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フェミニストはショートカット?

「フェミニストはショートカットだ」という文を見た。確かに、フェミニストとしてのエマワトソンを思い描く時、ショートカットの彼女が浮かぶことが多いかもしれない。

フェミニストがショートカットにする気持ちが、私にはわかる気がする。それは、私が仕事の時にパンツスーツを好むのと一緒だと思う。スカートは女性のもの、という見方がまだまだ強い。その上、女性の正装はスカートというのが世間一般でいう常識らしい。女性だからスカート、というのはなんだかムカムカして抗いたくなる。もちろん動きがやすいからという理由もあるが、そんな世間一般の、誰が決めたかわからない、理由のない慣習に従いたくないから、私はパンツスーツを好んで着用している。
きっと、ショートカットを好むフェミニストも同じだと思う。ロングヘアーは女性の象徴として捉えられることが多く、女性だからロングヘアー、というのに抗いたくてショートカットにするのかもしれない。

私はフェミニストだが、男だったら良かったのに、と思うことがある。それは、フェミニストを名乗ったとしても「女性だから」と言われるからだ。私は、「女性だから」フェミニストなのではなく、ただのフェミニストなんだ、と言いたくなる。泣きたい、叫びたい気持ちになる。きっと女性のフェミニスト達は「女性だからフェミニスト」に抗いたくて、泣きたくて、叫びたくて、ショートカットにするのかもしれない。

仕事ではパンツスーツ、と言ったが、休日はスカートを好んで着用する。それは好きだからだ。私は可愛いものが好きだ。ピンクが好きだ。花が好きだ。髪だって色々アレンジができるから最近はロングヘアーだ。それでも、私はフェミニストだ。

世間は「女性だから」や「女性なのに」に溢れている。もちろん「男性だから」や「男性なのに」も然りだ。ムカムカするし、抗いたいと思う。抗って生きていたいと思う。でも、本当は抗わなくてもいい世界になってほしい。性別じゃなくて、私自身を見てほしい。「女性だから」ロングヘアーなんじゃなくて、「私だから」ロングヘアーなんだ。「女性なのに」パンツスーツじゃなくて、「私だから」パンツスーツなんだ。だから、フェミニストはロングヘアーでもいいし、ショートカットでもいい。「フェミニストだから」ショートカットなんじゃなくて、「その人だから」ショートカットなんだ。好きなものを好きだと言える世界になるように、今はまだ、抗いながら生きたいと思う。

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