見出し画像

Googleが要求する質の高いコンテンツとは?

✅コアアップデートの影響による検索順位の激変

ここ3~4年、コアアップデートと呼ばれるGoogleの検索アルゴリズム大変更が年に1~2回のペースで繰り返されていて、その度に、世界中のサイトの評価が激変し、大幅な検索順位の入れ替えが行われています。一般にはご存じない方も多いと思いますが、Google検索の表示順は、サイトの人気に応じて徐々に緩やかに評価が上がったり下がったりするものでは無く、アルゴリズム変更のタイミングで、ある日突然、アクセスが数倍になったり半減したりするのが日常です。この時、酷いとアクセス数が1/10になってしまったりするケースすら少なくありません。

✅内容では無く「専門性・権威性・信頼性」を過大評価

特に近年はEATと呼ばれる「専門性・権威性・信頼性」に大きくサイト評価の重点が置かれるようになり、その結果、権威性と信頼性を持たない個人が情報発信をするサイト、個人所有で広告収入を目論むブログメディア等については評価が特に厳しくなり、検索上位から軒並み駆逐される様になりました。更に、サイトの本質的な有用性や読者満足度といった本来最も重視されるべきファクターは軽視され、各所の状況を見比べてもGoogleの検索結果に於いて二の次三の次になってしまっています。

✅検索表示数のコントロール(間引き)

そして長年毎日の様にGoogle Analyticsを眺めていて最も不可解な現象があります。それは、サイト評価(≒検索アクセス総数)は基本的にGoogleのアルゴリズムが一方的に決めている為、「ドメイン単位でGoogleが定める」所定のアクセス数を何らかの人気等で超えてしまいそうな場合、自動的に検索から表示を(間引く)方法で調整が入っているように見える点です

この結果、コアアルゴリズムアップデートでサイト評価に根本的見直しが入らない限り、どんなに良いコンテンツを投稿したところで、定められたアクセス数以上の安定した流入はなかなか得られません。Googleを通さない形でSNSその他からの流入が増えても、それに応じて検索表示数が間引かれて減らされるだけだからです。

評価が低いことで単純に検索表示順位が下がるならまだしも、順位以前に表示のオンオフをコントロールする手法は、検索ユーザーから平等な情報閲覧機会を潜在的に奪う行為に当たり、検索エンジンのモラルとして根本的にEvilであり間違ってると思うのですが、Google的には問題無いのでしょう。コアアップデート等で被弾した際に、Search Console上で相変わらず安定上位表示している記事への流入が、被弾率と同じ割合で一律に減るのはこのためだと考えます。

✅評価ペナルティの内容がアップデートの度に二転三転する

また、Googleのコアアップデートで度々変更される非公開のペナルティ、評価下げ要素に引っかかってしまうと、問答無用でいとも簡単にアクセス数が激減する事態に陥ります。例えば自分の場合、長期療養などで何もしなくても月間10万~15万PV程のアクセスが長年続いていましたが、2018年後半以降はコアアップデートの度に、-20%、-30%、-20%、+20%、-10%、みたいな形で度々被弾している為、現在では2005~2018年間平均の1/2~1/3レベルにまで、月間アクセス数が落ち込んでしまいました。

✅検索表示数の異常な絞り込み

検索エンジンでありながら、情報の表示を意図的にありえないほどケチっている。それが現在のGoogleです。昔は階層を下に進むことで良くも悪くもWEB上の全ての情報を根こそぎさらえるのがGoogleの魅力でしたが、近年は検索表示数そのものを軒並み2桁台まで絞っているため、以前ならどうしても情報が欲しいコアユーザーが、検索下位を辿ることで拾えた弱小サイトの情報に殆ど辿り着けなくなり、ロングテール戦略そのものが破綻してしまいました。

✅優良サイトは被弾するのに、スパムサイト群はいつまでも被弾しない謎

しかも、その徹底的に絞られた検索結果には、ネット通販を装った詐欺サイトやフィッシングサイトがしっかり残っているのみならず、挙げ句の果てに、検索キーワードがそもそも存在しない無関係なサイトをいくつも表示しています。有用な情報が載る弱小サイトは権威性や信頼性を理由に嬉々として駆逐しているのに、これらの有害スパムサイトを駆逐するためのアルゴリズムについてはGoogleが口だけで長年真面目に取り組んでいないからとしか思えません。URLを見ただけでも一瞬でスパムだと判別出来るのに何年経っても対策しない。これ、控えめに云ってわざとですよね?

いずれにしろ、人間の存在を実験体か数字としてしか見ず、本質的なモラルに欠けたGoogleが暴君として支配する世界では、この悪意が跳梁跋扈する状況から逃れることは永遠に不可能でしょう。どんなにアルゴリズムを改良しようとしても、改良する側の人間達にまともなモラルが元々無いわけですから、結果が良くなるはずがありません。

✅質の高いサイト、質の高いコンテンツとは?

