あなたが 今の教育に悩む『サカナの親』ならば、どう行動しますか?--by元不登校児の母
少し前に【今の教育システム】という下記ツイートが、バズっていたらしい。(バズるの使い方合ってるかな?🤔笑)
私は、twitterをやっていない人で、小4トンガリ息子の習い事の先生が共有してくださり知った。
息子の習い事の先生は、
ーー誰もが 価値や魅力を最初から持っている。
欠ける部分は チームでカバーし合えばいい。
欠けているからこそ、愛おしい。
自分は、今の教育が変わることを望む。
自分が、変えていきたい。
と、話してくれた。
それを聞いた他の保護者は、
ーーサカナは 木に登ることを諦れば、
陸上で肯定的に生きる術を身につけるかも。
もしくは、水中を選ぶかもしれない。
と選択する自由があることを望んだ。
******
うちのトンガリ息子は 学校教育と相性が悪い。
実際に、不登校期間も経験した。
私としては、自分ごとな話題だった。
この話が展開される場にいながら、
うちの息子は、猿ではない。
この中で、どれかと言われると。。。
サカナっぽい🐟
そして、真面目な私は 考えこむ訳です。笑
このイラストの世界に迷い込んだならば、私には どんな選択肢があるのだろう?
みなさんのお子さんが、
サカナだったら
あなたは親として、どう行動しますか?
今日は、上記質問を全力で考察した記事です。
その結果、なんと約10000字!笑
読んでくださる方の負担を考えると、切り分けるべきなのだと思うのですが、読める方には 一気に読んで欲しい…と思い、そのまま載せます✍️✨
自分本位な行動に、陳謝です!🙏💦
_↓introduction________________________
我が家には、小学4年生の息子と小学1年生の娘がいます。キャラクターは違えど、二人はいつも仲良しです。
息子は、個性的なキャラクターで、エネルギッシュ。私と違う価値観をもち、独創的な自分の考え方を基本に 考察・行動をします。好奇心が旺盛で イタズラやおふざけが大好き。最近は 自分の考えをよく言葉にしてくれるので、母は「なるほど〜」の嵐。少しずつ彼の理解者が増え、精神的にも離れていきつつある事を感じる毎日です。
_______________________introduction↑_
■前提条件
サカナは、『木登りの試験』の存在に困っている
サカナは、小学生。
---木登りの出題が適さなすぎて、学校では意欲的に取り組めない。
---そのせいで、先生はサカナに手を焼いている。
---先生に木登りを強いられるサカナは、心が折れるか、反発するか、よくない状態が慢性的に続いている。
---そんなサカナに、クラスの他の動物たちも迷惑をしている。
本来は水中を泳ぐサカナでも、木登りを克服してしまった優秀サカナもいることでしょう🐟
なので、
この前提条件は固定するという事で、
以後の私の考察を展開して参ります😎✨
■母の課題を絞り込む
まず、私はこの絵と睨めっこして思う。
”試験” として『木登り』が出題されている。
「サカナに木登りの試験で評価するのは、いかがなものか?」と、考えたくなるが そこはグッと我慢する。
なぜかというと、
試験を変えるのは大変すぎるから。
試験の変更は、サカナに配慮すると、他のサル以外の種族にも配慮する必要が出てきてしまう。形に残るものは、作るのに時間がかかる。
私は『今』だけに 注目して考える。
そして、
新しい教育の試験 が出来上がる頃に、
私のサカナは この教室にはいない
と予想する。
だから、試験の変更は、
教育の為に 活動する聡明な方々にお任せする。
まさに今困っているサカナを救う為には、
不本意だが 試験は捨てる。
試験のために、
日々展開されていく授業に 課題を絞る。
試験なんて、試験時間だけの話だ。
そして、なぜ試験をするのか 目的を考える。
ーーある集団が 適合者を探す為に使う。
つまり、辛い試験の先には 辛い集団がある。
可能性は高い…?とも思ってみる。
サカナの明るい未来に繋がる試験は、サカナ用の試験を探す必要がある。
日本では、義務教育課程が終わると、一気に選択肢が広がる。
今もどんどん選択肢が増えている。
だから、
先の試験は、今に優先すべき解決課題ではない!
