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とりとめのない日々を綴る DAY13~真理を得る夢を見た


ある日の夢

今年に入ってから、あまり夢を見ないような気がする。
覚えてないだけだとは思うけど。
そんな数少ない夢の中で、情景とか一切覚えてないけども、印象に残っている夢がある。
冒頭のタイトルにあるように「真理を得た!」と感じる夢である。
アハ体験というのか、直前まで何をしていたとか、どこにいる場面とか背景がまったくわからないのだけど、ふとすごく深い理解を自分の中で発見し、
「そうか、そういうことか!」と声に出す夢だ。
心情は、スッキリと晴れ渡った青空のごとく、なにも心配することもストレスもなく、「これこそが(自分が生きていく上での)真理だ」と思っていた。
同時に、「これでもう大丈夫。何をしていても、何があってももう私はこれがわかっていれば生きていける」という底知れぬほどの安堵が自分を包んで、しばらくはこれに放心した状態で浸かっていたいと思ったほどだ。
そこで、目が覚めた。
で、その真理がなんだったのか思い出せない。
というより、夢の中の私は、その真理を直感で得たようで、言語化して自分にしみこませるまでまだ時間がかかるなという状況だった。
すぐにでも言葉に変換して刻み込もうと思っていたら目が覚めたのだ。
どんな真理だったのか、起きたとたんに、波が砂浜のメッセージをさらっていくように数刻ごとに薄れて見えなくなってしまった。
あっという間だ。
ただ、あのときの気持ちいいほどの「そうか!!!」という爽快感と
「ああ、もう大丈夫だ~」という強い安堵感を忘れられないでいる。

答えはいつも自分の中に

この言葉、どこの自己啓発本にもありそうだし、スピリチュアル系の本にも載ってそうだ。
でも、間違いではないなと思う。
ただ見つけるのは、簡単ではない。
わたしは、自責の癖は昔より軽減したけど(幸い、ストレス過多な環境から距離を置いたことが大きいし、自分でも練習したから)、それでも、自分の中に答えを探せるほどの何かがあるのだろうか? という疑いはぬぐえずある。
今年はいろんな占いで、「新生」「生まれ変わる年」と言われるのだけど、そうなるには多分今まで自分が「安心」と思ってる何かを捨てることになるかもしれないと思ってる。

わたしは、わたし自身が思考が先行してしまうし、そこに時間がかかるし、自分のペースを自分以外のなにかに速められるのが一層嫌いというか無理なのは、もうそういう生き物なので、どうしようもないけども、そこから具体的な行動に移していくプロセスがなかなか築けない。

というか他人に頼れない、頼っても「これじゃない」という場合が多くて、
でもそのしっくりこない感覚を自分で具体的に言語化して理解できないせいで、結果自分一人で全部しなきゃという強迫観念が強い。
頼る先や自分でする部分を明確化できないと迷子になってしまう。
という学習をしているので今も身動きができない状態なんだろうな。

五里霧中

まさに今の自分がそう。
今、自分という意思以外の側面で、この先について決断を求められることになってしまって、かなり不本意。
自分を突き通せばいいけど、狭い家の中でいるとその決意も揺らいでしまう。
お金、あまり使いたくないと思ってたけど、いったん外に出てみようか。
超絶現実逃避かもしれない。
けど、自分一人だけで自分の感覚を実感したい、自分のあらゆるものに対して反射的にわく感覚や感情にひとり集中したいという衝動が最近、大きい。
誰かの気配があると、意識して除外しようとしてもそっちに気を取られてしまう。

つい先日、前職の先輩から話を聞いてほしいということで連絡があったので、数日内に食事をしにいく。

相変わらず職場の状況や、現場で働いている間接部門の女性の扱いは悪化の一途の模様。

年末ごろから親友には、雪などの冬ならではの道路状況の心配もあって直接会って話せてないのもあって、家族以外の人間と話せていない。
別の人と話してみたい、議論でも討論でもなく、ただ日常の愚痴、喜びなどなんでもないことを、と思っていたところだったのでありがたくもあった。

ただ、私はお互いを何も知らないうえでの雑談(この人がどうだった、こうだったとか)は好きではないので、ある程度相手のことを知っていて、自分だけではなくこちらの話もさえぎらず、なおかつ流さずただ聞いてくれる相手がいい。
会社の内情を知っていて、現実にはその職場にいない私は、事情はわかるけど愚痴って何かしら影響が出ない相手だから都合がいいのだとは思うけど、話したいと思った相手にわたしを思い浮かべてくれたのも一つの縁だとおもう。

もちろん、ただの愚痴のゴミ箱扱いしてくる人もいるので、そういう人とは縁が繋げないように気を付けてはいる。

今回は、メインが相手の愚痴や悩みになりそうなので、大きな期待はしない。
ただ単純にその時間を楽しんで、自分を包む固定化した空気へ小さくとも波を与えてゆるやかに動かせたらいいと思う。

世代あるあるなのかもしれないが、家族が最近の政治への不信などから「この先、世の中に希望なんてない」ということばをよく声に出す。
現実の厳しさやしんどさばかり伝えてくるニュースが多い。
大事なことではあるけれど、今のわたしにはそのままそのネガティブさを受け取り続けるのは良くないことだと感じてる。
またそれを見て、この先の将来をすべてネガティブに断じ切る身近な人間のことばの鋭さは、ほんとうにしんどい。
自分が切られたような気もする。
わたしは、その世の中に、この世代より長く留まる可能性が高いので。

情報量と把握とメンタルと

最近、転職サイトのスカウトサービスをしぶしぶ登録しだした。
ただ、予想していたよりかは企業からのスカウトメッセージはいただくけども、事務なのに建設業関係にいたからと施工管理業務のスカウトがきたりと
???となることも多い。
2,3件はお断りボタンを押していたけど、それも負担になってきた。

