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時代は変われど、子どもの口は塞がれる。

誰かに「関心」を持てる社会は、あり。

誰かに「関心」を持たなくなるよりは、ずっと、いい。


問題は、
その「関心」にどんな感情と主観が乗っかってるか。


あなたが今気になっている誰かに。
あなたは、どんな感情と主観のフィルターをかけて、関心を示すだろうか。



不謹慎かもしれないけど。
時代はずいぶん変わったけれども。
「あの時代」とさほど変わらない現状があるように思う。



戦時中。
防空壕の中で、
母親は泣く子の口を、自らの手で塞いだんだ。
泣かなくなるまで。




戦争は終わったけど、
「子どもは悪くない」という社会通念は、
「自我が芽生える子ども」を保育する保育者を度々苦しめる。

異変は無いかと探る周りの目は、
監視という名の針のムシロ。



親切心は美しい。
過剰介入は苦しい。
思い込みは、誰にでもある。
想像力を持てなんて、一方的。
全ての人がお互いの心地よい距離感を知ることなんて、不可能。


どうすればいいんだろうね。


やっぱり、どうしたって、
ぐるぐるぐるぐるまわりまわって、返ってくる。
あーー、自分なんだなって。


誰かに何かしらの関心を持つとき、
自分がどんな感情と主観を持つのか。
それはなぜか。


考えることができるのは、そんなことくらいしかない。

これまでの経験で、なんとか自分の役割に気づくことができました。与えられた役割を全力で全うするため、「わくわく」と「ドキドキ」のど真ん中を走ります。 サポートでの勇気づけ、素直に嬉しいです\(^o^)/