と、自分に言い聞かせる。
だが、
日々の授業は違う。
毎日毎日、繰り広げられる。
そして、望まない経験を積み重ねる。
授業は捨てられない。
授業を捨てるのは、日本の教育システム以外を選択した時だ。
だから、
いつも 子どものサカナに聞く。
ーーあなた、本当にこの教室で学びたいの?
そして、見せ続ける。
ーーあなたの教室以外にも、こんな選択肢あるのよ?ほらっ、と。
でも、
サカナは答える。
サカナ:僕は、木登りの授業が嫌い。でも、学校の全部が嫌いな訳じゃないんだ。好きな友達も、好きな先生も、好きな授業もあるんだ。
サカナ自身が、
この教室で学ぶことを望む
■先生と木登りの目的を共有する
サカナがこの教室を希望するなら、他の環境の選択肢を諦めて、私は教室だけに絞って考える。
次に、この絵を見て感じるのは
"木に登ってください" の切り口は いかがなものか?
木に登るからには、何か目的があるのだろう。
木に登るのは、そのための手段になると思う。
「木に登ってください」ばかりでは、手段が目的化している。
だから、確認する。
でも、この出題は、そこの机に座る先生の意思でない事が多い。
なので、謙虚に失礼のないように気をつける。
「木に登るのはなぜですか?」
私と先生で共通の答えを持つ
そして、仮に、
▼木に登る目的は『林檎🍎を取るため』だったとしてみる。
私は、きっと「なるほど〜」と思う。
サカナは 基本的に林檎を好まないが、世間的には美味しいですもんね!
今のサカナ界には林檎は必要ないが、サカナ界にも実は林檎の需要があるかもしれない、と考えるだろう。笑
それに、林檎が取れれば、梨も葡萄も、木になる全てを取れることを意味する。
子どもはサカナだけど、出来るようになって欲しいな、と感じる。
「木登り、大切だな能力だわ!」って、陸上動物である私の経験と照らし合わせて再認識するだろう。
■林檎を取ることにフォーカスして考えてみる
授業の木登り克服のために、
私にとって1番お手軽なのは 、一緒に木に登る練習をすることだ。
木登りは、みんなが取り組むので 習い事や本などの学ぶ機会やツールが豊富だ。
私自身も木登り特訓を受けて大人になった。そのままで すぐ教えられる。
だが、伴走してみると 気が付く。
予想しなかった大きな壁があるぞ、と。
---サカナは 水から出られない。
水から出ると、鱗が乾いて傷ついてしまう。
というか、そもそも呼吸法が違う。
水から出られる時間が、ほんのちょっとしかない。。。
その様子を近くで見て、ようやく実感する。
サカナが教室で授業を受ける大変さを。
水から出る方法を探せば、あるのだろう。
宇宙服のような、水を周囲に身につけて運べる道具があるかもしれない。
なければ、作っちゃう?
鱗は ジェルを塗って乾燥防止、水は ダイバーの酸素ボンベのように背負う?
う〜ん。。。
できたとしても、どちらも動きにくそうだし、火消し的な行動に思える。
ーー猿の木登りと勝負するには、不利すぎる。
頭の中でも、上手く進まないのに、実行する気には とてもなれない。
ここで、目的に立ち返る。
なぜ、木に登る?
そして、思い出す!
林檎が取れればいいんだ!
■まずは、鉄砲魚の技術習得に挑戦
サカナが木に実る林檎を取るために、どんな方法があるのだろうか?
