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暖かい人間関係による故郷の感覚

淡路島に移住してから、同僚でも友達でもない様々な年齢の人たちとの交流が生まれた。東京に住んでいた頃は、「友人、家族、同僚、恋人」以外の人種との関わりは無かった。

第二の実家と呼べるほど心許せるカフェ、一緒に酒を飲んだり地域のことを語らう50代の方、何かと集まってイベントを一緒に開催したりカラオケ大会をする3、40代の方々。なんと呼べばいいかわからない関係の交友が生まれている。

そして、彼らとの関わりはなんとも言えない暖かさに満ちていて、
自分の存在意義を定義してくれているような感覚を覚える。

こういった人間関係には、肩書きは関係ないし、利害関係もない。
食事をご馳走になったりした分、お手伝いをして貢献するといった具合だ。

そして、この関係が切れても仕事にもプライベートにも影響しないため、
嫌になったら縁を切れる状況にある。
それでも付き合いがあるという事は、心地よさを共有出来ているといえる。

こういった温かみを持った人間関係により、その地域への愛着が生まれるのだと思う。

故郷とは景色に起因するものではなく、人に起因するものだと感じている。

そして、良い人間関係が存在する地域のことを好きになっていく。
私は南あわじ市の福良というところに住んでいるが、
阿万や慶野松原といった地域も好きだ。
それは、そこに大切な人がいるからである。

街を歩けば知り合いと挨拶を交わす、自分を一人の個人として接してくれる人がいる。
地方では当たり前のことが、都会からの移住者には新鮮で心の充実を与えてくれるのだ。

東京から友人が遊びに来ると、出来るだけ日頃関わっている地域の人に合わせるようにしている。
ベタな観光施設に行くよりも、こういった触れ合いの方が魅力的だと感じているからだ。

多くの知り合いができたタイミングで友人は寂しそうに東京へ帰っていく。
都会にはない人間関係は20代の若者にもヒットする大切な感覚なのだ。

夕方家の近くを車で走っていると散歩中の仲の良い70代のお姉さん方二人組と出会う。
お互いに気がつくと手を振っている。
それが当たり前の環境で生きていることがなんだか面白い。

話は変わるが、就活生の中で二極化が進んでいるという話を聞いた。
意識高く取り組む人達と、業界や会社などもなんでも良くとりあえず受かったらいいというスタンスで臨む人達に分かれているそうだ。

いつの時代もそうなのかもしれないが、わざわざ話に出てくるということは少し顕著になって来ているのかもしれない。
「働く」、「就職する」という事にモチベーションはなく、それ以外での充実に興味があるのかもしれない。

従来の「仕事が全て」といった価値観は通用しなくなって来ているのかもしれない。そんな中、なんとも呼べない関係の中で暖かく好きな事に時間を割く生き方は魅力的に映るかもしれない。

今の私には、「うちの会社で好きに生きろ」と引っ張って来れる力はない。
ただ、これからの時代を読み的確なアプローチをする事で、地方創生に関わっていきたい。

出来ることを増やし、地域の中の良い人に私の成長を楽しんでもらえるように、
これからも進んでいきたい。


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