最終章、もどかしくて、辛くて、悔しくて涙した。
へたくそというか読むのがやっとな字で書いてある手紙。
「インチキじゃなかったぜ」
なぜかこの言葉が引っかかって、誰かわからない人からの手紙かって少しモヤモヤした。
読者置き去りの小説かなって思って本屋で手に取って冒頭だけ読み始めた。
正直表紙の絵が好みだったから手に取った本だった。
最近、読む本も途中で他の本にって目移りして最後まで読めていなかったからこれもそうなっちゃうかなって思って買うのを迷った。
この物語は語り手の僕が昔の思い出を語るように進んでいく。
現在のことは冒頭と最後にしか出てこない。
すべて過去のことで、過去で完結している物語なのかと僕は感じた。
物語を作る才能はプロ顔負けのヤンキー。
第一志望に落ちたがそれなりの文才があるいじめられっ子へっぽこ中学生。
絵に描いたような凸凹コンビでとても対象的なコンビだけれど、語り手の「僕」である中学生のキャラが薄いように感じた。
現在から20年ほど前にメジャーとなっていない所謂”お受験”をするのだからそれなりに勉強はできると思うが、プロ作家顔負けのストーリーテラーと相手できるほどなのかと疑問に感じた。
でも、その疑問は1つ目の小説が出来上がったときに解消された。
最初の物語はヤンキーにボロボロに言われて才能がないと泣いてしまうが、問題はそこじゃない。
1つの物語を完成させたのだ。
たった数行のアイデア出しから自分で膨らませて自分で書き上げた。
単純にすごくないか?
ある出版業界を書いた小説を読んだときに
「小説っていうこれだけの文章を書きあげるっていうのはどこかぶっ飛んでないと書けない。俺なら普通に書き上げるのは無理だとか思って途中で投げ出すか、書きもしない。」
って書いてあるものを思い出した。
確かにそうだと思う。
僕も無理だ。
確かに凸凹だ。
って思った時、この本を手に取って危惧したことは全く感じなくても良いものだったと感じた。
物語の進みを想像しやすく、当てにくい。
次は次はと止まらない。
もう僕は何をやっている時もこの本のことが頭から離れなくなっていた。
小説を考察する小説を読む。
不思議な感覚だったが、止まらない。
ヤンキーとへっぽこ中学生の二人の約束の物語だった。
「青少年のための小説入門」 久保寺健彦
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