一回、木登りの手段を忘れるように、頑張る。
思い出しても、頑張って忘れる。
忘れようとしながら、考えてしまうだろう。
残念なことに、
子どもはサカナなのだが、私はサカナではない。
元は、サカナだったのかもしれない。
でも、もはやサカナではなくなってしまった。
そして、悲しくなる。
サカナのできることが 分からない。
サカナの気持ちが 分からない。
サカナのお母さんなのに、どうしたら良いのか分からない。
泣きながら、途方に暮れる。
でも、途方に暮れている暇はない。
だって、明日も、明後日も、
子どもは、サカナなのに 木登りを強いられる。
困った時は、調べる。
サカナについて調べる。
調べてもよく分からない時は、周りに聞く。
サカナっぽい特性を持つ人を探す。
すると、
鉄砲魚の存在を知るかもしれない。
鉄砲魚の技術を教える人に出会えるかもしれない。
鉄砲魚のように、
水を飛ばして 射落とせばいい!
でも、きっと私は尻込む。
普通のサカナが、鉄砲魚の技術を身につけるのは大変だろう、と。
だって、私だって鉄砲魚の技術を持たない。
そんなことを子どもに求めて良いのだろうか、と悩む。
でも、気が付く。
サカナには木登りより、鉄砲魚になる方が現実的だ。
それに、
意外とサカナな子どもには、楽しい訓練かもしれない。
少なくとも、木登りよりは 楽しいだろう。
なぜなら、水から出る必要がない。
できるようになった日には、この珍しい技が自信になるかもしれない。
こうやって、鉄砲魚の練習意義を数える。
結構数えられた頃に、気が付く。
そもそも、他に方法は思いつかない。
ーー鉄砲魚の練習経過を見ながら、他を探すことが最良だ
■難しいなら、道具を使う
ここで、鉄砲魚になれた事にしたいが、おそらく難しい。
なぜなら、鉄砲魚の口の構造と、普通のサカナの口の構造は違う。
そして、私は悟るだろう
もはや、クラス内に持ち込みを許可されている”水槽”だけでは、解決困難だ。
今の教室環境のままでは サカナに不利すぎる、と。
だって、
サカナに 木に登れ!と言うのだ。
少し、配慮がないとおかしくない?と怒りも感じるだろう。
でも、怒っても仕方ないから考える。
怒る時間とエネルギーが勿体ない。
何なら、持ち込みを許されそうか?
実現可能な選択肢のみを考える。
子どもの家での様子を見ながら、考える。
そして、”武器ごっこ”と称して、兄妹で遊んでいる姿を見て思いつく。
ーー「これだ!!」と。
水鉄砲を使えるサカナになればいい!
お母さんも、水鉄砲なら上手くはないが使える。
子どもは、水鉄砲なら さほど嫌悪感なく練習できるだろう。
だって、武器は 大好きだ。笑
練習を観察する。
上手くできない時は、理由を考える。
---どうも、水鉄砲の形状が使いにくそうだ。
そうか!
ヒレでトリガーを引くのは難しい
と気が付いた、とする。
そしたら、探す。
触れるだけで発射される水鉄砲を探す。
水鉄砲の使い方を教えながら、先を考える。
ーーきっともうすぐ、私では教えられなくなる。
だって、私自身、命中率が良くない。
私が命中率を上げられるように、練習する?
