところにある。人里離れた小高い山のちょうどてっぺんに位置したその建物、そう、この病院は精神病院である。  当時、私は入院を決断した医師から保護室という隔離部屋へ案内された。  私には保護室には多くのトラウマがきっとある。いや、絶対にある。誰にも理解されない私のトラウマ。恐怖の道がまた静かに滑り出し、瞬く間に急速に私を刺激する。

          道を探して(第五話)

          道を探して(第四話)

           ある日の明け方4時に私は近所のコンビニへ行った。 そのコンビニには近所の零細な花屋のお婆さんが来ていて、たいそう豪勢なお弁当をたくさん買っていた。私の父の店にお金を無心に来て、返すことはなかったけれども、父はその花屋のお婆さんのことを「苦労しているから」とかばっていた。私はその花屋で、昔よく花を買っていたが、ある時、冬に「もみの木をください」というと、枯れた「モミ」を奥から持って来て「4000円!」と言われ、驚くべき枯れ具合と値段に驚愕した。また、花束を買うときはちょっとも

          道を探して(第四話)

          ローズガーデン

          ローズガーデン

          道を探して(第三話)

           イギリスで痛い思い出ある私だが英語の力も昔よりついたし、病状も落ち着いている時期だったので勇気を出して家族にサマージョブという制度をもとに六カ月の就労するという留学がしたい、と正直に話した。両親は考えた末、まずは病状も安定しているし、主治医が薬を多めに出して母親が受け取って足りなくなる前に航空便で薬を送ることにするという策がとれることが分かり私のわがままを聞きいれてくれた。アメリカの同時多発テロが起こったあとのいちばん安いアメリカンエアラインに搭乗したことはよく覚えている。

          道を探して(第三話)

          道を探して(第二話)

           春が過ぎて私は大学三年の半ばに入り、自分はこの大学生活で何をしてきただろうか、と自問自答した。一年生のときは良い成績が取れたが次第に怠け心が現れたため、自分のやってきたこと、主に大学生活での学問に対しずる休みをしたりして無駄にしてしまったことを反省しているうちに鬱っぽい症状になり始めた。通学では駅のホームで電車を待って立っていると、もういっそのこと死んでしまいたい、など思って飛び込む自分を想像しては、「いや、これはよくない。家族が心配してしまう。父が私の死のショックのあまり

          道を探して(第二話)

          道を探して(第一話)

           思春期に起きたことは、今より深く感情を傷つけ、尚且つ心に痛み響くものか、と傍観者のように思ったりする。事実私は思春期の時もそれ以降も度々辛酸をなめる思いをしてきた。その回数は数えきれないが、それらの経験とは反対に喜び踊る出来事ももちろんあったからだ。  私は5人兄弟、姉が上に3人、順番は長女、次女、三女、兄がすぐ上にひとりいて、私は5番目の末っ子だった。  中学に私が入学して、新しい環境に馴染み、勉強やスポーツにも励んでいた時、順調に見えた私の生活に不穏な影が差し込んできた

          道を探して(第一話)

          道を探して

          【あらすじ】 今までの出来事を様々な体験をもとに書いてみたいと思います。 18歳の多感な青年期に精神の病気になったこと、沢山の差別と偏見の世の中で這いつくばって生きてきたこと、精神病院の従事者に入院中セクハラや暴力にあったこと、イギリスでの留学に失敗し精神病院に入院したこと、アメリカで、就業体験をし、明るく快活な日々が送れたこと、アメリカで泥棒にあったり、時速140キロの運転で交通事故を起こしてしまったこと。 緩やかでは決してない人生… それでも、希望を持って前進した日々。

          ハリウッドヒルズのパーティーに招かれて①

           私は29歳の時にロサンゼルスで弾けるほど楽しい思い出を作った。弾けるどころか楽しい思い出の裏には悲惨なこともかなり有り…  私はサマージョブという、30歳以下の大学生だったら、アメリカで就業できるある制度のもとに、当時、慶應義塾大学の通信制の大学生だったので30歳以下をいいことに、サマージョブの参加を東京の池袋にある代理店を通して申請し、J1というビザを取得してアメリカに飛び立った。  2002年6月だった。  9.11という痛ましいひどいテロが起きた翌年で、飛行機のチケッ

          ハリウッドヒルズのパーティーに招かれて①

          バラバラに壊れた心

           高校3年生の時、硬式テニス部での後輩たちとの軋轢は少なくとも私の心の病発症の原因を大きく占めていると言っても過言ではない、と私は思っている。  そうは言っても、精神科の医師や、精神疾患に関する本を読むと、内因性が元々あるから、精神疾患になる、というようなことが言われている。もちろんそればかりではないが、実際遺伝的な確率が記載されている本などもある。  私の親族には精神疾患を患う人があるひとりを除き今までいなかった。ひとりいるだけで、やはりそういう遺伝かと言われたらそれま

          バラバラに壊れた心

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          横浜中華街