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ヴェネツィアの新たな価値に迫る

皆様こんにちは。
本田拓郎(Takuro Honda)と申します。
この記事へお越しくださいまして、
ありがとうございます。

 このnoteでは、今現在観光業に就いている私が、私の目線で、「観光・旅行・歴史・文化・教育」について、知識や新たな発見の提供、その他自論を展開し、「勉強になった!」や「こんな考え方もできるなぁ」という、古代ギリシャでいう、「アゴラ」のような場所を目指します。
 私が勉強していることを皆様とも一緒に学ぶというスタイルで、記事を創っていきます。

 海外旅行の需要は高まるばかりですが、供給がそれに追いつくか不透明な状態が続いてます。政府もまだ、越境の旅行を控えるように指示を発してます。私の記事も海外のネタを控え、国内のネタばかり発信してきました。しかし、今回はどうしても、海外ネタについて書きたいことができたのでお話しさせてください。

 緊急事態宣言が解除されていますが、まだ越境の移動は控えてください。旅行のプランを練る、行きたい場所についての学びの機会を設け、モチベーションを上げるのが今やるべきこと。旅行機会は絶対に戻ってきます。

今回は論文調なので硬くて読みにくいと思います。
拙い文章力と乏しい考察力ではありますが、
よろしくお願いいたします。

1. ルイス・ブルニャーロ市長の主張

 年間およそ3000万人の観光客が訪れるヴェネツィア。毎年2月にカーニヴァルを開催していますが、今年はフィナーレを待たず中止した。背景はもちろんCOVID-19。ちょうど2月から3月にかけて、イタリアで猛威を振るい、ロンバルディア州、ヴェネト州、エミリア=ロマーナ州の3州は、ほぼ閉鎖状態に追い込まれた。観光客の受け入れもなくなり、街は地元市民のみに。

 ヴェネツィアの歳入のほとんどは観光関連で、年間およそ30億ユーロを計上している。リオネル・メッシの市場価値のおよそ30倍。そんな観光都市から主力産業が消え、都市としての存続が危ぶまれるかと思いきや、ブルニャーロ市長の方針は既に固まっていた。

 大きく掲げた方針は2つ。まず、「移住の推進」。かつては貿易で栄えた大都市だったヴェネツィアは、今や当時の人口の3分の1しか本島に住んでいない。市長が目指すのは、アメリカのボストンのようだ。ボストンといえば、ハーバードやMITといった世界屈指の学術都市。ヴェネツィアも本島に大学があり、その学生用のアパートとして、観光用賃貸を利用するという考えを示した。そして何よりヴェネツィアは、街が書籍と言えるほど歴史が詰まった場所である。学生がそのまま定住し、研究を続けることや、新たなビジネスを始めることを目論んでいる。

 2つ目は、「研究拠点としての整備」。気候変動の研究センターをヴェネツィアへ据え、学者や研究者の誘致を進めようというものだ。ヴェネツィアはアックア・アルタと呼ばれる高潮を始め、特有の気象現象が発生する。ここを拠点に世界の気候変動と現象についての施設を設ける考えを示した。

 これら2点に共通して言えることは、観光都市から学術都市への転換を計ろうとしていることだ。歴史や現代の課題を理解したヴェネツィアらしい転換と言えるだろう。市長も「暮らしを見直すチャンス」と発言している。では、今までの主力産業の観光業はどうなっていくのか。そのキーワードは”sustainable"である。

2. 「観光都市」としての終焉なのか

 はじめに、”sustainable”とは、「持続可能」を意味する。1992年の国連環境開発会議にて採択された「アジェンダ21」では、観光業は持続可能な開発を達成するための経済分野の1つと提言された。それに伴い、「マスツーリズム」は益々発展を遂げ、観光地と呼ばれるような都市は、莫大な経済利益を得るようになった。

 マスツーリズムとは、「旅行の大衆化」と言えば良いだろう。安価に手軽に旅行ができるようになったことで、送客数が増加した。特に、文化的価値の高い建築物や都市が多いヨーロッパでは、観光客を迎え入れるための整備に着手する自治体が増え、世界各国から観光客がやってくるようになった。

 ヴェネツィアもその1つだ。世界でも珍しい海に浮かぶ街は、他の都市と一線を画す、圧倒的有利な観光材料だった。2019年には観光客を相手に新たな税を徴収することを決め、更なる観光収入を確保した。しかし、ここ1年のヴェネツィアは災難だらけだった。2019年11月には大洪水に見舞われた。2月のカーニヴァルで復活を遂げる予定だったが、今度はCOVID-19がやってきた。そして州の封鎖まで行われ、観光を財源としていた店舗やホテルは無くなっていった。