できるようになれるか不安だ。
いや、そもそも、それでは遅い。
子どもが成長するのは早い。
だから、探す。
サカナに水鉄砲を教えてくれる人を。
『サカナが林檎を水鉄砲で落とす事』を、
面白いって言ってくれる人を探す。
きっと、見つかる。
だって、学校は狭いけど、世界は広い。
そして、探している間に、
応援してくれる人にも出会えるかもしれない。
きっと、自信を失った私のサカナは、
その過程で たくさん学び、強くなる。
そして、
自分のままを楽しめるだろう。
きっと、
『自分のままが良い』と実感する
うーん、そうなって欲しい😭
そうなれたら、何物にも変えがたい経験だ。
******
きっと私は常に、
違うことを選択する度に「本当に正しい?」と迷うことになる。
でも、そんな時には、
"子どもの教育の為に真摯に情報を発信する人" の言葉を聞く。
思い出す。反芻する。
ーー大丈夫。
きっと、方向性は間違っていない。
そして、行動するために 理由をどんどん増やす。
ーー仮に取り組む方向が違っても、
子どもと"考える→挑戦" を繰り返している。
何かの枠組みでは、大切な経験になっている。
誰にも迷惑をかけていないことを確認しながら、少しくらい飛躍していたっていいじゃないか!と自分に言い訳しながら、動機を増やして勇気を持つ。
■親には もう一つ、すべき事がある
子どものサカナは、目の前に集中すればいい。
自分がスキだなって思える選択肢を探せばいい。
自分で考え、経験を重ねる事が子どもの仕事だ。
一方で、忘れてはならない、
親には 必要不可欠な仕事がある。
『木に登る』という出題に、
『水鉄砲で林檎を落とす』も答えの一つと、
先生に思ってもらわなければいけない。
先生と生徒は、対等ではない。
良くも悪くも、先生は学校では法律だ。
先生が認めない答えを持参させ、
「自分で交渉して認めてもらいなさい」では、道が険しすぎる。
そんなことは、もうさせられない。
だって、
うちのサカナは自立心が強い。
学校生活の困りで、滅多に親に助けを求めない。
親に困りが届いた時には、それは結構深刻だ。
既に、たくさん頑張ったのだろう、と思う。
だから、
私は 先生に会って話す。
サカナである子どもの特性を。
木登りの学習に合わない理由を説明する。
共有する。
サカナが大人になった時に広がるだろう世界を。
そして、
夢いっぱいに語る。
世界が猿ばかりじゃいけない。
サカナがいるから、お寿司が存在するんだ。
サカナがいるから、生きている動物がいるんだ。
そして、
先生が新種のサカナを育てるかもしれない。
と、希望を託す。
途中、「?」な部分があっても気にしない。
今の問題は ”木登り" だ。
サカナが海で生き残れるかは、別問題だ。
木登り問題をそのままにしたって、食べられる過酷さは変わらないのだから。
先生のお気持ちは 分かる。
私だって、何度も心が折れた。
なんで、猿みたいにできないんだろう?って。
でも、
猿でなくて良かったって言いたい。
だって、
環境は目まぐるしく変わっている。
猿の世界は、多すぎて狭くなってきた。
きっと、
これからは、水の中の方が生きやすい。
頑張って伝える。
私は、話しながら泣くだろう。
でも、続ける。
きっと当事者のサカナな子どもは、もっと辛い。
先生、
サカナが、なぜ木登りを練習するのでしょう?
木に登る目的は何ですか?
