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夫婦の絆を作る”心の脆弱性”とは?

「オレには当事者意識が足りなかったんだと思う」

妻にそう伝えると、ぼくは涙が止まらなくなった。

正しくは、「オレには、とうじ…」と言ったところで泣き崩れてしまい、妻に抱かれたまま何も言えなくなってしまったのだけど。

情けない自分を見つめることは、なぜこんなにも辛いのか?

いたらない自分を受け止め、言葉にすることは、なぜこんなにも痛みをともなうのか?

自分を責めているから辛いんじゃない。

反省しているから辛いんじゃない。

ただ、「心の奥にある素直な本音を妻に伝えること」が、とてつもなく怖かったんだ。

妻の前で涙を流した前日の朝、子どもの授業参観がその日にあることを初めて知ったんです。

(え?、去年と一昨年は妻と一緒に行ったから今年も行きたいな)

そう思ったのですが、仕事を急に休むわけにもいかず、妻も「私が一人で行けるから大丈夫」と言うので、お願いすることにしました。

妻は午前中に仕事をし、午後に子どもたち(双子なので二教室の往復)の授業参観と懇談会に出席し、その後、子どもたちの習い事の送り迎えをし、夕飯の用意をし、子どもたちの宿題のチェックをしました。

ぼくが家に帰ったのは19時。疲れ切った妻と口論になりました。

と言っても、妻はいたって冷静でぼく一人が怒り気味でした。

「なんで授業参観があることをもっと早く言ってくれなかったのか?」

「タイムツリー(スケジュール共有アプリ)に入れたと言っても、最近は更新されてないから見てない」

「子どもに関わることはオレも関わりたいから、誰がどうやっていくかちゃんと話し合って決めたい」

そう話しながら、ぼくは自分の発言に違和感も感じていました。

授業参観日は学校からのプリントに書かれており、そのプリントは妻が丁寧にバインディングし、リビングに置いてあります。

見ようと思えばいつでも見れる場所にあります。

タイムツリーは今回のような情報の抜け漏れが出ないよう、数年前にぼくが提案して導入しました。

ぼくはその気になればいつでも授業参観日を把握し、妻と相談できる状況だったんです。

「その気」とは何か?

授業参観に出ようと思うこと。

子どもたちの学校生活に関わりたいと思う気持ちのこと。

妻の身体的、精神的なキャパに想いを馳せること。

ぼくにはそれらが抜けていたんです。

小学校に入ったばかりの頃は、子どもたちが新生活に慣れずトラブルが多かったので意識して関わっていたのですが、最近では学校の友だちと仲良く遊ぶことが増え、彼らの学校生活に不安を感じることはなくなっていました。

子どもたちの習い事の送り迎えを妻に任せることが増え、妻も慣れてきたから大丈夫なのだろうと思っていたんです。

そして、最近のぼくはnote執筆やポッドキャスト収録、英語のレッスン(特にライティングの宿題)が増え、日々に余裕がなくなっていました。

自分の時間を抑えることに集中するあまり、家庭内のタスクを俯瞰して眺め、妻のキャパを気にかける余裕がなくなっていたんです。

自分のやりたいことに集中するあまり、家庭内タスクに対する当事者意識が欠けていたんです。

寝れない夜を過ごした翌朝、ぼくは妻に気持ちを伝えることにしました。

だけど、言葉が出てこないんです。

自分の気持ちはわかっている。それを伝えたいこともわかっている。

だけど、口から言葉が出てこない。

言葉を出そうとすると、涙が出てきてしまう。

自分でもびっくりでした。

これはいったいなんなのか?

そこには、自己開示による拒絶のリスク、そして脆弱性の恐怖が関係していたのです。

なぜ、人は本音をさらけ出すことが怖いのか?

