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絵描きはいつも転生の行末を楽しむ

ギックリ腰の末に思い出された陶芸家のセリフ
「いっちゃってるよね〜」


こんにちは。絵描きの弘生です。

先日、お気に入りの陶芸家さんの釜での作陶展に招かれていたのですが、予定していた前日にギックリ腰? を起こしまして、とうとう最終日まで治らないまま失礼してしまったのが、とても心残りでした。
歯磨きの最中に洗面所のドアにもたれかかった途端、ん? ん? ん? とみるみるうちに強烈な痛みで動けなくなってしまったのでした。
釜は、この上なく見晴らしの良い山の上にあるため、部屋の中を移動することすらままならなくなった私には、到底ムリできるはずもなく、またこのご時世の様子をみながら、遊びに行かせて頂こうと思っています。

今回はその陶芸家氏が、以前カフェで催した私のお気楽小品展にて、一言「いっちゃってるよね〜」そう言われた作品群の中の一点を紹介します。

「傾く花」


F0の油彩で、誰が見ても単なる花の絵です。
不安定に固まった歪な花器と、何の花かわからないけれど花としか見ようがない花を、同時に勢いよく描いたものです。
陶芸家氏が「いっちゃってるよね〜」と言った所以は、陶芸家ならではの見方と発言で、どうやら「転生(てんせい)」という意味のようです。つまり、釜の炎の中で二つの形がくっついて別の一つになってしまう「転生」のように、私の作品は支持体の中で、いろいろとくっついて、別のものに変化(へんげ)=転生しているよね〜、ということらしいです。

今は前回も紹介させていただいた「蜘蛛の糸シリーズ」を描き続けて、元の形もわからないほど転生しまくっていますが、言われてみれば、以前取り組んでいたシリーズ「re-born」などは、まさにテーマそのもの、reborn=復活、生まれ変わり、転生(てんしょう)」でした。(元々は、愛すべき母が病で鬼籍に入ったことがきっかけで始まったテーマでした)

描いている時は、インナーワールドという自らのほら穴に深く潜り込んで、自分の内側に入り込めば入り込むほど、その世界は広がり、自分に酔っていくわけですから、「自身が理解していれば良いのだ。私の場合、言葉ありきで言葉が作品のエスキースなのだから、どんなに見た目が混沌としていても、言葉に置き換えられるぞ」などと、斜に構えていた時期もありました。でも、私の描いている本質というか、クセというのか、それをサラリと直接、陶芸家ならではの言葉にして下さったのは、何だか嬉しかったです。「いっちゃってるよね〜」実に素直になれます。

そういえば、破壊した作品同士をくっつけて、別の作品にすることは、実に日常茶飯事であることを、今更ながらあらためて意識しました。結構、無意識にしていました。やっぱりクセなのでしょうか。


#エッセイ #アート #絵画 #404美術館 #私の作品紹介 #みんなのフォトギャラリー #花 #転生


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