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いま、求められるもの。創造力から、想像力へ。

クリエイティブ、及びクリエイターに求められるものは、その時代のメインストリームやサブカルチャーなど、受け手が社会的な変容をする中で最適な解を表現できるかどうかということに尽きると思う。

その中で近年でも時代の変化を大きく感じられる事案が多く、それがある種のトラブル化していることもあるので改めて、いまどんな変化が起きているのかを分析してみたい。


平成のクリエイティブ

ここではあえて、ひと時代前のクリエイティブをあえて「平成の」と呼ぶことにする。実際には平成の終盤にも当たり前化している事案もあるので、比喩ということを前置きとさせてもらう。

平成のクリエイティブの大きなテーマは「無個性からの脱却」であり、「個性の認識」だった。

ひと昔前までは個性を発揮しなくても社会のレールに乗る努力をすれば道を外すことはなく、多くの人が勉強し、就職し、仕事して、結婚して、老後を過ごすというそれとなくの正解があった。

それがバブル崩壊やグローバル化によってそれまでの当たり前が崩壊し、個としての強さが求められるようになった。

その時代背景を煽るように、「個性を見つけよう」「自分らしい選択を」「負けない強みを」といった個性を追い求める表現が増えた。

(それまでは「恥ずかしくない選択を」「◯◯は欠かせない」「夢のマイホーム」などの社会のレールを意識したものが多かった)


令和のクリエイティブ

その一方で今の時代においては個性の尊重は当たり前であり、その中でダイバーシティへの理解とともに、マイノリティ性への理解が大きなテーマになっている。

それまで陽の当たらなかった世界に棲む人たち(=今までのクリエイティブで生きづらさを感じていた人たち)への配慮を行うことはいまのクリエイティブの世界にとって大きな使命であり、現状では多くの誤解が見受けられている。

そこには日々の変化スピードの増進があって、その速度についていけていないクリエイティブが炎上している現状がある。

これはつまり、クリエイティブに求められることが自己を確立する創造性から、違う立場のアイデンティティを思いやる想像性が重要視されてきている時代の変化を表している。

クリエイティブを通してのコミュニケーションの中でそこの創造性が欠けることでいくら創造的な表現であっても評価をしてもらえないのは大きな変化であり、その速度は日々、加速をしているからこそ、クリエイティブに関わるひとたちは学び直しが必要であり、この先も想像力からどんな変化をするのか注視しておかなければならない。

抽象的な表現の提案にはなってしまうが、いまなぜ世界のクリエイティブが炎上しているのか、そこになぜ怒りが湧くのかが理解できない方はぜひこの機会に社会の課題とされている事象について学びを深めてみてほしい。

そこにいま求められているクリエイティブがあり、過去のクリエイティブが立ちはだかるのが理解できるだろう。

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