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自分らしい温度感と世界観をちゃんと理解しよう、の話

(特に結論のない雑記。こちらの補足記事です)  

大人になったなぁ。と思う瞬間がある。

年齢的な話だけではなく、例えば以下のような時。

・日本酒がおいしいと思った時
・薬味がほしいと思った時
・落語が面白いと思った時
・気づけばテレビでNHKをつけていた時

あとは、がむしゃらさが無くなったと気づいた時、
そしてそんな自分を受け入れた時だ。  

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全員よーい、ドンで社会人生活がスタートして、
最初はだいたい一律で「がむしゃらに頑張る」モードを求められる。
(本当は、それもイマイチだと思うけれど)  

その段階を終えると、「あー自分にはこの温度感が一番フィットする」という感覚がなんどなくつかめてくる時期がくる。  

人によってそのタイミングってまちまちだと思うのだけれど、
私の場合は最近それがやってきた(遅)。  

自分が一番ストレスなく、自分らしく、居心地よく居られる世界観・温度感をちゃんと理解して、言語化すること。それができていると、自分のライフスタイルや付き合う人々、住む町、もっと言うと人生をそれに合わせてチューニングしていくことが可能になる。そしてその状態が普通になると、他人をうらやむことなく自分の人生を生きることができるようになる。  

言語化というのはキーワードでも良くて、私の場合は
・余白、余裕
・マイペース
・飄々、淡々
・自然
・さりげなく
・美意識    
・シンプルでナチュラル    とか、例えばこんな感じ。  

こういうワードを意識していくと、自分のコンセプトとか思想の輪郭が見えてくる。

自分は走る人なのか歩く人なのか、挑む人なのか逃げる人なのか(ここでいう逃げるは良い意味ね)。  

いやいや、自分のことは自分が一番わかってるから、当然のことでしょ、と思われるかもしれないが、意外と「他人の世界」や「他人のルール」を正しいと思い込んで、その中で生きてしまっている人は多い。そしてそれに気づいていないことも。  

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知人にカリスマ実業家がいる(女子)。  

彼女は色々な媒体の中で、
「人生、すべてのことに挑みきって死にたい」
「理想の追求のためには絶対妥協しない」
と言っている。
そして多分、その通りに生きているし色々な人に前向きな影響を与えている(あと、たまに全力すぎてつぶれている)。  

一時期、その彼女の生き方がうらやましくてしょうがない時があった。彼女のように生きるにはどうしたら良いのだろう、と。
でも自分の世界観や温度感が少しずつ見えてきて、「私はこうじゃないなぁ」と前向きにあきらめられた。同じ世界を目指す生き方もあるかもしれないけど、多分今よりずっと苦しいだろう。  

自分にフィットする世界観を理解せずに、間違ったところを目指してしまうと、劣等感が生まれたり、必要以上に疲弊してしまったりするのよね。  

小倉ヒラクさんのツイート、本当にいつもその通りすぎてわかりみが深い・・・!!  

こんな風に、「みんながそこに向かって必死になってる物事」や世間の流れみたいなものに対して、「自分のあり方はこうなんだよね」って飄々と言いたい。
頑張らないことや逃げること、のんびりすることも含めて割り切ることを肯定する生き方・・・!

近々、このレベルで自分の世界観を語れるようになりたいものです。



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