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「オタクの楽園」の住人は男性だけではないのだが…?(前編) ―堀田純司『萌え萌えジャパン』―

 オタク文化を扱う本は色々とあるが、この記事で取り上げる堀田純司氏の『萌え萌えジャパン』(講談社)は好意的にオタク並びにオタク文化を扱う本である。ただし、2005年発行というだけあって、さすがにちょっと情報が古い。今時のオタク文化を語るに欠かせない初音ミクなどのボーカロイドが普及する前の時期だけに、いささか物足りない。
 とは言え、この本は日本のオタク文化の基本をだいたい踏まえているだろうと思うのだが、それはあくまでも男性のオタクさんを中心とした見方をした上での事である。現代の消費の主役は女性だと指摘していながらも、その女性からの視点を欠いているのが実に残念だ。もっとも、私が次の記事で取り上げる『嫌オタク流』には、ある女性漫画家が「オタク男性と結婚するくらいなら、自分がオタクである事を隠して非オタク男性と結婚したい」と言っていた話がある(すごい打算もろ出し!)。ああ、こりゃ『電波男』の本田透氏が女性嫌悪に陥るのは当然だな。

 それはさておき、この本ではボークスのスーパードルフィーなどのお人形を扱う章もあるのだが、ここでこそ女性のドールオーナーさんたちにインタビューして掲載してほしかったのだ。まあ、「オタク呼ばわりされたくない」女性ドールオーナーさんたちも少なくないだろうが、いわゆる腐女子も含めたオタク女性を無視するのがこの本の最大の欠点なのだ。
 女性のオタクさんも男性のオタクさんと同格に取り上げるならば、ゴスロリなどのファッションも扱うべきである。そもそもゴスロリなどの原宿系ファッションだけに限らず、女性のオシャレに対する情熱とはまさしく「オタク的」ではないだろうか? 特にネイルアートは女性のオシャレにおける「オタク性」の頂点とでも言うべき分野だ。

 この本のテーマである「萌え」の定義も、女性や性的マイノリティ男性の目線を無視している(どこかで「ゲイのオタクさんは意外と多い」と聞いた事があるが…)。「萌え」の対義語は「萎え」ではなく「漢」だというのは、女性やゲイ男性にとっては納得出来ないだろう。少なくとも、世の中には「男らしさ」に対する「萌え」を感じる人たちが(必ずしも女性やゲイ男性だけに限らず)いるのだから。
 私自身は「萌え」というものを「自らの理想に対する思い入れ」だと思っている(いわゆるピグマリオンコンプレックスね)。それらはプラトニックな場合もあれば、ポルノ的なイメージの場合もある(そう、『嫌オタク流』での「萌え=ポルノ」という乱暴過ぎる決めつけもあながち的外れではないが、それは決して男性のオタクさんたちだけに限った事ではないのだ)。キャラクターや物体などに対する即物的な思い入れもあれば、人間関係に対する思い入れもある。前者は「単体萌え」と呼ばれ、後者は「関係性萌え」と呼ばれるが、前者は男性に、後者は女性に多いようだ。精神科医の斎藤環氏は「男性は所有原理が強く、女性は関係原理が強い」と定義しているが、男性の「単体萌え」は所有欲で、女性の「関係性萌え」は他者との関係性に対する理想主義を反映しているのだ。
『嫌オタク流』での「萌え=ポルノ」という偏見もろ出しの指摘はあながち的外れではないが、これだって、男性は自分を中心として単体のキャラクターに欲情し、女性は傍観者目線で人間関係に欲情するのだ。とは言え、女性も単なる「傍観者」としての欲望を満たすだけではない。いわゆるティーンズラブという女性向け異性愛フィクションのジャンルが生まれたのは、ボーイズラブだけでは満たされない欲求を満たすためなのだ。

 自らの理想主義に対するナルシシズム、それが「萌え」の本質ではないかと私は思う。人間にとって一番の「親友」であり「恋人」であるのは、他ならぬ自分自身だ。オタク文化が世間で色眼鏡で見られるのは、その本質が「ナルシシズム」だからではないだろうか?

【Evanescence - Call Me When You're Sober】
 この曲、アニソンじゃないのにアニソンみたい。そう思うのは私だけかな? 少なくとも、仮にこのバンドが日本のバンドだったら、一般J-POPでは売れなくても、アニソン界ならば「メタル版アリプロジェクト」として人気が出そうだ。


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