那須敦志@郷土史ライター

郷土史ライター・・・ふる里、北海道旭川市の郷土史情報を、ブログや書籍の執筆、講演やSN…

那須敦志@郷土史ライター

郷土史ライター・・・ふる里、北海道旭川市の郷土史情報を、ブログや書籍の執筆、講演やSNSなど、さまざまな方法で発信しています。読んでいただく方々に「へー(発見)、ほー(共感)、なるほど(納得)」と思っていただけるような、楽しくためになる郷土史のエピソードを紹介しています。

最近の記事

コラム「朝の食卓」・2023年

はじめに 「朝の食卓」は、北海道のブロック紙、北海道新聞の朝刊で長年愛されているコラム欄です。 執筆者は、北海道各地で活躍するさまざまな立場の約40名。 ワタクシもその一人です。 執筆者となって2年目の2023年は、郷土史関連を中心に5本のコラムを書きました。 そこで去年に続き、noteにも、2023年版「朝の食卓」コラムをまとめて掲載いたします。 なお「朝の食卓」は文章だけのコラムですが、ここでは関連画像を加えています。 合わせてお楽しみいただけると幸いです。 ***

    • 「活劇工房」のこと

      はじめに  東京杉並の明治大学和泉校舎を拠点に活動する「活劇工房(かつげきこうぼう)」という劇団があります。ネットを見ますと、大学公認の演劇サークルとあります。   実は、私は「活劇工房」のごく初期のメンバーです。一浪して文学部演劇学科(正確には文学部文学科演劇学専修)に進んだのが、1977(昭和52)年4月。すぐに「活劇工房」に参加しましたので、なんと46年前の話です。  「活劇工房」の発足は、その前の前の年。ですから、劇団の歴史で言いますと、ことし(2023年)で48

      • コラム「朝の食卓」・2022年

        はじめに 北海道のブロック紙、北海道新聞の朝刊には、長年愛されているコラム欄「朝の食卓」があります。 北海道各地で活躍するさまざまな立場の方々、約40名が執筆しています。 ワタクシもことし(2022年)から執筆陣の一人に加えていただきました。 このコラムでのワタクシの肩書は「旭川郷土史ライター&語り部」です。 その郷土史関連の話を中心に、ことしは10回書かせていただきました。 ただこのコラム、伝えるのは文章だけで、写真など画像はなしです。 初回のコラムにも書いていますが

        • 小説版「旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデンエイジ」第十章・第十一章

          <はじめに> 「小説版 旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデンエイジ」。  今回はいよいよ最終回、第十章と第十一章です。 この2章は、後日譚を含む物語のエピローグです。 このうち最終十一章の舞台は、石狩川と大雪山を望む景勝地、嵐山(あらしやま)です。 嵐山とその周辺は、アイヌ民族にとっての聖地です。 また旭川という街の成り立ちを考えますと、その開発に向けた構想が立ち上がった、まさに一歩目が刻まれた場所でもあります。 先人たちがそこから望んだ大雪の山々の姿は、百数十年経った今

        コラム「朝の食卓」・2023年

          小説版「旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデンエイジ」第八章・第九章

          <はじめに> 「小説版 旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデンエイジ」。今回はいよいよ5回目、第八章と第九章です。 この2章では、6月の招魂祭(しょうこんさい)の頃の出来事が描かれています。 招魂祭は、旭川にある北海道護国神社のお祭りです。 戦争で亡くなった北海道出身者のための慰霊大祭で、北海道各地から大勢の遺族が集まり、街は賑わいを見せます。 その招魂祭の夜、物語は大きく展開します。 それでは今回も最後までお付き合いください。 第八章 数日後 カフェー・ヤマニ  日

          小説版「旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデンエイジ」第八章・第九章

          小説版「旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデンエイジ」第六章・第七章

          <はじめに> 「小説版 旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデンエイジ」の掲載は今回から後半、まずは第六章と第七章です。 後半では、主人公の義雄と武志、そして周辺の人々が、前半で登場した二つの団体の対立に巻き込まれていきます。 この両者の対立、実際にこの時代の旭川であったことをもとにしています。また対立激化のきっかけとなった酌婦の少女の逃亡も、同じく実話をもとにしています。 2021年に出版した旭川歴史市民劇の記録本の中にも書きましたが、この物語は大正〜昭和初期の旭川の歴

          小説版「旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデンエイジ」第六章・第七章

          小説版「旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデンエイジ」第四章・第五章

          <はじめに> 先週から掲載を始めた「小説版 旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデンエイジ」。今回は前半の終わり、第四章と第五章です。 第四章では、主人公の一人、義雄、そして彼が一目惚れした後の歌人、齋藤史が、それぞれ心を痛める「ダブル失恋」の場面が登場します。 手前味噌になりますが、詩人、小熊秀雄がからむこの場面は、この物語の中でワタクシが一番好きなシーンです。 そして第五章では、その史と父親の瀏が旭川を去ります。 四章と五章の間には、大正から昭和の改元があります。天皇

          小説版「旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデンエイジ」第四章・第五章

          小説版「旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデンエイジ」第二章・第三章

          はじめに 前回から掲載を始めた「小説版 旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデンエイジ」。今回は第二章と第三章。いよいよ物語の主要舞台になるカフェー・ヤマニの登場です。 ヤマニは大正末〜昭和初期の旭川に実際にあったお店です。この物語の頃のヤマニはまだ食堂時代から続く和風建築のままですが、昭和5年には第二章にも登場する名建築家、田上義也(たのうえよしや)の手によって、斬新なデザインのファサード(外壁)が取り付けられ、魔法のようにモダンな姿に変身します。 また店長の速田も登場する

