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長編小説 「扉」42



      歩の失速 一



 不幸な男にも新年は平等に訪れるものである。昨年と違うのは、たった一人で迎えたということと、背負うものが隕石の如く確実に重たくなったことである。
 一年前は愛すべき父がそこに居た。姉や倫も訪れた。愛する百合や子供達に、父親としての必要性を僅かながらに感じて貰えたと自負していた。
 不幸濃度が高まった孤独な成年男子にとって、表現し難い残酷さを押し付けて平気な顔をしている今年の新年は、実にサイコパス的である。寂しさと悔しさの中で、せめて巧くらい訪ねて来てくれてもいいのに、と独り言ちた。
 司法書士のもとで登記簿名義を変更、不動産担保融資に債務者変更の申請を試みる。無職を隠し、父の保証人として審査パスをしていたことが幸いし、滞りなく通過した上に、私の年齢や目眩めくらまし的年収から保証人不要で受理され、細やかなお釈迦様の蜘蛛の糸に胸を撫で下ろした。
 しかし考えてみれば、その為の担保なのだから不思議がる必要もないし、毎月の返済は変わりないのだから、お釈迦様に感謝するのは見当違いかも知れぬ。強いて言えば、すぐに家を失う心配がなくなったということだけだ。
 私は、今やすっかり片付けをする気力を失っていた。一年前と比べ、明らかに物は減っているのに、乱雑に荒れた各部屋を目の当たりにし、在りし日の父のようにフリーズしている自分に気付いた時には、尾でも生えてきたかと尻を確認した。
 思えば今頃は準備万端、塁が春に越して来るのを待つばかりの筈であった。姉が「現実味がない」と呪いの言葉で予言した通りに、愛息塁は自宅から自転車で通える高校を選んだ。父が消えた今、おそらく三年後の桜子も同様の道を辿るであろう。
 だとしたら何の為に家の片付けをする必要があるというのか。家とは何なのだ。私は生きるモチベーションも失いそうであった。幼き頃から正義感に溢れていた、心優しき礼儀正しき中嶋歩の価値を、一体何処に見出せば良いのだろうか。母が言った「生きている理由」が分からない。


 ようやく岡谷の親と額田から賠償金が支払われた。逮捕から一年四ヶ月、この流れが早いのか遅いのか私には分かりかねるが、これ程待ってこれだけかという苛立ちと裏腹に、生活困窮の渦中にあって微かにでもホッとした自分に嫌悪する。
 支払われた賠償金で弁護士費用と葬儀費用の残額を支払い、月末の融資返済分を引くと、手元にはパンを買う金も残らなかった。虚しいことである。
 父の年金収入が途絶え、自ら収入を見出さねばならぬ窮地に気付かぬ振りを続けるのは、最早無理である。だが、雑用や考え事が多過ぎて、求職に重い腰が上がらない。月末には必ず担保融資の返済日がやって来る。故にいつまでも腰を重たくしておけないのは分かっている。が、今や飲食サービス業にも魅力を感じなくなっていたし、ソムリエという単語さえ忘却中であった。気配り気遣いを得意としていた私であったが、それすらやる気がない。笑顔のコミュニケーションがうとましいのである。
 近頃は、事務的な話と催促の話以外、誰ともコミュニケーションをとっておらず、巧に会えない今、携帯オンラインゲームのグループメンバーと、たまにチャットを楽しむくらいだ。
 町子からの更なる催促、嵐山氏への返済期日、山神氏や義母への滞った返済、そして養育費と継続中の二人分の学資保険……きりがない。
 姉への毎月の返済も滞り始めていたが、これは姉自身に原因がある。連絡を途絶えさせたのは姉の方である。真摯な私は返済金を入れた封筒を、姉の不在アパートのドアポストに入れたい気持ちは痛い程あるのだ。だが現状は厳しく、今後協力を望めない姉への返済にメリットはあるのか。私が封筒をドアポストに入れないのは、姉からの同意を得ない、、、、、、協力であると、都合の良い解釈で自分を納得させ、精神的に楽になろうとした。
 混乱と放心を繰り返す私は、どうにか巧に話を聞いて貰いたいと、パチンコ屋やビル中の温泉、ネットカフェなどのあちらこちらに顔を出してみるが、以前のように出会うことが出来ない。
 夢とは思えぬ夢の中の、巧の住処とするあの港町のアパートが脳裏に浮かぶ。何もない部屋に麻耶のジャンパーだけがあった光景が蘇る。確かめたくてもやはり足が進まない。不本意だが、私も随分と臆病になったものである。
 朝のニュースでセンター試験の報道をしている。倫も今頃は飄々と戦闘中だろう。自分の目的に向かって戦うのか、自分の母親の過大評価に応えるべく戦うのか、きっとその両方なのだろう。高校生活頓挫の私とは違う試練だろうが、きっと倫にもやってくるだろう。


