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パリオリンピック開会式から見えた、日本人のネガティブなことをエンタメやアートに昇華できない、昇華しようとしない広告的発想、あるいは町おこし的発想

タイトルですべてを語りました。以上です。

むりやり敷衍すると、クライアントから受けた仕事にはネガティブなことを落とし込めないし、それが町おこしとなったらなおさらで、ネガティブなことを放り込んだら町おこしにはならないから、そうならざるを得ないんです。
当たり前です。

ちなみにですが、アメリカでは事件のあったレストランやホテルなどは人気が出るらしいです。事故物件とは少し違いますが、日本人なら忌避するところをアメリカ人はこぞって訪れるのだとか。
箔が付いて宣伝になるんですね、不思議です。
日本も「津山三十人殺し」などで村おこしでもやってみたらどうかと思うんですけど。もしやっていたら、今、大都会になっていたりして。それはないか。

しかし、ギロチンされたマリーアントワネットを登場させるのはいかがなものかと。
なぜなら子供や残酷表現が苦手な方々も見ていますから。
歴史から目を背けるなと言われても、ビジュアライズする必要はないと思いますし、ビジュアライズするという行為は、たとえば映画やゲームなのどレーティングが何のためにあるのか意味をなさなくなる気がします。

と言うわけで、意外にも、広告的発想や町おこし的発想を否定的に捉えることはやめにしようという、最初に思ったこととはまったく逆の地点に着地しました。

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