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愛すべきストーカー男の偏愛ひとり語り 第二話 (全六話)



愛すべきストーカー男の偏愛ひとり語り


 あてもなく高速道路を走る。会話はない。ただ、葉流がくすくす笑っているだけだ。
 それにしても流れがのろい。みんな一列に走行車線を走っているのが不思議だ。全てが自動運転の車ではあるまいし。いや、数台まえにパトカーがいる。あいつか、あいつがいるからみんなのろのろ運転なんだ。メーターを見ると制限速度を微妙に下回っている。これは迷惑運転の一種ではないのか? 
 僕は、パトカーを追い越す正当な勇気を持って、追越車線に変更してアクセルを踏んだ。もちろん自動運転で制御されているからスピード違反はあり得ない。
 僕は警邏車パトカーに少なからず嫌悪感を持っているのだ。夜に葉流の帰りを待ってアパート近くに停車していると、しばしば職務質問をされる上に、立ち退けと言われたことが度々あった。迷惑している住人がいるからこの辺りに停めるなと。誰だよ、迷惑してる住人て! ……ハッとして葉流を見る。まさか……な。
 笑いがおさまったのか、窓の外を見ている葉流が突然、
「はかだ!」と小さく叫ぶと、シートに沈んだ華奢なからだを背伸びさせている。
「びっくりするよ、どうしたの」
「十字架の墓が在り続けてる。遠くまでずっと墓、墓だけ、墓以外何もない。きれい……」
 見下ろせる限りの土地に乱立する墓……十字架? この辺りにそんなところあっただろうか。運転席側からでは見えないから確認のしようがない。でも……
「でも、せめて『』をつけよう。墓、じゃなくて、お墓、、
「お墓。じゃあ畑は畑ね。空は空……普通ね」 
 何だかわからないが、さっきまでとは空気が変わった。葉流は空を見ている。彼女がそうしているときは、おそらく彼女のからだの中で、何かが浄化されていると僕は感じている。
 このチャンスを逃してはならない。今なら空のどさくさに紛れて葉流の気持ちを動かせるかもしれない。今日のこの青空を全身で受けとめられるように、是が非でもロードスターのルーフを開けたい。次のサービスエリアに急ぐ。
 さっき追い越したパトカーが後続している。しかも赤色灯を音も鳴らさずに回している。なんだよ、気分悪い! 

 お茶が有名だという地域のサービスエリアに入る。
 そう言えば腹が減った。昼だもんな。まさかこんな展開になるとは思わなかったから、朝飯も食べてないんだ。
「なんか食べませんか?」葉流を促す。
「いらない」
「……じゃ、おにぎり買ってくるから待ってて」
「……」
 やっぱりむすっとしてるよな。さっきのご機嫌はなんだったんだろう。
 コンビニで買ってきたおにぎりを車の中で食べ始めると、葉流は不愉快そうに目を細めて、車から降りてしまった。
「ちょっ、まっ……」
 口をもごもごさせながら、追いかけようとしたら……あ、そういうことか、素直に言えばいいのに。
 けれども、葉流はトイレに行ったきり戻って来ない。まさか、消えた? 彼女の場合、それもあり得る。どんなに遠くても車から降りて、自力で帰ってしまった過去が何度かある。着信拒否されているから携帯は使い物にならない。
 葉流は本当に車に乗っていたのか……? 白昼夢でも見ていたのかと不安になる中、フードコートの中に葉流を見つけた。茶そばコーナーをじっと見ている。
「へ? 食べたいの?」
 葉流はまるい目で僕を見る。これは、おそらく食べたいという意思表示だ。ここで食べるなら、おにぎり買わなきゃよかった、トホホ……。
 駐車場が見渡せるガラス越しのカウンターで、葉流は大きなお揚げの入った茶そばを啜っている。僕はさっき食べたおにぎりを後悔しながら、竹輪の磯辺揚げをちまちまとかじっていた。
 でも、不毛とは思わなかった。これでもいい。だって、だってまるで、デートみたいではないか。きっと昔みたいに僕の言うことに泣いたり笑ったりしてくれる優しくて可愛らしい葉流に戻るはずだ。
 いい天気な、と葉流の視線を空に促した時、例のパトカーが目の前に停車した。なんで?
「あのパトカー、さっきからうろうろして目につくんだよな」
「追ってるのよ」
「なにを?」
「知らない」
「あ、警官が降りた」
「お昼休憩なのよ」
「まさか」
「警官だっておなか空くわよ」
「あ、乗った。出てった」
「偽善者を追ってったのよ」 
「あ、また戻ってきた」
「……めんどくさ」
「すんません……気になるもんで」
「偽善者がいるのよ。たとえば、詭弁なストーカーとか」
 葉流は意地悪そうに目を細めてにぃっと笑い、食べ終わればすばしっこい足取りで僕の前を歩く。葉流の下駄の音と細いアキレス腱の軽やかさが、左足首に巻かれた薄緑色の紐の揺らめきに強調される。