サイトを上位表示させるためには、Google曰く「質の高いコンテンツを作成せよ」と繰り返し述べられています。但しこれらはあくまで建前で塗り固められているGoogle基準です。

長年複数のサイトを運営してきた身からすると、Googleがのたまう良否の判断基準は、本質的にエゴイスティックで独善的な考えの持ち主に思想的基準を合わせろという、なかなかに理不尽で、コンテンツ自由度の低い(暗黙の制約が極めて多い)ものだと感じています。

論より証拠で、今検索でより上位を独占できるサイトは、真にユーザーが求める有益なサイトでは無く、Googleの利益とビジネスに貢献できるフレンドリーなサイトですし、情報の公平性や客観性など微塵も無く、Googleが一方的基準で正しいと定義している情報、思想の押しつけです。またWEB技術的な欠点を嫌うGoogleは、内容が濃かったり人気はあるが技術的欠点も多いサイトは冷遇し、コンテンツが浅薄でも、Google基準で欠点の無いサイトをより優遇しているように見えます。

こんな状況で、元々欠点だらけの管理人が無理をして質の高いコンテンツを作ろうとすると、0から80%を生み出すときの殴り書きに比べ、80%をなるべく100%近くのクオリティまで持ち上げるのに、前者の数倍のエネルギーを要してしまい、公開可能な記事の完成までに、毎回あまりにも多くのエネルギーを奪われるようになってしまっていました。


✅昔のBlog界隈は豊かな情報で溢れていました

2005年にオーディオ、音楽関連のブログを開設して10年近く、少々品質に問題があっても、コンテンツに人気さえあればYahoo!とGoogleの検索表示が上位で比較的安定していた為、現在のようにアクセス減に怯える必要が無く、思いついたことを日々書き殴り的に投稿することが出来ました。

音楽とオーディオとは直接関係ない話題も含め、日々の出来事についての雑感やカテゴリ外のレビューも雑記的に数多く投稿していて、月間で平均10~15記事ほどは公開出来ていたと思います。気軽に投稿していたため、くだらない内容も少なくなかったですし、文法的な崩れやタイプミスに拠る誤字脱字も、推敲せずにほったらかしでもあまり気にしていませんでした。

正確に言うと、当時からGoogleがとち狂っていきなり検索流入が激減する事は何度もありましたが、Yahoo!検索が安定していたため何とかなったのです。Googleにとって目の上のたんこぶだったYahoo!検索が2011年に丸ごとGoogleに買収され、Googleを脅かす存在が居なくなった結果、現在のような独善と独裁のみが暴虐を振るうことになったのです。今、旧来のBlogやワードプレスで同じ事をした場合、検索エンジンに端から相手にされないため、誰も読みに来ない可哀相なBlogにしかならないだろうと思います。

※Googleの要求するサイトの専門性に抵触するために、現在では当時の大半の雑記を削除or修正しています。今回のエントリでも、この部分を敢えてnoteに分離したのもその為です。

✅noteが持つ新たな可能性

Blogというのは本来、各ライターが都度の思いつきで自由に振る舞えるそんな雑記コンテンツでした。今回noteで別館を開設してあらためて感じるのは、新しいプラットフォームでありながら、現在の各Blogプラットフォームでは失われてしまった、00年代にあったBlog本来の在るべき姿がリバイバルしているような雰囲気です。 未だユーザー数500万人の弱小プラットフォームにもかかわらず、開設3日目で(未だGoogle検索に載る以前に)既にnote内での水平アクセス(700ビュー超)があり、それだけでもレビューや文章を投稿する意義を見出すことが出来ます。

旧来のBlogでは技術的にカスタマイズ出来る事が多い反面、毎回HTMLタグやCSSと格闘しつつ、マルチディスプレイで管理画面を行き来しながら推敲に推敲を重ねた上でやっとこさ公開に至っていました。対してnoteは文書作成が直感的でシンプルな為に投稿から公開に至るまでのストレスが少なく、公開ハードルがかなり低くなっています。完成度という部分では、α版、β版程度で公開してしまい、後で読み返しながら、投稿内容に都度、繰り返し修正をかける事も出来ます。noteはあくまで文章、長文を書いて公開することがメインになっていて、それ以外の部分で必要になる諸々のオプションについては直感的に追加可能で、作業にあまり余計なエネルギーを奪われません。細かな部分についてはLivedoorBlogと比べると(今のところ)出来ないことも多々あるのですが、とりあえずの本質「文章の中身」に無意識的にエネルギーをフォーカスできるようになっている点が、今のところnoteを使う最大のメリットのように感じています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?