 私は巨大物流センターの巨大倉庫で大きなカートを押しながら、様々な商品をピッキングしていた。老若男女、あらゆる層の人間が作業している。作業は基本一人、人とのうとましい会話はほぼなく、私にとっては初めてのタイプの仕事である。
 今の私には、笑顔を絶やさず気配り全開の手慣れた職種より、煩わしい会話もなく、黙々と機械に指示された作業をこなすことがどれだけストレスフリーであるか。車通勤不可、交通費支給なしという不利な労働条件も、自宅から自転車でも通えるとなれば問題は何もない。夜勤は手当が上乗せされるので、元々夜型の私は、望んで夜勤中心にシフトを組んだ。昼間が自由に動けるのも助かるのだ。
 単調な深夜の作業に、根が真面目な私は雑念も入れず連日精を出した。しかし雑念を一度入れてしまうと、待ってましたとばかり頭が妙な逆フル回転をし、動きながらの放心状態に陥り、間違った商品をピッキングしてブザーが鳴ってしまう失態を犯すのだ。私にとっては禅の修行のようなものである。修行中のお坊様、失礼で怠惰な解釈をお許し頂きたい。
 ブザーが鳴って我に返ったのは、塁の高校受験当日であった。一言も声をかけてやれなかった虚しさから、同居の夢がついえた傷心が蘇り、全く違う商品を読み込んでしまったのだ。煩悩解脱、雑念退散である。

 順調とは言えぬが、この生活リズムに慣れてきた頃、またしてもお釈迦様の糸がフツリと切れた。何故私にばかり不幸が重なるのだ。お釈迦様もエンタメ気分を楽しんでいるのだろうか。
 夜勤を終えて、暦の上では春の冷え切った早朝の風を真っ向から受けながら、自転車で帰宅する。川沿いの駐車場が見えてくると一台のパトカーが停車していて、二名の制服警官と近所の床屋と煎餅屋の主人が囲んでいるのは、私の……私の愛車ではないか! 
 赤いポンコツゴルフが見る影もない正真正銘のポンコツになり、駐車場から押し出され、川沿いのフェンスに狭い道を跨いで突っ込んでいるのである。フェンスがなければ川に転落していたであろう。誰かが故意に、もしくは不可抗力で後ろから追突し押し出した形跡が、素人目にも一目瞭然である。
 勿論そこに犯人の姿などなく、通報者は大きなクラッシュ音で飛び出した向かいの煎餅屋の主人であった。走り去る白い車を目撃したが、ナンバーも車種も分からなかったそうだ。
 私は腹が立つよりも、自分のこの境遇が情けなかった。おシャカになった長年連れ添った我が愛車。お釈迦様の助けはなかったのだ。何度も糸を垂らされながら救われず、生まれてこの方幾度となく死神に背を向けられている私は、この世からフェードアウトすることも出来ない。
 即日、比較的近所に住む男が捕まった。私と同年輩の不衛生なイメージの男で、いい歳をしてニートだという。昨夜、飲酒後に無断駐車をした挙句、思い切りアクセルとブレーキを踏み違えたという、形容し難い愚かさであるが、どこかで聞いた話だと思いつつ、こっそり駐車場隣の老婦人宅の垣根に視線を移した。だが決定的に違うのは、目の前の男は逃げたのだ。酒も飲んでいた。言語道断である。保険にも入っておらず弁償能力もない。年老いた母親が清掃員のパートをして生計を立てていて、実質弁償をするのは母親のようであるが同情してはならない。
 我が愛車は修理でどうにかなるレベルを遥かに超えていた。彼にはスクラップの運命が待っている。一体どれだけのものを失えば不幸の連鎖は止まるのだろうか。こんなことなら父の車を売らなければ良かった。
 不衛生男には是非とも厳しい法的罰則を受けて頂きたいが、私には何のメリットもない。それどころか突如訪れた、「赤がいい!」と言った桜子の一言で決めた、真っ赤なゴルフとの無残な別れが悲しかったのである。



つづく





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