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死と孤独と足枷

31年も生きていれば、恋人がいたことくらいは人並みにある。

もちろん好きで付き合っていたし、楽しい思い出もたくさん作ってきた。
結果的にお別れした恋ばかりだけれど、ともに過ごした時間に感謝している。

とはいえ、恋人がいた時間でも私は「死にたい」と思うことがあった。
それはもちろん恋人には言わないが、恋人がいるからといって「死にたい」という気持ちが薄まることは決してなかった。

そういうとき、恋人は死ぬ足枷となって私を縛り付けてしまう。
曲がりなりにもお互い好きで交際しているのだから、私が死ねばそれなりに相手は悲しむだろう。
私は確かに死にたいが、人を傷つけるのは本意ではない。
そういうとき、「この人がいるから私は死ねない」というとんでもない責任転嫁をして、腹立たしくなることがあった。

では、別れてから死ねばいいのでは?と思うだろうが、人間の思考はそうは単純ではない。

数々の自殺未遂のすべてを失敗してきた私は、どうせ次も失敗して生き残ってしまう気がする。
そうなると、生き残ってしまったときの孤独に耐えられる気がしないのだ。
誰も私を必要としない世界の中で、恋人だけが私を必要としているわけで、その存在を失った世界で生き残ってしまう恐怖に私は勝てないでいる。
だから、自分から別れを切り出せないのである。

いっそ恋人から別れを切り出して欲しいと願うこともあった。
なんとわがままで自分勝手な思考なんだ。
聞いて呆れる話だが、これが私の本心なのだ。

恋人を足枷に感じながらも孤独に耐えうる心もなく、死ねない理由を恋人のせいにして死んだ目でこの世界に生きるくだらない人間。

それが私なのだ。

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