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この先お互い変わらないまま、このままの気持ちで大人になろう

先日、親友が誕生日を迎えた。彼女の誕生日をお祝いするのは何回目やろう

昔は多くの友人と0時ピッタリに「お誕生日おめでとう」の言葉を送り合っていた。年齢を重ねるにつれて、その言葉を交わす友人が限られてきた。




友達って何やろう?
親友ってなに?



誰しもが(特に女性)一度は考えたことがあるだろう、友達そして親友の定義。親友の定義について書かれている本はあまりないけど、「20代にしておきたい17のこと」では、このように書かれていた。

いま持っているものすべてを投げ出してもいいから、その人のところに駆けつける、その人を助ける、というようなことができるかどうか。



なるほど、納得である。
でも私は「親友ってなに?」と誰かに聞かれても、答えることはできひんと思う。だって、私の中で「親友は親友でしかない」それに尽きるから。


彼女と仲良くなったのは高校1年生。仲良くなったキッカケはもう忘れた。いつの間にか仲良くなっていた。付属校だったので大学も同じ、且つ学部も一緒やった。


でも常に一緒にいたわけではない。一緒の授業取ろう!と合わせたことはないし、授業はそれぞれの友人と受けていた。それでも、付かず離れず一緒にいたし、私の想い出には絶対に彼女が隣にいた。


そもそも、彼女とは趣味も好きなものも好きなタイプも全く違った。共通の好きなものがなくて、よくここまで仲良くなれたなと思う(笑)


それでも、彼女はいつの間にか私の親友になっていた。「うちら親友やんな?」と確かめ合ったことはない。いつの間にか、プリクラに「親友」と書くようになっていた。友人たちに「私の一番仲良い人は?」と聞けば、10人中9人は彼女の名前を答えるだろう。


彼女とは共通の好きなものがなかったと書いたけど、たぶん性格や物事の判断基準、考え方がとても似ている。だから自然に仲良くなったんやろなと思う。


似ているからこそ、喧嘩もたくさんした。20代半ばになってまで、友人と大喧嘩をするとは思わなかった。お互い素直じゃないので、毎回仲直りには周りを巻き込む。周りからするといい迷惑である。できれば喧嘩はしたくないけど、大人になってまで喧嘩ができる友人がいるのは、とても貴重である。まあ、喧嘩はしないに越したことはない。
(周りの友人たちよ、毎回ありがとう!笑)


彼女は間違いなく、私の親友。
でも私は、やっぱり親友の定義を答えることはできない。親友なんて、そんなもんである。


"友達が少ない"



そう悩むこともあるだろう。私も今でも「もっと友達がいればなあ」と思うことがあるし、友達が多いひとが羨ましいと思ったりする。でも年齢を重ねて思うのは、「友達は数より質」である。本当に大切だと思うひとがいれば、それでいい。


"親友って何やろう?"


こう悩むこともあるやろう。「相手も自分のこと親友って思ってくれてるかな?」そんな不安も感じるだろう。わかる、その気持ち。でもきっと悩んでも答えは出ない。だって「親友は親友でしかない」から。自分が相手のことを「親友だ!」と思ったら親友やし、そう思える友人に出逢えたこと、それだけで幸せなこと。


社会人になって関西と関東で物理的な距離が遠くなって、お互いを取り巻く環境も大きく変わった。昔みたいに分かり合えることばかりでもなければ、すぐに会えるわけでもない。


それでも、親友と言われて私の頭に一番に浮かぶのは彼女で。それはこれからもきっと変わらない。そしてもしこの先、「お誕生日おめでとう」の言葉を交わすことがなくなったとしても、私は彼女の誕生日を死ぬまで忘れないだろう。



私が東京に引っ越す出発の日、お見送りにきてくれた彼女。手紙を読んで新幹線で号泣した日が懐かしい。


この記事のタイトルは、Sonar Pocketの「友達に贈る歌」。学生の頃、よくカラオケで一緒に歌ったなあ。Sonar Pocketはこの曲が1番お気に入り!



私にとって彼女が自慢の友人であるように、私も彼女にとって自慢の友人でいれたらいいなと思います。


お誕生日、おめでとう!!!



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