と聞く。
何度だって聞く。
忘れたなら 思い出して欲しい、と念を込める。
そして、
先生が我が家の深刻さを理解してくれた頃に、伝えたい。
でも、先生、
うちのサカナは幸運にも 良い方法に出会えました✨
水鉄砲の練習をしていることを伝える。
とても頑張っていることを伝える。
それまでに、木に登れないか悩んだことも、道具なしで林檎を落とせないか模索したことも伝える。なんなら二割り増しにする。でも、嘘はつかない。
そして、
サカナが水鉄砲を使うに当たり、学校に負担はかからないよう、可能な限り手間は家庭で担うことをしっかり伝える。これは、絶対に伝えないといけない。
▼先生が理解しやすいように、書類にまとめた方がいいかもしれない。
新しい考えは、受け入れるのに時間がかかる。
優しい先生でも、何度も考える事になるだろう。
他の先生と話し合いが必要になるかもしれない。
その時に、考えやすい形に残した方が親切だ。
▼少ない時間で決断できるように情報を用意する。
先生は忙しい。みんなの先生だ。
クラスには、サカナ以外にも様々な生き物が存在する。
1人のサカナばかりに 時間を使えない。
少しでも平等の形を保つために、時間は注意すべきポイントだ。
分かりにくい部分は、予め調べてお渡しする。
■それでも、先生が「サカナに木に登れ」と言うなら。。
この辺りで、サカナの母としては、
サカナだからこその選択を許して欲しい。。。
でも、実際は難しいだろう。
決断すると、責任が伴う。
新しい事は、判断するのに迷うものだ。
先生は、サカナの事を考えてくれようとはする。
でも、同時に他の生徒の事も 同じだけ考えるべき責任を思い出す。
その頃、私は考えるだろう。
ーー話し合いの環境を変える必要がある。
これでは平行線。
時間ばかりが過ぎてしまう。
悲しいけれど、
今の先生の中に サカナを理解する価値観が少なかっただろうと考えてみる。
価値観って、その人の頑張りで すぐに変えられるものではない。
---なぜ分かるって?
私自身、子どもが「サカナなの?」と気が付くのに 何年もかかった。
だから、先生が悪いわけではない。
先生の人生に、サカナ要素のある人との出会いが少なかったのだろう。
人は、欠けているから愛おしいのだ。
欠けているから、チームを作る。
冒頭の感動した、
習い事の先生のセリフを思い出すタイミングは、
ーーー今だ。
話し合いの場に、先生にチームを作ってもらう。
---無理なく価値観を広げて貰えるように。
---決断の責任も分散できるように。
ちゃんとそのチームにサカナらしき先生がいるかも、確認する。
そして、
先方がチームを作ったら、こちらもチームである必要を感じるだろう。
どんなに、サカナについて知っていても、私と夫では当事者だからだ。
私たちの提案に、客観性を持たせる必要がある。
それに、同じ人数揃えないと見劣りするだろう。
背筋が伸びる空気感づくりは、大切だ。
同じ内容の話し合いでも、結果を左右すると思うからだ。
■ここまでくると、気遣われるべきは先生
そして、この段階までくると、
話し合い初めと状況が変わっていることに、気が付かなくてはいけない。
ここまで、話が大きくなると、
もはや、子どものサカナは 弱者ではない。
学校が決断するまで、授業は木登りではある。
でも、きっと、
ーー木に登れなくても、先生は許すようになる。
ーー周囲の子が、木登りできないことを馬鹿にしても、守ってくれるだろう。
先生が変わると、教室内の雰囲気も変わる。
小学生には、先生の影響力は大きい。
教室も授業も同じままでも、
子どものサカナは、以前より過ごしすくなっているはずだ。
一方、
先生の頭は サカナの事を考えずにいられなくなっていると思う。
先生は、通常でも忙殺される日々を過ごす。
サカナ以外にも小さな事件は 多々起きる。
家に帰れば先生にも 家庭がある。
先生には、先生の守るべき生活が仕事と別にある。
先生が使えるエネルギーは、気持ちと関係なく限られている。
でも、対処すべき現実がある。
この先生の精神状態は 大変辛いだろう。
だから、私は感謝を伝える。
感謝なんかじゃ、腹の足しにもならないだろう。
でも、声に出して 感謝する。
"感謝する" を忘れてはいけない、
と心に決める。
そして、
先生に「申し訳ないです…」と思いながら、
待つ。
きっと、
時間が経つにつれて、先生の辛さは減ってくる。
と、勝手に信じる。
だって、
何もしないでいる時より、
ーー状況が良くなる要因しか増えていない。
価値観を広げるのは 大変なこと。
でも、大人だって価値観は変わっていく。
子どもより、時間はかかるが変化する。
---なぜ、分かるかって?