 加えて、増え続ける観光客に基盤が悲鳴を上げていた。皆さんはヴェネツィアの都市構造をご存じだろうか。どのように水の上に浮かんでいるのかご存じだろうか。「」である。ヴェネツィアは遠浅な干潟の上に建てられた。水と都市形成の関係に詳しい法政大学教授の陣内秀信氏も、自身の著書の中で、「寄木細工のような島々」と記している。そもそもヴェネツィアの起源を辿ると、古代ローマまで遡る。そんな長い時間、街を支えていたのは木なのだから、物理的ダメージを大きく受けているに違いない。年々潮位が上がると言われている高潮は、地球温暖化もそうだが、基盤の沈下が原因の1つとも考えられている。

 このままでは持続可能どころか、観光都市としての終わりを迎える方が早そうだ。しかし、市長を始めヴェネツィア市民は活路を見出そうとしている。それを紐解くのは、ヴェネツィアがこれまで歩んできた歴史だ。

3. 歴史の輪廻転生

 市が導き出したヴィジョンは大きく3つ。1つ目は伝統産業に経済的優遇措置を採ること。2つ目は昔ながらの生活習慣を継続させる策の提案。3つ目は新ビジネスを展開する業者の誘致。つまるところ、過去に戻りつつ前へ進むという風に捉えることができる。

 今回のような感染症パンデミックは100年ごとに起きるという説が流布しているようだが、その発端は「ペスト」だろう。ヨーロッパの人口の3分の1もの人が命を落とした。ヴェネツィアの安定期に大流行した。この時のヴェネツィアはどのように凌いだのか。まずは、大流行しているヨーロッパへの交易をなくし、さほど流行していないアジア圏との交易に注力した。交易都市のため、人も物も多く出入りするヴェネツィアが採るべき措置であろう。そして、カナル=グランデの建設だ。要は、街全域に海水を流し込むことで、淡水に溜まったウイルスの発生源をアドリア海へ逃がすことに成功した。

 現代で考えてみよう。同じことができるだろうか。私はこの中にヒントはあると思う。「交易都市」に戻ることはどうだろうか。航空機の登場で海上輸送は衰退していったが、航空輸送よりもコストは低い。ヴェネツィアの伝統産業はガラス細工や繊維工業である。航空機での輸送では赤字決算になるだろう。地中海内であれば当時より船舶での航行の時間も短縮しているはずだ。海上都市という地の利が功を奏す。さらに、新たな運河開発なんてしなくても良い。景観を破壊することなく都市の再生が可能なのではないか。

 弊害は都市の老朽化だ。今のままでは恐らく耐えるのは難しい。そこで「学術都市」としてのヴェネツィアの意義が見えてくる。気候変動と都市基盤について十分な調査と研究を重ね、策を練り、実行に移す。今がまさにそれを為す最善のタイミングだとも考えられる。そしてその過程が新たな文化的価値の発見がある可能性も秘めている。

 かつてのような経済システムでは、観光収入分をすぐに取り返すのは不可能だ。しかし、これからもヴェネツィアが生きていくためには、長期スパンで様々なカラーを出しながら、辿ってきた道をもう一度歩むというのは、悪くないと思う。文化的価値の回復にも繋がることが期待できるだろう。「交易都市」、「観光都市」の歴史的輪廻を辿り、新たな「学術都市」としての一面を見出し、復活を果たしてほしい。

4. ヴェネツィアの未来は

 ヴェネツィアは今年中のクルーズ船寄港を全て中止した。観光客は短期間で大きな移動をするため、感染症拡大における大きな媒体と言える。その点、観光客ではなく、「定住」にフォーカスした市長の考えは称賛に値するだろう。都市内での封じ込めを、観光より容易に行うことができる。

 街は観光がないと生活できない体質になってしまった。市長も7月にはフェスティバルで観光都市復活を目指しているようだ。時期尚早な気もするが、新たな価値との共存を目指し、成熟したヴェネツィアを創造してほしい。そのために、ヴェネツィアの歴史と現状に向き合い、ヴェネツィアが再び栄華を取り戻すために、より具体的な施策を示し、市民へ理解を促してほしい。

 私は市長の方針には大いに賛成である。しかし、新たなスタイルを打ち出す時、多くの人へ理解を促すのは容易ではない。ただ、ヴェネツィアの人々は歴史的プライドが高い。そこは理解してくれるのではないだろうか。市長の腕の見せ所。今後も市長の動向に注目していきたい。

 ヴェネツィアほど、観光都市に向いている都市はないのではないだろうか。訪れる者を惹きつけ、多くの文学作品の舞台となった。そして、多くの歴史的事件の主役を担った。だから私はヴェネツィアについて大学で研究し、論文を書いた。今こそ新しいヴェネツィアの価値を世界に知らしめ、新しい歴史を歩むきっかけにしてほしい。ヴェネツィアの未来は明るい。

長くなりましたが、
読んでくださいまして誠にありがとうございます。
Ciao...

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