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【シリーズ 福岡今昔】Vol.1先史の福岡

皆様こんにちは。
本田拓郎(Takuro Honda)と申します。
この記事へお越しくださいまして、ありがとうございます。

 このnoteでは、今現在観光業に就いている私が、私の目線で、「観光・旅行・歴史・文化・教育」について、知識や新たな発見の提供、その他自論を展開し、「勉強になった!」や、「こんな考え方もできるなぁ」という、古代ギリシャでいう「アゴラ」のような場所を目指します。私が勉強していることを皆様とも一緒に学ぶというスタイルで、記事を創っていきます。

 さて、2022年になったことですし、新たなシリーズを始めようと思い、『シリーズ 福岡今昔』と銘打って、福岡市の歴史を学んでいくnoteを今日からスタートさせます。最終目標は、来年の福岡検定で合格することです。

拙い文章力と乏しい考察力ではありますが、
最後までお付き合い、お願いいたします。

1. 福岡の地形と人間の定住

 そもそも福岡市って結構広いんですよ。多くの日本人の方は、天神やら、中洲やら、博多やら、大都市部分のイメージが強いと思います。そりゃ人口150万以上を抱える日本屈指の大都市やけんね。

 でも、長閑な郊外、玄界灘を望む沿岸部、自然豊かな島嶼部など、市の総面積はなんと約343㎢。だいたい、カリブ海に浮かぶ島国のグレナダと同じくらいの広さですね。

 大部分は福岡平野とか早良平野とか、あまり起伏のない広大な平野が占めとって、人間が定住するにはもってこいの地形なんですね。それでいて、南西部には背振山地の北端が含まれとるけん、豊かな水資源を得ることが出来て、より人間にとって住みやすい環境が整っとるわけなんですね。

 それは現代に限ったことやなくって、ずーーーっと昔から変わらんとよ。

2. 福岡に残された遺跡

 縄文時代とか弥生時代から、実は福岡の辺りには人間が定住しとって、たくさんの集落が存在してました。福岡市内にはそれを証明する多くの遺跡が残っとります。

 たとえば西部の福岡市西区辺りは、かつて「伊都国」っていうクニがあったとされていて、中国の歴史書『魏志倭人伝』にも記録が残ってます。『魏志倭人伝』って卑弥呼が統治していた邪馬台国の記述もある書物やけど、まさか、福岡に邪馬台国が。。。?

 その中でも、石斧製作地だった今山遺跡や、環濠集落を形成していた今宿五郎江遺跡は、伊都国が大規模だったことを証明する重要な遺跡らしいばい。

 実は南東部にも重要なクニの存在を証明する遺跡が多く残ってます。そのクニの名前は「奴国」。東区の志賀島で出土して、福岡市博物館所蔵の国宝金印にも「漢委奴国王」と刻まれてることで有名な「奴国」。ってことはやっぱり邪馬台国って。。。?

 これも、博多区の比恵遺跡とか那珂遺跡は、奴国の存在を示す集落の遺跡で、那珂遺跡内にある那珂八幡古墳は九州最古級の古墳で、有力者の墳墓だったことがわかってるようです。

 大昔から福岡は人間が住みやすく、大都市を形成していたってことがわかりますね。その大きな要因はやっぱり地形ですね。平野・海・山・川のまとまった地形こそ、現代の福岡が築かれた最も根底にある重要な部分です。

3. 太古の福岡での生活

 日本列島における旧石器時代から縄文時代にかけての生活は、ナウマンゾウやオオツノジカといった大型獣の狩猟が主でした。現代の福岡市にあたる九州地方北部地域でも同じような生活が行われてました。

 南区の柏原遺跡などでは台形様石器、博多区の諸岡遺跡などではナイフ型石器が出土しており、これらは矢や槍の尖頭に装着したり、皮や肉を剥いだりするで、これらを用いて狩猟生活が営まれていたと考えられとります。

 旧石器時代と縄文時代の間に氷期が訪れ、それに伴い植生が大きく変わったことで、人々の生活も変化していきます。主に肉食だった生活から、ドングリ類や植物の根を食べるようになりました。そこで、「煮炊き」を可能にするために「土器」が出現したというわけですね。

 もちろん狩猟も継続されていましたが、獲物は大型獣から、シカやイノシシといった森林に生息する中型獣に変わりました。さらに人々は竪穴式住居を建て、「定住」を始めたのです。

 南区の野多目遺跡では、「ドングリピット」と呼ばれる貯蔵穴が多く発掘されました。早良区の四箇遺跡では、土器の表面にアズキの圧痕が残された状態で発掘され、周辺で栽培されていたと考えられています。この「貯蔵」と「栽培」というキーワードは、「定住」に結びつく非常に重要なものです。

 また、イニシエーションとして、女性は貝輪のアクセサリーを装着し、男性は成人儀礼として「抜歯」を行っていた痕跡も出土しています。さらに、出土した土器や道具には、朝鮮半島の黒曜石が用いられているものもあり、その規模はわからないものの、対外交流をしていた証拠として考えられています。

 やっぱ人間が住み始めたころから、この地域は港としての機能を持つには好条件な地理やったんやろね。

4. 次の時代への足がかり

 さて、今日はなかなか史料が残っとらん、先史時代の福岡について話してきたけど、現代の福岡に通じるものがいくつかありましたね。

 でも、福岡市内にはその時代を物語る遺構がたくさん残っとるし、出土品もかなり貴重なもんばっかやけん、これからまだ研究が進んで、歴史という物語のページがどんどん増えるかもしれんね。

 この時代が、福岡だけやなくって、日本列島における人間の生活の始まりやけん、しっかりと押さえて、これから福岡と日本が発展していく姿ば見ていこうかね。

今回も最後まで読んでくださいまして、誠にありがとうございます。
また次回お会いしましょう。

〈参考文献〉
・『福岡博覧』福岡市博物館監修, 2018年, 海鳥社

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