素直な感情をパートナーから拒絶されると、強い距離を感じますよね。

社会的に孤立したような感覚さえ覚えます。

カリフォルニア大学心理学部の研究によると、社会的な苦痛を感じるとき、身体的苦痛と同じ痛みを脳が感じているそうです。

A neuroimaging study examined the neural correlates of social exclusion and tested the hypothesis that the brain bases of social pain are similar to those of physical pain. Participants were scanned while playing a virtual ball-tossing game in which they were ultimately excluded. Paralleling results from physical pain studies, the anterior cingulate cortex (ACC) was more active during exclusion than during inclusion and correlated positively with self-reported distress. Right ventral prefrontal cortex (RVPFC) was active during exclusion and correlated negatively with self-reported distress. ACC changes mediated the RVPFC-distress correlation, suggesting that RVPFC regulates the distress of social exclusion by disrupting ACC activity.

要約:
ある研究で、人が誰かに無視されたときに、脳がどう反応するかを調べました。参加者は、コンピューターの中でボールを投げたり受け取ったりするゲームをしていました。最後に、誰かが他の人を無視して、参加者がボールを投げたり受け取ったりできなくなるようにしました。この時の脳の動きを、MRIで撮影したところ、脳の特定の場所が身体的な痛みと同じように反応することがわかりました。

https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/14551436/

つまり、心の痛みは体の痛みと同じなんです。

他者に心を許すということは、たとえパートナーであっても刃物で切りつけられるような恐怖と戦うことなんです。

繊細な心に刻まれた傷口から悲しみの血が流れ、どんなに縫い合わせても傷口が元に戻らないほどの深い傷を心に負います。

自分の本音を相手から否定されると、(自分なんてたいした存在じゃない…)と思ってしまうことがありますよね。

差し出した柔らかな心の拒絶は、自己評価を大きく下げる可能性もはらんでいるんです。

本音を出す(自己開示)ことには、とてつもないリスクが付きまといます。

心の奥にある素直な気持ちは、とても傷つきやすく、脆い存在だからです。

ですが、その脆く柔らかな感情をパートナーと共有することで、二人の関係性を大きく強化されることもできるんです。

アメリカ心理学会学術雑誌「Psychological Bulletin」の記事によると、素直に自己開示をする人はそうでない人より好かれやすかったり、自己開示をすることで、話し相手を好きになりやすいという研究結果があるそうです。

Self-disclosure plays a central role in the development and maintenance of relationships. One way that researchers have explored these processes is by studying the links between self-disclosure and liking. Using meta-analytic procedures, the present work sought to clarify and review this literature by evaluating the evidence for 3 distinct disclosure-liking effects. Significant disclosure-liking relations were found for each effect: (1) People who engage in intimate disclosures tend to be liked more than people who disclose at lower levels, (2) people disclose more to those whom they initially like, and (3) people like others as a result of having disclosed to them.

要約:
自己開示は、人間関係の発展と維持に中心的な役割を果たす。研究の結果、以下のような「自己評価」と「好意」の関係性が確認された。

(1)親密な自己開示をする人は、低いレベルの自己開示をする人よりも好かれる傾向がある。

(2)人は最初に好意を持った人に対してより多くの自己開示をする。

(3)人は他人に開示した結果、その人を好きになる。

https://psycnet.apa.org/record/1995-09363-001

つまり、人は素直な本音を話せば話すほど、相手から好かれ、自分も相手を好きになるということ。

夫婦ならば、お互いに柔らかな本音を共有すればするほど、お互いへの好意が高まっていくわけです。

ぼくは、妻に素直な本音を共有すればするほど絆が強まっていく感覚があったのですが、間違ってなかったようです。

ぼくは「情けない自分と向き合うのが怖かった」と書きました。

ですが、それだけではなかったんだと思う。

”妻”から、情けない男だと思われるのが怖かった。

”妻”から、軽蔑されるのが怖かった。

”妻”に傷つけられるのが怖かった。

きっと、そうだったんです。

「本当の勇気は『弱さ』を認めること」の著者である心理学者ブレネ・ブラウンもこう言っています。

「脆さとは強さであり、弱さではない」

自己開示の恐怖を乗り越え、柔らかな感情を言語化し、相手に伝えることで、ぼくらはもっともっと、近づくことができる。

ぼくはそう信じています。

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