バラバラに壊れた心

 高校3年生の時、硬式テニス部での後輩たちとの軋轢は少なくとも私の心の病発症の原因を大きく占めていると言っても過言ではない、と私は思っている。

 そうは言っても、精神科の医師や、精神疾患に関する本を読むと、内因性が元々あるから、精神疾患になる、というようなことが言われている。もちろんそればかりではないが、実際遺伝的な確率が記載されている本などもある。

 私の親族には精神疾患を患う人があるひとりを除き今までいなかった。ひとりいるだけで、やはりそういう遺伝かと言われたらそれまでだ。そのひとりが私の姉である。内因性だとしたら、我が家は、両親と兄弟姉妹5人の7人家族であったが、一体どのような因子があったのであろうか。

 高校3年生の時の私と後輩に関してのわだかまりはもうよしとしよう。何せ私はそれ以降から、明らかに精神疾患の持ち主として、当事者として生きているのだから…

 ただ、発症のきっかけにその時の人間関係が心の健康に厳しくなってしまったのかな、と思うことがある。今思うと、スーパーがつくほど、ハイセンシティブパーソン(HSP)だったかもしれない。

 精神科、というより、ダイレクトに精神病院を初診で受診してからのことを今でも頭の記憶に刻まれていることを書き記したいと思う。

 精神病院に行くまでの直前まで私には少し興奮するような出来事が続いた。

 私の肩の荷が重くなり、暗い毎日だった。教育者と呼ばれ、尊敬されていた祖母の死。祖母は、父方の母にあたり、父の兄弟がふたり医師で、そのうちひとりの伯父の子供が全て3人医師だったので、医療ができる環境から、点滴や器具の装備を用意しての在宅介護だった。学生だった私の役割は点滴が抜けないように夜中徹夜をして祖母を見てあげることだった。正直徹夜は私には辛かった。紅白歌合戦も最後まで起きていられない私なのに…

 祖母が老衰で亡くなり、葬儀の際は、孫たちの代表として、お手紙のようなものを読んで捧げた。ここまでは、順調であったような…

 それが高校3年生の9月のこと。10月初めに自分の18歳の誕生日があった。その日、はっとするように美しい月下美人が咲いた。珍しくて、大変感動した。ベルリンの壁崩壊やマザーテレサとダイアナ妃の訃報のニュースもあったように思う。

 色々と良きにつけ、悪きにつけ、刺激が強かった。精神疾患を患い、それでも、希望を持ってメキメキ回復している3番目の姉からの突然の私への配慮ない告白は、私をさらに悩ませた。姉は姉の部活動でお世話になっている先生と関係を持ってしまった、という衝撃的な内容だった。それは遊ばれたというのか、不倫だ。私は眠れないショックを受けた。

 その先生に対して、姉の卒業式の際に高貴な威厳ある父は、姉が就職まで回復したことを、本当に感謝して、ヒラにヒラにその先生に先生たるもの、ここにあり、と敬意を表していた。その先生の生徒に対する行為は信頼していた保護者への裏切り行為にも感じ、憤りを感じた。私はまだそのような内容には全く理解ができない年齢だったので、姉が妊娠したらどうしよう?とかとても何も知らないがゆえに悩んでいた。

 そして、私は自分の誕生日を迎えてから、2週間以内に入院となった。精神病院へ…

 前兆としては、睡眠が全く取れなくなっていた。3日は確実に睡眠が取れなかった。ちょうど、法政大学女子高等学校(現 法政国際高校)という高校に通っていたので、法政大学へ進むための学年の内部試験の真っ只中だった。

 私はとうとう試験そのものを棄権した。様子をおかしく思った家族が心配し始めた。母親が5千円あげるから、精神病院を受診して、とデリカシーにかけるお願いを私にした。

 私は3番目の姉が通っていた精神病院を受診した。診断してくれたのは、姉の主治医だった。「すぐ様子は良くなるでしょう。」と帰された。姉が待っている間、私は先生に約3時間話していたようだ。

 しかし、初めて自分が受診に精神病院に行った経験など、さらに興奮してしまう自分がいた。

 ああ、私は精神疾患で患っていた3番目の姉を可哀想に思っていたのに、自分が精神病院に精神の疾患で受診ということに、実は強い抵抗があったのだ!私は自ら精神疾患を偏見と差別で見ていたのだろうか?自分は、そういう人を否定しない、慰めて労わりたい、という気持ちはあったが結局のところ、傲慢の罪を持っていたのだ。

 でも、どうだろう?多くの人は普通精神疾患を自分が患うとは予期もしないのではないか。

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