 ここからが自慢のロードスターの見せ所だ。ボタンひとつでトランスフォームする。かっこいいんだ。
 葉流はこの素敵な瞬間、いつも冷めた視線を逸らしていた。
「少しは見てよ、かっこいいだろ?」
「……別に」
 少しは僕の愛車にも興味持ってくれと願ったものだが、やっぱり無理みたいだ。がっかりはしたが、ルーフが収納されて、これで気持ちよく走れそうだ。目の前を例のパトカーが通過した。全くもって目障りだ。
 車に乗り込むと、葉流愛用だったブランケットを渡し、葉流のために用意したロードスターオリジナルロゴ入りのキャップを彼女に被せた。不機嫌な顔は崩さなかったが、「勝手に被せるな」とは言われなかった。
 今のショートボブにも似合うではないか。もとい、僕は彼女のストレートなロングヘアのが好きだったけど。
 そうだ。ここまで来たらあの町へ行ってみよう。葉流が好きそうな町並み、連れて行きたかったんだ。今ならきっと拒否しないはず。

 真っ青な空。雲がすごいや。掴めそうなほど近くに、あらゆる形の雲たちがその姿を惜しみなく見せびらかしている。まさしく葉流日和だ。きっと今日は上手くいく。
 初夏の風を真っ向から受けて、ロードスターは高速の流れに加わった。風が心地いい。帽子を飛ばさないでくれよ。
 葉流は……あ、涙。そういえば、真っ青な空を見ると悲しいって、よく言ってたけれど。
 どうしよう、放っておいた方がいいかな。
 ふっと梔子の香りがして、どこからか鐘の音が聴こえた気がした。
「今、なんか聴こえたよね」
「わかんない」
「空耳かな」
 爽やかな風を蹴散らすように、強い突風が吹いた。葉流の被った帽子がふわりと持ち上がる。僕は咄嗟に、左手でそれを押さえようとした。運転中で目測誤って、帽子ではなく彼女の首筋と肩に触れてしまった。ほんのちょっと。一瞬だ。
「ごめん」
 反射的に出た。葉流に謝るなんて、長い付き合いの中で初めてだった。自然に出て来た言葉に僕自身が驚いた。
 なのに、葉流は突然帽子を足下に脱ぎ捨てた。以前の僕なら、この時点で彼女に手を出していただろう。でも今の僕は違う。
 図らずも素直に謝罪した僕の繊細な心に、葉流の仕打ちは酷かった。すかさずバッグの中から取り出した、僕の大っ嫌いな甘ったるいヨーグルトの強烈な匂いを放つグミの袋を開けて、僕の鼻に押し付けたんだ。
「くっさーー! 何すんだよ! 気持ち悪いじゃんか! おえ、おえぇ」
 涙目で訴える僕に、
「二度と触るな」
 葉流は下瞼したまぶたを器用に持ち上げ目を細め、僕を一際ひときわきつく睨んだあと、美味しそうにヨーグルトグミを口に放り込んだ。実に信じられない。僕は甘ったるい乳製品が大っ嫌いなんだ。せっかくのロードスターデートになるところだったのに、意気消沈だ。葉流の危険極まりない行動に、僕の動揺は計り知れない。

 インターチェンジが見え始めた頃、向こうの空が不自然な赤に染まって見えた。鐘の音も聴こえた気がしたが、今度は黙っていた。
 ここを降りれば目的の町だ。葉流に無視され続けて気晴らしに訪れたこの町には、気になる車が置いてある自動車屋があった。車しか興味が持てない僕にはせめてもの楽しみだったんだ。容姿が実年齢より若造りなので、高級車販売員からはろくに相手にされず、いつも悔しい思いをしていたが、僕の執着はちょっとやそっとのことでは破壊されない。僕は我慢強い男なんだ。
 その時に通りかかった町並みや雑貨店が、葉流の気に入るに決まってるから、いつかは連れて来たかったんだ。
 駐車場に車を停めて歩く。グミ攻撃をされては敵わんから、少し離れて。


第三話に続く






あたしはだあれ


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