”コミュニケーションの悪循環”が離婚の危機を呼ぶ
パートナーと会話をしているときに、”個人”として大切にされていない感覚を感じたことはないでしょうか?
”わたし”という個人よりも、”家族”としてどうあるべきかや、どうすべきかといったことを優先されていると感じたことは?
”わたし”という存在を軽く扱ってもいいと思われているんじゃないかと感じたことは?
ぼくは、ちょっとしたことで夫婦関係が悪くなる原因がわからず悩んでいたのですが、「日本の夫婦 パートナーとやっていく幸せと葛藤」という本のなかにヒントを見つけることができました。
本書によると、日本の家族や夫婦は「自分と相手との個別性」よりも「情緒的一体感を重視する」傾向が高いそうです。
たとえば、3世代同居家族のなかの「嫁」は、ひとりの女性としての個別性よりも「嫁」としての機能を求められますよね。
家事育児はもちろん、義両親のお世話や介護まで、なにも言われず当たり前のように強制されるケースは多いと思います。
また、うちの父のようにお婿さんとして女性側の家に婿養子として入った場合も、義両親のお世話を当たり前のように強制されます。
そこに個人の意思が入り込む余地がないほどに。
また、夫婦であっても、パートナーの意思よりも「家族としての意思」を優先されることがあると思います。
そうなると、パートナーに甘えづらくなってきますよね。自分の意思がわがままであるかのように思えてしまいますから。
本当はわがままなんかではなく、人として尊重されるはずの”個人の意思”であるのに。
パートナーに素直に甘えられなくなると、すねたりひがんだりするようになります。ぼくもそんな経験があります。
(なんでわかってくれないんだよ!)
(どうせ、あの人には言ってもムダだし)
そんなことを思うようになりますよね。
すると、お互いの違いを受け止められなくなってきて、ふだんの会話に嫌味や否定が混じるようになってきます。
ぼくも否定から入る言葉をかけたり、かけられたことがあります。相手のことが嫌いなわけではなくて、ただの”ひがみ”がこじれた結果のコミュニケーションなんですよね。
これが続いていくと、相手のなにもかもがイヤになってきて、相手もこちらに対して否定や嫌味をぶつけるようになり、ますます関係がこじれていきます。
こうやってコミュニケーションが悪い循環にハマり、ふたりはそこから抜け出せなくなってしまいます。
コミュニケーションの悪循環はなぜ発生するのか?
どうやってそこから抜け出せばいいのか?
どうすれば、またふたりはより良い関係を作れるのか?
今回のポッドキャストでお話しします。
ぜひ、お聴きください。
■アツの夫婦関係学ラジオ
#430 コミュニケーションの悪循環が深刻な不和を呼び寄せる/離婚への別れ道はどこにある?
※「アツの夫婦関係学ラジオ」は毎週月曜木曜の朝5時配信です。
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