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【掌編】詩と暮らす【散文詩】

詩と暮らすことにしたのは、数年前の春からです。

その春、わたしは陽気に当てられぐったりとしていました。そんな時、窓からふと、ひとひらの詩が飛び込んできたのでした。ひらひら、ひら、り。窓の内側に吹き込んできた詩を、手のひらに収めました。薄桃色の詩は、見た目の美しさとは裏腹に、少し乾いていました。わたしは硝子の容器に水を張り、詩を浮かべてみたのでした。すると、詩は楽しそうにくるくると硝子の中で回りました。こういうものと、暮らしてみようか。わたしがそう決意するまでに時間はかかりませんでした。

夏になる頃には、詩は硝子の中で大きく育ち、強く鮮やかな緑色へと変じていました。わたしは慌てて、詩をベランダの鉢に植え変えました。すると、詩はあっという間に幹を太くし、枝を伸ばし、蔦を這わせ、ことばの森を生い茂らせたのでした。輝く緑ときらきらする木漏れ日に見惚れながら、詩の傍で夏を過ごしました。こんなにもいとおしい、幸福な夏は初めてでした。森の下草の隙間に流れるせせらぎには、虹色の蝶が寄ってきて翅を休めてさえいました。これこそがわたしの楽園、うっとりとそんなことを思うほどに。

残暑が過ぎると、詩は次第に色づき始めました。やがて、暗闇に燃え立つほどの黄金色になったかと思うと、はらはら、はら、り。詩は一つ一つことばを落として、薄く微笑むばかりになりました。見惚れてばかりではだめだったのだと、気づいた時には遅かったのかもしれません。だめ、いなくならないで。そう思ったけれども、詩が零す言の葉をいくら集めても、ぱらぱら、ぱら、り。ことばは、手の中でかさかさと震え、壊れるばかりでした。やがて吹いた木枯らしに溶けるように、詩の姿は見えなくなってしまいました。

冬の寒さにうなだれて過ごす日々、ベランダに残された森の残骸をかじかんだ手でかき分けている時、わたしは不意にそれを見つけました。地の中に残されていた、生白い球根を。詩は、ここにいた。詩は、確かに、わたしの傍に。わたしは狂喜し、枯れた森の奥から丁寧に、球根を掘り出しました。──もうどこにもいかないで、いなくならないで。わたしはそれをうやうやしく天に掲げ、キスをして、頬張り、飲み下しました。ひどく苦い味がしましたが、構いませんでした。これからはずっと一緒、わたしの命ある限り。そう誓うように。

そういうわけで、詩と暮らしはじめて数年が経ちました。お見せしますね。──ほら、こっちに来て、ご挨拶なさい。どうぞ、これがわたしの詩たちです。腹の中で大切に温めた球根は、根を張り、命となり、芽吹き。綺麗なもの、毒を含むもの、それぞれですが。産まれてくる詩たちと共に、これからもずっと。時に、ひらひら、はらはら、遠くまで旅に出る詩を見送りつつ、わたしは今もここで、詩と暮らしています。どうぞ、いつでも訪いください。数々のことばを積み重ねて築いた不器用な楽園で、お待ちしていますから。

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小牧幸助さんの ♯シロクマ文芸部 の今週のテーマは「詩と暮らす」。
そういえばわたしが詩と暮らし始めたのは数年前だなぁと、きっかけを思い返しながら創作してみました(あくまでも創作です、笑)。いつも楽しいお題をありがとうございます。

なお、写真に使った「森」という詩は、わたしの第一詩集に収められています。今回の文章には、少しずつ、第一詩集に収めた詩をちりばめています。よろしければ、お手に取ってみてくださいませ。


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