私自身が、大人になって子どものサカナと過ごして価値観が広がったと思うから。
さらに、
先生は 私以上に適応力があるはずだ。
日本の小学校の先生は、「学校の先生になろう!」と、思わないとなれないシステムになっている。どの先生も、「子どもの未来を担おう!」という気持ちを持ったからこそ、教壇に立っている。
親だからサカナの事を考えている私と、志が違う。子どもの側で頑張っている理由が、私よりずっと高尚だ。
意見が違うのは、立場が違うから。
でも、私たちは 敵ではない。
大きな意味での目指す方向は同じで、運命共同体のはずだ。
きっと、
怒ったり、
諦めたりしないで、
根気強く、穏やかに模索すれば、
落とし所が見つかる。
それも、
この教室で、
今いる人で、
実現できる素敵な形に出会える。
今の状態は 辛いかもしれないけれど、
良い結果に繋がっていくと、先生を信じる。
勝手に 信じて待つ。
同時に、
私は常に感謝する。
そして、
感謝したいと感じたことは、"具体的に" 伝える。
具体的な"感謝" は、
先生がサカナを考える良質な材料になる、
と思っている
私は、サカナについては 沢山考えている。
でも、サカナ以外のことは無知だと自覚する必要がある。
実際に、学校の様子を見渡し、行動できるのは先生だ。
親には、先生が行動するための情報収集を手伝うことくらいしかできない。
ちゃんと役割の違いをわきまえる。
せっかく、
サカナについて情報をお伝えするなら、ハッピーな形の方がいい。
先生はとても大変な仕事だ。
子どものために頑張る先生には、少しでも楽しくいて欲しい。
先生の楽しいは、子どもの楽しいにも繋がっている、と思っている。
だから、私は、
声に出して、
具体的に、
感謝の気持ちを伝え続ける
と、心に強く誓う
■この問題、挿絵以外の問題が大きいのでは?思う
これでも、新しい選択肢は増えないかもしれない。
でも、
この過程を経験したサカナは、
新しい環境に踏み出す勇気を蓄えるだろう。
ーー心から、そう願う。
そうなる日も待っている。
******
ここまで考え込んで、再び挿絵を見ると思う。
現場の教育が簡単に変われない
重大な要因が
挿絵に描かれていない
先生が授業内で「サカナの水鉄砲を許可したい」と考えてもできない、
実際に抱える大きな要因。
それは、
猿 や 陸上の動物である『他の保護者』が、
サカナの水鉄砲を批判する
ことだと思う。
実際には、理解ある保護者ばかりで 批判は起きないのかもしれない。
でも、批判が起きる可能性は ゼロと言えない。
だって、私たちはみんな違う。
サカナにとって嬉しいことは、他の動物にとっては嬉しくないこと、である可能性は高い。
でも、私は思う。
学校生活を "行動しない事" で平等にするのは、
何を目的にしているのだろう?
学校を卒業すれば、私たちの子どもは、
日本という大きなチームで生きていく。
その時に、
サカナが サカナの能力を持たない、
木登りもできない状態で、
--猿の幸せに 繋がっているのだろうか?
日本は、弱者に優しい。
生活保護というシステムもある。
うちのサカナが困っても、猿であるあなたの子どもに助けてもらえる。
--これは、猿の幸せに繋がっている?
うちのサカナが、何かの拍子に能力開花した時、行動する事を許さなかった日本に感謝する?
日本に恩を感じないサカナは、日本のチームから出ていくかもしれない。
日本は、人口が減っている。
--それで、猿の幸せに繋がっている?
あなた自身の老後の年金には、私のサカナの健やかな成長が必要ではない?
--今の考え方、あなたの幸せに繋がっている?
本当は、
うちのサカナが自信を無くしてしまう問題は、
私達家族だけの問題ではない。
■サカナの水鉄砲は、猿の幸せに繋がっている
猿に サカナの事を考えて欲しいと願うなら、
サカナも 猿について考えを巡らせる必要がある。
この挿絵の猿だって、
サカナと同じで、不満たっぷりに学校生活を営んでいるかもしれない。
猿は、木登りが得意。
きっと、
猿ならば、授業でやる一般的な木登りは 既に習得済だろう。
そんな猿は授業を楽しめているのだろうか?
