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Pierre Gagnaire @ 日本文化会館・パリ Innovation Food News From Paris 2024/05/05

先週の5月2日木曜日、1948年に立ち上げられたパリに本部がある国際的な経済協力開発機構OECDへの日本政府の加盟60周年を記念して、観光庁・日本政府観光局主催の訪日観光セミナー・レセプションがパリの日本文化会館にて開催されました。そんな中、農林水産省主導のもと、JETRO(日本貿易振興機構)とJFOODO(日本食品海外プロモーションセンター)は、当イベント内で、日本食文化と日本産食材の魅力を伝えることとなりました。

第1部はセミナー、第2部はレセプションの構成。農林水産省の管轄としては、主要な方々による登壇がある第1部では、ミシュランガイドの3つ星を冠するシェフ、ピエール・ガニエール氏が登壇。第2部では、「日本のアペロとおやつの時間 !」というテーマのレセプションで試食会を担当。茶懐石を主題とした和食店を昨年オープンし、ミシュラン・ガイドの1つ星を獲得したばかりの秋吉雄一朗氏が、能登半島地震の被災地から紹介された、石川産の醤油、富山県産の米、福井県産のおぼろ昆布をはじめ、北海道産の帆立や和牛などを使った料理を披露するなど、日本食の豊かさを通じて、日仏の人々が心を結ぶひとときとなっていたのを感じました。ガニエール氏も秋吉氏の鯖寿司や、おぼろ昆布を合わせた和牛サーロインのたたきなどを堪能されていました。

写真は全て©️JFOODO

私は、ピエール・ガニエール氏とのご縁は長く、科学者であるエルヴェ・ティス氏との共著で出版された「La Cuisine - C'est de L'amour, de L'art, de La Technique/愛と芸術、そして技術から考察した「料理」」の翻訳を手掛けるという大役をいただき、2008年に「料理革命」という題目で中央公論新社より出版させていただいたことがありました。

ティス氏もガニェール氏も、非常に個人的でもあり芸術的な表現をされていたので、翻訳の確信を得るために、お二人をしばしば訪れて、ご教示をいただいていました。ティス氏に会うためには研究室に。ガニェール氏に会うためにはレストランに。

ガニェール氏は1950年生まれ。リヨンの隣県ロワールでレストランを営む経営者の息子として生まれて、料理人になりますが、ロワール県の県庁所在地サン・テチエンヌにオープンした自身の店を、1992年にミシュラン・ガイドの3つ星にしたものの、財政破綻をしてしまい、その4年後に店をたたんで3つ星を返上したといった苦い経験があります。それからパリへ上京して凱旋門そばのバルザック通りに改めて自分の店をオープン。1998年に3つ星を奪還したというドラマがありました。

ガニェール氏の料理は、見た目はコンテンポラリーなのですが、全てをひとときに味わった時の交響曲のようなストーリーが素晴らしく、それが彼自身が体験した伝統的な料理であったり、あるいはさまざまな想い出であったりと、その風景、情景を詳らかにしてくれるのには、感動しかありません。

また、拙訳の「料理革命」で、ティス氏の歴史を追った命題にガニェール氏が料理のレシピで応えるという内容がとても興味深いので紹介します。

例えば8章。「プラトンは、〜〜自然を模倣しただけの芸術は断罪すべきものと考えた。〈啓示を与えた〉ものだけが、議論の余地のない価値を持ったのだ」

という命題に対して、ガニェール氏は、「ブルターニュ産ラングスティーヌの天ぷら」の2つのレシピで応えます。

「レモンタイム風味の泡立てたバター、ブロンド色のレーズン入り、ズッキーニのマーマレード」と「ホウレンソウのフォンデュとリンゴジュース」を添えたものの2種。

「前者は煌めくような儚さを持つ記念碑的な出来上がりだが、おいしさはまあまあだ。ほんの少しだけ衣に苛立ちを感じ、他の材料と脂がケンカしているようだ」と、新しい後者のレシピに取り組み、「湯がいてブール・ノワゼットで火を通したホウレンソウを添える」組み合わせに変えた。するとシルクのような滑らかなホウレンソウというテクスチュアが加わり、そのテクスチュアのおかげで素晴らしいハーモニーをたたえたといいます。

「素材はどんなに素晴らしくともソリストになる必要はどこにもない。素材自身が持つ味わいが料理の中で表現されるとき、つまりすべての素材がソリストの役割を果たしているときに、その料理は美味しくなる、という考えは誤っている。オーケストラの中で不協和音を奏でることになるからだ。飾りの施されていない、田舎風の料理へと転落してしまうからだ。」

つまりラングスティーヌは高貴な食材だが、その味わいを引き立てるためのレシピを考えるのではなく、交響曲の1つの楽器として、他の素材とのハーモニーとして、その素材がどんな役割を果たしてくれるのかというレシピを生み出す考察こそが、新しい料理への導きとなる、ということだと思います。

東京・赤坂の、自身の名前を冠したANAインターコンチネンタルホテル東京の36階にあるレストランでも、日本とフランスのマリアージュを皿の中で展開しますが、その美しさは、完璧な技術を擁した芸術家としての彼の頭の中の情景を眺めるようだと思います。

「岩手産の帆立貝のタルタル、フランス産黒トリュフ風味。菊芋のジュレと様々なハーブのサラダ添え、キャラメリゼした玉ねぎの冷製クリーム」や「鳥取産松葉蟹のクルスティヤンとエゴマの葉、ココナッツミルク風味のナント風ブール・ブラン」、「北海道産牛肉フィレ肉シャトーブリアン、ハーブ入りのパン粉を乗せたジャガイモのグラタン。フルム・ダンベールチーズ風味の宮城県産ムール貝の白ワイン蒸し。シェリー酒アモンティリャード風味のコンソメ。牛肉のブイヨンで火を通した黄にんじん。牛蒡のタルトレット」など。

海の幸と山の幸、フランスと日本が見事に溶け合っており、ガニェール氏がおっしゃる通り、日本への細やかな愛が皿の中からひしひしと伝わってくるようです。

セミナーでの登壇では、そんな想いが体から溢れるようでした。

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実は、このセミナーの日に、ガニェール氏から共通の友人の日本人女性が突然に亡くなったという知らせを伺い、押し寄せる記憶と悲しみとで心の行き場を失ってしまいました。まだ40代半ばで、エネルギッシュでとても魅力的な女性でした。彼女がパリに来る時には、時折連絡が入って、さまざまな悩みも共有したものでした。誕生日がガニェール氏と同日の4月9日。彼は前回日本にいたため、一緒に誕生日を祝ったばかりだったのに、と、訃報に悲しんでいました。

「La vie ne nous apppartient pas」。「人生は私たちに委ねられていない」
と呟いたガニェール氏。

東日本大震災後には被災地を巡ることも体験され、今回の登壇でも能登半島地震の被災者の方々を想う心を語って下さったガニェール氏。「La vie ne nous apppartient pas」の言葉には、途方もない意味を持つ深さと、すべてを広く思って受け入れる温かな優しさを感じて、涙しました。彼女の冥福を、心から祈りながら。合掌





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