それとは別に求人メールが大量に入る。
その未読件数の圧にウッとなってしまい、PCを開くのが日に日におっくうになる。
スカウトメッセージが来た内容を開いて、職務内容、給料、労働諸条件を見て、かつ企業評判を検索して調べるだけでもすっごい心的負担が大きい。
わかってはいたのだけども。
人間と同じでどこでも短所があり、どこでも長所がある。
なにを短所になにを長所にとらえるかは、自分の主観にもなるけども。
他者の評価、そしてそれを見たわたしの評価、きらびやかで楽しそうな求人詳細。色の彩度の落差や濃度の落差で目がチカチカする。

3、4年前は、時間もない以上にメンタルに余裕がなくて、転職サイトに登録するのも怖がっていた。
電話でなんども面談しようとコンサルタントから連絡がきたり、メールの受信トレイが会社の求人情報で埋め尽くされるのを具体的詳細に想像して、吐きそうになっていた。
その後、恐々登録してみたものの、最近まで案の定何度もコンサルタントから意味の分からない時間帯に着信、留守電が入るし、受信トレイは求人情報で埋め尽くされている。

吐きそうなほど鬱手前に入るくらいのメンタル状況よりかは確かに、今は安定はしてる。最低のところからの比較だけども。

昨年秋には、業務委託だけど転職サイトから初めて応募ボタンを押すことができたのは急成長だと言える。
だけど、…しみじみ思うのは、わたしは就職活動も転職活動も合わない。
体質にも気質にも。
ただただ、負担が大きい。
ここまで抵抗感があるのは、実は心の方に問題があるんではないかとカウンセリングを受けたこともある。( 以前noteにも書いていた)

これは、やってみてよかったと思う。
対面で話すにはどうしても勇気がでなかったので、自分でも整理しながら伝えられるメッセージカウンセリングにした。
向き合うべき問題が自分の中にあるのは事実だとは思うし、ただ三回ほどのメッセージでのやりとりだけでは解決しないという気づきもあった。
たぶん、これは継続してカウンセリングを受けていく必要があることだと思う。
考えのゆがみとか、どうしてそう思うのとか自分一人でなくプロの人に伴走者になってもらって長期でゆっくりと向き合っていかなくてはならないものだと。
そうなると、現実問題としてお金が必要となってくるし、続けるには経済的な負担と心的負担がかかるので、結局この直後に続けることなく1年が経っている。

となると、なにも解決はしないまま、自分の心と相談しながら活動する必要があるんだけども。
結局、しみじみ自分は、心の問題だけでなく、多分性質的に一般的な就職活動、転職活動が向かないと気付いた。

こう思ってても、「自分が就活に向かない」と表することに抵抗が実は強くあった。
理由としては「世間は甘くない」「そんなのは甘え」「弱い人間の言い訳」とどうしても責めたい人たちから言われるだろうと思ってた。
だから、誰かに言ったことはなかった(親友には無職になってから言ったけど)。
キャリアブレイクという固有名詞も一部では広まりつつあるが、採用業界ではまだまだ、単純に空白期間をマイナスとらえられるし、スピード重視、量重視で応募させる空気だし、ペースが乱れると途端にぺしゃんこになる自分にはとてつもなくしんどい。
そして、そういう自分に「世の中で生きるの向いていないな」としんどくなってしまう。直面したくなかった。
そして、多分わたし自身がわたしに対して「そんなのは甘え」「弱い人間の言い訳」と自分を一番責めている。

実は、家族から紹介できる伝手があるかもしれないと言われている。
今までも人の紹介から来ていたので、自分で就活をちゃんとして入ってみる
べきなのかもしれないと思っていた。
でも、これも自分が作った「べき思考」であって、誰に強制されたものでもなく、なんとなくまともに一般的就活をしてきていない自分への劣等感、罪悪感(何に対してかわからない)からくるものでもありそう。
家族の紹介となると地元に残るのは絶対となるので、それもどうするかと悩みどころで。
せっかく、苦境から脱出したのにまた違う苦境へ移るだけになって、実家も出ずにいいのか?と。
ただ、アメリカの政治情勢なども考えてくると今年中に会社員に戻るならば戻らないと色々と難しいんだろうなと現実的な自分がささやいてくる。
会社員に戻るなら、今までの実績に頼る事務としての転職となると思うので、この時期から求人が出てくるから近いうちに答えを出さないといけない。

どうしても現実的な自分が強いな~と思うと同時に、それとは別に自責には意識をもっていかないように気を付けよう。
直面する現実は厳しいと感じても、わたし自身の価値とは関係ない。

それでも大事なことは忘れないでおく

大事なことは、自分がまず第一であることを常に意識しておくこと。
いつか無意識にそうであれるように。
ドライなようでいて、わたしは周囲の人間に気持ちを寄せてしまって余計に背負って余計に気遣って、なぜか余計に頑張っていることが多い。
そして、理解できない言動をされると心底驚いて、そういう存在が存在すること自体に納得と受容ができなくて、何をするにも苦しくなってしまう。
前職がそうだったような気がする。
不器用なので、きっとすぐにはうまくできないかもしれないけど、期待はせず、自分が相手や周囲に提供できるものを線引きして、どれほど疲弊していても潰れない大前提だけども、自分を喜ばせ楽しませる時間を確保する。
自分を喜ばせ楽しませることに労力を惜しまない、休ませることにも。
仕事の時間を優先することを自然に受け入れない。
責任感は大事だけど、自分を大切にするという一番重要な責任こそ優先すること。
あの夢で見た真理はきっとその近くにあると思う。

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