既に習得済みでも『礼儀正しく座って聞く』を求められる。
出来ることを聞くのは、さぞ退屈だろう。
他の事をして 気を紛らわせるかもしれない。
すると、おそらく 先生に怒られる。
他の動物は 授業に集中できず迷惑する。
猿は、木登りの授業だけでなく、一日中その状態かもしれない。
うーん、
猿の学校生活も大変そうだ。。。。
でも、おサルさん。
朗報です♪
うちのサカナの水鉄砲が認められれば、
授業中に 猿が学ぶことが増えるかもしれない。
木になる林檎を取るのは ”木登り” だけだった解決法が、サカナのお陰で、水鉄砲を習得するかもしれませんよ。
猿が水鉄砲使えたら、カッコよくないですか?
または、
「水鉄砲だと!?」と猿は気がつき、
自分だからこその 驚きの方法 を見つけてくるかもしれません。
これだと、唯一無二の猿コースですよ!
そうやって考えていくと、
同じ教室、同じ先生、同じ生徒、同じ教材、
同じ環境でも
魅力ある素敵な学校になる 気がしませんか?
私には、そう繋がりが見える。
サカナが水鉄砲を使うをズルいで終わらせるのは、もったいない。
違いを許して
ちゃんと自分について考えると
きっと
選択肢が広がって
猿の幸せにも繋がっていくと思うのですが、
いかがですか?
■サカナの親は必死です。泣
こんな思考の展開を 目の当たりにした人は、
「お母さん、必死で大変ね」っていうかもしれない。
その通りです!
サカナの親は、必死です。
だって、
子どもが、子どもなのは今だけ。
正確には、
まだ子どもの時間はあるけれど、
親にできる事がある子どもの時間は、限られている。
なのに、
日本は、哺乳類ほどに、
サカナの明るい未来に繋がる選択肢が、
分かりやすく転がっていない。
私の子どもが サルでなくても、
ペンギンやアザラシなどの哺乳類なら、
こんなにも焦らないと思う。
でも、
何度観察しても、
サカナっぽい。
日本は、サカナの生息数が少なそう。
本当は相当数いるのかもしれない。
でも、
多くは、
みんな隠しているか、
サカナだと気が付かず大人になる。
急がないと、
うちのサカナは 必要な情報や人に出会えず
出会うはずだった楽しい時間を逃して
大人になってしまう。
自分でも焦ることに不安になる時もあるだろう。
そんな時は、必死になる目的を考える。
それは、
今のサカナ、
未来のサカナ、
両方のサカナの幸せに繋がる選択 をしたいから
目的を思い出して、安心する。
ーー大丈夫。
今の必死な状態は 間違っていない。
ーーきっと必要な行動。
子どものサカナの言葉だけでなく、
表情や行動を観察して、いつも考える。
この選択は、
ちゃんと 幸せに繋がっている?
******
。。。。と、挿絵を見ながら、
考えを巡らせてみました✍️✨
この話は、
サカナの母になりきって考えた話。
現在の私の経験を駆使して展開させた話なので、
来年の私は違う行動を考察しているかもしれません🌱✨
大人も価値観は、経験で変化するはずなので、
考え足らずな部分はご容赦くださいませ😌
こんな空想話に、
最後まで読んで下さった方には心より感謝です。
そして、
今日は、
私がnoteを初めて一周年の日でした🙌✨
いつも貴重なお時間を使い読んでいただき、
ありがとうございます🌷✨
この記事が参加している募集
最後までお読みいただき、ありがとうございます。感謝です。サポートも嬉しいのですが、『スキ』をいただけるならば、ポジティブに今日も頑張れます♪