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映画「こどもかいぎ」

ここ最近、見たい映画が渋滞気味だった。
そのひとつが、豪田トモ監督の「こどもかいぎ」という映画。


帰省のタイミングで、上映最終日に銀座のシネスイッチに滑り込んだ。

「あぁ!保育の仕事ってやっぱりこの世で一番幸せな仕事なんじゃない?」って胸が熱くなる、そんな映画だった。

今の自分はちょっと立ち止まっているから、過去を振り返ったり、思いを馳せる感想が多くなりがちだなと思いつつ。
でも、こうして自分の歩んできた今までをちゃんと肯定してあげることも人生の中で必要な期間だよなって思う。

整理して、道しるべをたてて、また進んでいこう。

こんな自分にとっては節目のタイミングで、自分の今までを肯定できるような素晴らしい映画作品が立て続けに上映されることにも、何かしらの意味を感じてしまう。


こどもたちの日常に、こどもたちが輪になって自由に話をする時間「こどもかいぎ」を取り入れた保育園の1年間を追ったドキュメンタリー映画。

「どうして生まれてきたの?」
「おなかにいる時は金歯と銀歯だけ生えてきたの。」
「僕、人類を増やしたいと思って生まれてきたんだ!」

「こどもかいぎ」劇中より

「どうしてケンカするの?」
「パパとママもするよ。もう別れる!って言うの。」
「国と国でケンカすることもあるんだよね。」

「こどもかいぎ」劇中より

議題は、身近な疑問から哲学的なことまで様々。
何か一つの答えを見つけるためでもなく、何かを解決するための話し合いでもなく、ただただ、一つのテーマから自由に語り始める。
どんどん話が脱線していったり、支離滅裂だったり、はじめは友だちの話に自分の意見をかぶせちゃったり、途中で座ってられなくなったり。
きれいにまとまってる姿じゃなくて、リアルな保育現場そのものの日常を映していて面白かった。

そんな子どもたちから湧き出てくる言葉は、ふふふと笑ってしまったり、時には「おお~!」と思わずうなってしまったり。会場のみなさんから零れる反応も面白かった。

子どもを見守るって何だろう?
「見守る」って子どもに携わる仕事や子育ての中で、割とよく出てくるキーワードではないだろうか。
子どもが何を考えているのか、どうしてそれをしようと思ったのか、言葉や行動だけじゃなく、その裏にあるもの、彼らの心の中、頭の中、身体に流れているもの、そんなものまで多角的にみて、その子自身を徹底的に理解しようとする姿勢のこと。
私は「子どもを見守る」ってことを、そんな風に解釈している。

こどもだからと、勝手に制限をかけていたのは大人なんじゃないか。

「こどもかいぎ」劇中、保育者の言葉

こどもの気持ちは、こどもにちゃんと聞いてみないとわからない。

「こどもかいぎ」劇中、保育者の言葉


自分も数年前までは幼稚園教諭として、子どもたちと直に対話をする日々だったので、ついつい映画に出てくる保育士さん側の目線で感情移入しまくりで見てしまった。

「あの時もっとこんな関わりができたよなぁ。」とか、「あの日あの子の思いを受け止めきれなかったな。」とか、「こちらの都合を押し付けちゃったな。」とか、当時の自分も反省ばかりの日々だった。

この映画で描かれているのは、椅子に座って対話をする時間だけではなく、日常のいたるところにも存在している対話たちにもフォーカスしている。

こどもが10人いれば10通りの感じ方や考え方がある。それはごく当たり前のことなのだけれど、多くの子どもたちにとって保育園は、はじめての「社会」で、その中で遊び、暮らし、生きるということは、多くの思いのぶつかり合いや、すれ違いも起こるわけで。

私の勤めていた幼稚園も、子どもたちのいざこざに、大人がすぐに飛び込んでいって解決に導く、ということはしていなかった。そのプロセスにこそ多くの学びや気づきがあると思っているから。
でも、それぞれが自分の思いを持っていて、ちゃんとそれを主張しよう、と出来るからこそ、思いと思いとがぶつかって、折り合いのつかないことも多かった。その場で解決しないことも、翌日までその思いを引きずることもあった。

保育者が解決に導いたり、ジャッジする役目ではなく、お互いの思いの橋渡しをしたり、一緒になってうんうん頭を抱えて考える。そんな関係性がたのしい。
ちゃんとこどもらに聞いてみると、やったことや言ったことの裏側には彼らの思いがある。
先入観を持ってしまっているのは私たち大人だ。

ものすごい白熱した取っ組み合いの喧嘩をしていたのに、気付けばじゃれ合いっこになっていたり。
絶対にあやまりたくない!と激怒していたのに、ともだちの「にらめっこできめたら?」なんていう鶴の一声で大爆笑して解決に至ったり。
いつもいつも、大人にはわからない間合いがあったりする。
でも、納得していない「ごめんね」よりずっと気持ちがよさそう。
そして後腐れがない。
大人が中途半端に介入してしまった喧嘩よりも、自分らの中にちゃんと腹落ちしているのが見て取れる。
そんな光景には何度も何度も出会ってきた。

子どもたちって根源的に、人を許す力を持っていると思うし、人を信じる力も持っていると思う。



そう、彼らの中には宇宙のように大きな世界があると思えてならない。

保育の仕事って、毎日毎日、その大きな宇宙から巻き起こる出来事と向き合う、最高に面白くて、最高にクリエイティブで、最高にファンタジーで、最高にユーモラスな毎日だ!!

って声を大にして言いたい!
こんなに幸せな仕事ってある?

こんなにも間近で、こどもたちの世界を見させてもらっちゃってありがとうございます!!という気分。

そしてここ最近、私がずっと思っているのは、やっぱりこの、
「こどもたちの持つ宇宙」のことを、世界中のひとたちに届けていかなきゃいけないんだよなってこと。

なかなか、この「こどもたちのすでに持っているちから」って理解されにくいよねってこと。

こどもたちの傍らで日々伴走している保育者だからこそ、見させてもらっていること。
それをどう、その他大勢の子どもに直接関わる機会がない大人や、目線の違う大人たちへ、伝えていくか…


この映画はそんな気付きのきっかけになるだろう。大人ももっと自分以外の人を信じて対話していけるといいな。
この映画もそのうち、自主上映会をさせてもらいたいな。と、思っている今日この頃。

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