          小説版「旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデンエイジ」第二章・第三章

          小説版「旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデンエイジ」 プロローグ・第一章

          はじめに 大正末〜昭和初期にかけて、北海道旭川市には、詩人の小熊秀雄、画家の高橋北修(ほくしゅう)、カフェー経営者、速田弘、のちの歌人、齋藤史(ふみ)ら、キラ星のような若き才能が集い、交差し、切磋琢磨した奇跡のような一時期がありました。 この時代の旭川を舞台にした住民劇「旭川歴史市民劇 旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデンエイジ」が上演されたのは、2021年3月。コロナ禍のなか、多くの人たちの努力と支援によって実現した舞台は、大きな感動を呼びました。 「那須敦志@郷土史ラ

          小説版「旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデンエイジ」 プロローグ・第一章

          「神田館の大将」・佐藤市太郎

          今回は、前回の記事「大正の郷土史エピソード3題」で触れた「神田館の大将」こと、実業家、佐藤市太郎(さとう・いちたろう)についてです。 旭川の郷土史を調べていますと、多くの魅力的な人に出会います。 なかでも彼は、実に人間臭いところがワタクシのお気に入りです。 今回は、講演ではお話していますが、文字にはしていないお話です(部分的にはしていますが…)。 それではどうぞ! ******************** ◆ 生い立ち 画像1 佐藤市太郎(1867−1942・札幌市文化

          「神田館の大将」・佐藤市太郎

          「大正の郷土史エピソード3題」

          維新後の日本は、明治、大正、昭和、平成、そして令和と移り変わってきました。 その中でワタクシがもっとも好きなの時代が、大正です。 そんな大正期の旭川には、お伝えしたい郷土史のエピソードがたくさんあります。 今日はそんな中から小ネタ3題をまとめてお届けします。 今回も別ブログなどで既出の記事をアップデートして掲載する「蔵出し」です。 それではどうぞ! ******************** ◆ まずは画像クイズ! 本題に入る前に、まずクイズです。 画像1 クイズ画像

          「大正の郷土史エピソード3題」

          3人の「ふみ」プラス1

          今回も別ブログなどで既出の記事をアップデートして掲載する「蔵出し」です。 旭川で2度暮らした日本を代表する歌人、齊藤史(さいとう・ふみ)については、これまで2本の記事を掲載していますが、今回も彼女の関連です。 旭川の文化史を調べていると、たくさんの「ふみ」に出会うというお話です。 ******************** ◆ 歌人の「ふみ」 写真1 齋藤史(1909-2002・17歳のころ・齋藤宣彦氏蔵) 最初に登場する「ふみ」は、その齋藤史です。 ご紹介していますよ

          3人の「ふみ」プラス1

          雪景色の旭川・なつかし絵葉書から

          今回も別ブログなどで既出の記事をアップデートして掲載する「蔵出し」です。 旭川は北海道の中でも特に寒く、雪の量も多いことで知られています。 そういえば、日本の気象官署で観測された最低気温の記録。 明治35(1909)年、旭川にあった上川測候所が早朝に観測したマイナス41度でした。 マイナス30度というのは、旭川生まれのワタクシの場合、子供の頃に何度か経験しています。 ただマイナス40度はさすがに想像がつきません。 そして雪の量。 旭川は一般に一冬に約7メートルもの雪が降るとさ

          雪景色の旭川・なつかし絵葉書から

          「現代の女性美」と齋藤史

          旭川で2度暮らし、のちに日本を代表する歌人となった齋藤史(さいとう・ふみ)。 旭川を訪れた酒と旅の歌人、若山牧水とのふれあいに加え、二・二六事件との深い関わりなど、「物語を持った最後の歌人」と呼ぶ方もいます。 彼女については、昭和初期、いわゆるミスコンで優勝したといった風説がありますが、今回はそれに関して入手した興味深い資料をご紹介します。 *************** ◆ 旭川で二度暮らした歌人 画像01 齋藤史(1909−2002・齋藤宣彦氏蔵) 齋藤史は、19

          「現代の女性美」と齋藤史

          昭和2年の夏期講座

          今回も別ブログなどで既出の記事をアップデートして登録する「蔵出し」です。 旭川は、昔から北海道の交通の要所であったことから、数多くの文化人が訪れた場所です。 中には、一時期、旭川に住んだという人も少なくありません。 今回はそんな文化人のうち、詩人として知られる2人が関係した昭和初期のあるイベントのお話です。 それでは、どうぞ。 *************** ◆ 雨情と小熊 画像01 野口雨情(1882−1945・郷愁と童心の詩人 野口雨情伝) 画像02 小熊秀雄(

          銀座時代の速田弘 新資料

          前回は「蔵出し」で、大正〜昭和初期の旭川の人気カフェー店主、ヤマニの兄貴、ヤマニの大将こと速田弘(はやた・ひろし)についての記事を投稿しました。 今回は、その速田の東京銀座時代の新資料について、この夏に発信した記事を紹介します。 それではどうぞ。 **************** ◆ シローチェーンの広告まずは、こちら。 画像01 シローチェーンの広告 化粧品の広告としても通用しそうなスタリッシュなイラスト。 大正末〜昭和初期の旭川で活躍したカフェー・ヤマニ店主、速

          銀座時代の速田弘 新資料