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家族紹介②父〜弐

さて、私が高校を卒業して、東京の専門学校に通うため、一人暮らしの準備をする所から書いていこうと思う。

当時、私は一人暮らしをするという事に対し、漠然としかイメージを掴めていなかった。だが、父がいろいろと手伝ってくれ、新しい生活を始める事ができた。

父は、私が住むためのアパートなどの物件探しに同行してくれたし、必要な家電の購入の時もお金を出してくれた。例えば、洗濯機、冷蔵庫、炊飯器、テレビなどだ。他にも小さな物も、例えばお皿やグラス、マグカップ類なども友人が遊びに来た時の為にと同じものをいくつか購入してくれた。だが、一旦生活を始めると不要と思える物も出てくるのだった。父は、通信販売で安いシングルベッドと机を購入してくれたのだが、この2点が結構邪魔であった。私は一人暮らしを始めた当初は部屋が散らかり放題で、ほぼベッドの上は物置と化していて、ベッドに寝るということはほとんどなかったし、母が小さなちゃぶ台のようなものも持たせてくれたのもあり、机に向かうという事もほとんどなかったのだった。

私は当時、実家から一刻も早く出たかったので、実家の自分の部屋の整理を中途半端なまま出てきてしまった。3月に出たのだが、ゴールデンウィーク位に帰ってきてちゃんとやるからと言い残して…。だが、帰ろうという気持ちになれず、結局私の部屋の整理は父がやったという。

専門学校に通うようになると、父は仕送りをしてくるようになった。それとは別になぜか母からも仕送りがあって、当時は貯金が60万くらいあったように記憶している。

またこの頃は、実家や父母に対しての確執を相当強く持っており、時々父は電話をかけてきたが、結構萎縮してしまっていた。

専門学校を卒業後、私は音響関係の会社に就職した。私は、会社の名前や業務内容などが記してある会社のパンフレットのような物を実家に送ったが、父母は聞いた事もないような会社だけど、大丈夫なのか…などと言っていたように記憶している。

就職してから、パソコンが普及してきており、父は私にデスクトップのパソコンを買い与えようと動いてくれた。プリンターと本体とモニターで30万位はしたと思うのだが、お金を送ってくれ、これで会社の人やお店の人に訊いて買うようにと言ってきたのだが、ここでひとつ問題が起きた。というのも、父はこの時のお金を父の勤める会社のお金を使おうとしていたのか定かではないのだが、それぞれ宛名の違う領収書をもらうようにと言ってきたのだ。どこどこにいくら、どこどこにいくら、どこどこにのこりを…というような感じだ。私はいざ購入する時に、そんな事ができるのかとても心配であったが、とりあえず購入時に店の人に訊いてみた。父は、そういう事はできるものだと言っていたのだが、その店の人は、そういう事はできないと言ってきて、父の指示通りの領収書を貰う事はできずに家路につくことになってしまった。私は、父になんて言おうかと、とても思い悩んでしまい、この後しばらくは電話に出るのが怖くなってしまっていた。この後、留守番電話に父から、怒っているような内容のメッセージが入っているのを聞いた時はとても怖くなってしまったが、私はそのまま電話に出ずに過ごしていると、ある時、そのお金の事は解決したようで、電話で普通の会話をする事ができた。その時に領収書の件は申し訳なかったと私の方から謝ったのだった。

専門学校の時も父は仕送りをしてくれたが、就職した後も、たまにまとまったお金を入れてくれるのだった。私は実家にいる時、大学進学のために余計だからと言われて辞めさせられたピアノをまた某楽器店で習い始め、ある日、低価格の電子ピアノが欲しいと思った。低価格とは言っても、10万円くらいはしたと思う。この時も、父はお金を送ってくれたと記憶している。

私は成人してから、ある絵画を売る店のセールスに捕まり、最大で400万位の借金を作ってしまった。この事実は、到底両親には言っていないのだが、購入時に緊急連絡先などに実家や父の会社の電話番号を書かなければならない時があり、ローンが残高不足で引き落としができなかった時などに、度々連絡が行ってしまっていたようで、何を買ったかは知られてはいないのだが、借金があるというような事は、うすうす気付かれていたようである。その為か、それを帳消しにする為、父はまたまとまったお金を振り込んで来るのだった。

実家で過ごしている時に、特に母から否定的な事ばかり言われ、成人してからも自己肯定感がとても低く、常に自信のないような状態で、私は自分で自分がどんな思考をしているか、よく分からずにいて、度々人に流され、精神を病んでしまったのだった。

この時に、私は生活保護を受給する選択をしていれば良かったのだと思う。だが、うつ病と診断されて、休職をしなければならなくなった時、毎月の生活を父に出させてしまったのだった。私はあまり詳しくは分からないのだが、贈与税などが多くかかってしまったようである。約1年ほどの間、毎月17万円くらいが父から送られてきたのだった。

この後、私は介護関係の仕事に転職するのだが、この頃から、父から母についての相談の電話がよくかかってくるようになったように記憶している。

家族紹介①の母の記事にも書いたように、母が父に対して不倫疑惑を持っており、夜中などに急に騒ぎ出して、近隣から苦情を言われたり、父の勤める会社に電話がかかってきて喚き散らしたりといったような事で、この時、父は保健所の保健師と相談をしており、母が統合失調症かも知れないという疑いを持ったのだという。この頃、よく私の所にも父から相談の電話が入っており、服薬すれば症状は軽くなるという事で、どうにかして受診させようと画策していたようなのだが、うまくいかなかったらしい。また逆DVの被害者だとして、父が警察に駆け込むという事もあったのだが、この頃は、DVの加害者は男性だという固定観念のようなものが浸透してしまっており、父が加害者なのではないかと言われ、話にならなかったという。また仮に逆DVが本当に行われていたとしても、傷害など何かあってからでないと警察は動けないという事も言われたようで、途方に暮れてしまったのだという。

そんな時、母が突如、今度ここに住む事になったと言って、埼玉にあるタワーマンションの話があり、母はうまく話をつけて契約を交わしてきてしまったのだそうで、ここで、事実上、父は追い出されるような形で、九州の実家に帰る事になり、今に至る。

私も低収入でも仕送りなどがなくても、何とかやっていたのだが、2015年に階段から落ちて足のくるぶしの骨を骨折して全治半年くらいとなったのをきっかけに生活保護を受ける事になり、役所からできるだけ親族に賄ってもらうようにと言われ訊いてみたのだが、当時父から私に送れるのは毎月2万円が限度だと言われ、骨が完治した後も、私の元からの気質である精神疾患などにより、今も受給中である。

最近では、スマートフォンが普及し、私の自宅も家の固定電話を取り外し、携帯だけが連絡手段となっており、少し前までは、父から九州の実家の固定電話や父の携帯や、パソコンのメールなどで定期的に連絡が来ていた。そして、コロナになり、最近ではコロナの予防接種を受けたという内容のメールを受け取っている。また母や、母と同居している妹の事も案じているようだ。

父は今頃どうしているのだろう。私が生活保護では九州へはとても行けそうにないし、私ができる事でお金を稼ぐ事ができたらいいのにと、つくづく思うのである。

また離婚についてだが、離婚という話は、私が実家にいる時から何度となく聞いていたのだが、未だ離婚をしておらず、母は父名義のお金を使って悠々自適に暮らしているのだという。

この先、私はどうしたらよいのだろう。
ここまで、読んでくださりありがとうございました。

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