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パソコン通信の話、パソ通時代からあるCHAT

こんにちは、あぷるです。
今回、死語となった「パソコン通信」について語ります。
インターネットという言葉が常識ワードになる前、コマンドラインで通信をしてました。ほかには、パンチカード式の計算機や、FORTRUNという言語で汎用コンピュータに計算をさせたり・・・そしてネットで通信の時代が来たのです・・・・

そんな、昔話にお付き合い下さい。

パソコン通信とは

 インターネットが急激に普及する以前、1980年代後半~90年中頃における会員制の電子メールや電子掲示板などのサービス。
 インターネットとは似ているのですが、パソコンからホストコンピュータへの接続することで、それらサービスを受ける。 当時の電子メールは、今ととほぼ同じです。電子掲示板も同様ですが、特徴的なことを補足します。
 電子掲示板は、BBS(Bulletin Board System)や会議室(フォーラム)と当時は呼び、そのBBSに書込み、閲覧を特定メンバーに限定したりと今と同じ部分はありますが、あるプロバイダに加入すると、そのプロバイダーのて管理するホストコンピュータに保存される電子メールや電子掲示板しか、閲覧・利用できませんでした。もちろん、そのプロバイダから他のプロバイダへの通信はできませんでした。会員制の閉じた世界でした。他にも、インターネットとの違いはあります。

【代表的なプロバイダ(当時)】
 1985年 アスキー「ASCII-NET」
 1986年 NEC 「PC-VAN」 
 (現在のBIGLOBE)
 1987年 ニフティ「Nifty-Serve」
 (現在の@Nifty)

 当時のパソコン通信プロバイダは、PC-VANとNifty-Serve。2代プロバイダと呼ばれてました。
 そして、プロバイダのホストコンピュータに接続する方法が今とは少し違います。プロバイダごと接続(アクセス)ポイントを設けてます。その接続ポイントへは電話をかけます。

 仮に、東京に住んでいる私がパソコン通信をする場合、プロバイダが準備した接続ポイントに電話します。そして、プロバイダがその電話を繋ぎ、その電話回線を繋ぎっぱなしにするのです。言ってみれば、長電話をすることで私のパソオンとプロバイダのホストコンピュータが通信をし、様々なデータを送受します。

 従って、パソコン通信をしている間は、電話料金が発生することになります。当時は市内通話で10円(3分)、市外だともっとかかります。また、接続ポイントが市内にない場合は、電話料金がとんでもないことになります。

パソコン通信料金

 上述の事情もあり、プロバイダ選定の一つに「接続ポイントは市内にあるかないか」はとても重要になります。また、必要なデータを一気にダウンロードしパソコンに一時保存、電話を切ってゆっくり掲示板などを見る「オフライン」環境というのが普通でした。今でもメールや対話型のツールにオフラインの機能があります。当時のオフラインは、そのような通信環境と通信費用の関係からとても重宝してました。
 また、日本テレコム(当時)(現KDDI)は「テレホーダイ」というサービスを提供してました。夜の23時から翌朝6時まで(だったと記憶??)定額料金で電話かけ放題というサービスです。なので、パソコン通信は、その時間帯にする人たちが多かった。その電話かけ放題サービスを利用することで、良心的な価格でリアルタイムにサービスを受けることができるようになります。

チャットルーム

 ちなみに、通信速度は、300bps程度が主流。音声がモデムの向上により1200、2400bpsと速度は向上していきました。通信速度がメガ、ギガなど言う現在では、とても考えられないです。1996年頃、28,800bpsの音声モデムが登場した。
 そして、電子掲示板に並ぶ人気のサービスが「チャットルーム」です。テーマごと色んなルームが、プロバイダごと準備されてました。恋愛相談、ただのおしゃべり、投資、競馬など・・・その時の気分で入室し会話を楽しむのです。今のチャットとほぼ一緒です。

 パソコン通信も、90年代になるとダウンサイジング環境での社内ツール「グループウェア」として注目。電子メールなど、ビジネスに密着した機能を安価に自社構築する企業が増えた。
 また、個人利用においては、インターネットが急速に普及したことで、パソコン通信からインターネットへ移行。こうして、パソコン通信は90年代後半から衰退した。

 2001年 BIGLOBE(PC-VAN)
 2006年 @Nifty(Nifty-Serve) 
 がパソコン通信サービス終了

 このように、パソコン通信は本格的に活用されたのは10年程度であったが、その間に企業や個人において、情報連絡や情報共有化の重要性、情報発表の場の獲得など、インターネット社会への露払い的な役割を果たしたといえる。

『パソ通』の終焉

 パソコン通信のことをそう読んでました。79年、CompuServeがサービスを開始したパソコン通信。大規模パソコン通信サービスのはじまりでした。後の86年、Nifty-Serve(ニフティ)が代理店になり、パソコン通信事業を日本で開始した。
 以前の日本における通信回線は、電信電話公社(現 NTT)が独占。原則、民間企業が通信を媒介することは禁止とされた。しかし、82年に第2次回線開放が行われることで、それを民間に開放。計算センターのような利用が自由となった。
 そのような歴史を経て、今のインターネットがある・・・という話。


最後まで読んで頂き、ありがとうございます。