大石眞先生の「公布再考」への疑問
はじめに
大石眞先生の「公布再考」は、1979年に國學院法学17巻3号に掲載された論文をもとに、加筆訂正をされ、『憲法制度の形成』260頁以下(信山社、2021)に収められています(以下では、同書に収められたものを「本論文」とし、頁表記は同書の頁を表すこととします。)。同書は、基本的には大石先生の2000年以降の論文を収める論文集ですが、この論文だけは、約40年前の論考を基礎としていて、同書の「はしがき」によれば、「その所以は、これに関連する本格的な研究成果が日本の学界にはきわめて乏しく、多くの憲法教科書における公布制度の簡潔な叙述を深く読み解いたり、例えば、近年の櫻田嘉章=道垣内正人編『注釈国際私法(第一巻)』(有斐閣、二〇一一年)における法律の施行期日に関する沿革や比較法の解説などを十分に理解したりするうえでも、かつて草した論考が今日でも大いに役に立つのではないか、と思われたからである。」(ⅰ頁)ということです。
初出論文を、刊行後10年以上経って読んだ際にも疑問を持ちましたが、その時点では私の理解力不足かとも思い、それ以上のことは考えませんでした。今回、立法学関係の本の執筆のためもあり、本論文を読んでみたのですが、なお、疑問は残り、一方で、初出時点からの情勢の変化があまり反映していないことになっているように思えることから、その点の疑問も浮かぶということになりました。そのため、以前にもまして本論文についてどう考えればよいかよくわからなくなりました。もとより、私の不勉強と理解力のなさが原因であろうとは思いますが、本論文の一部に疑問があるということではなく、ほぼ全体にわたり疑問があるということになっています。その意味で公開して疑問を述べることがいいのではないか、また以下の疑問を示すことも公布について考える上でも意味があるかもしれないと思い、ここで述べておくこととした次第です。ただ、疑問点が多く、一方でその疑問点が本論文で複数の箇所に関わることになるため、論点ごとに論じることがうまくできなかったので、以下では、基本的に本論文の記述に沿って、問題を提示することにします。そのため、同じ問題を何度も繰り返すことになることもあります。また、私自身がわからないということについて書いているわけですので、そもそも私の論旨がわかりにくいものになっていると思います。これらの点はご容赦ください。
ここでは、一応まとまったので、掲載しましたが、なお、論じ切れていない部分もあるようにも思いますし、私自身の方に誤り等があるかもしれません。今後の加筆訂正もあると思います。また、私の書いていることについて誤りその他問題がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。
なお、ここでは基本的に初出論文ではなく本論文について論じることとします。
更新情報
令和5(2023)年4月30日 官報電子化検討会議での大石先生の講演を受けて、改めたところがあります。
1 我が国の法令の制定文について
1−1 我が国の法令の制定文についての実務
本論文では、冒頭で恩給法等の一部を改正する法律(昭和54年法律第54号)の官報での登載の仕方を示した上で、次のように書いています。
確かに、一般的には我が国の法律に制定文は付されません。しかし、法律においても制定文が付されるものがあります。また、政令には制定文が付されるなど、我が国においても制定文と呼ばれるものがあります。大石先生は、我が国には制定文がないとし、制定文に関する実務については全く言及されていません。本論文で参照している林修三『法令作成の常識 第2版』(日本評論社、1975)では、第三章第四で「前文と制定文」を扱っていますが、なぜかこの箇所については無視されています。
では、実際に現在の実務で制定文についてどう扱われているかを見ていきたいと思います。この場合、制定文とは、既存の法律の全部改正法の題名の次に置かれる既存の法律の全部を改正するものである旨を示す文章及び政令の題名の次に置かれる当該政令を制定する根拠を明らかにする文章をいう(法制執務研究会編『新訂ワークブック法制執務 第2版』(ぎょうせい、2018。以下「ワークブック」とします。)とされています。かつては、憲法や教育基本法(平成18年法律第120号)などにある前文を制定文と呼ぶこともありました。しかし、現在では、通常、制定文というと、前文とは区別して、全部改正法の場合と政令に置かれるものを指しています。このように、全部改正法の場合に制定文が置かれるのは、廃止制定の場合と区別できるようにするためです。
全部改正法律の場合の制定文は、「◯◯法(令和◯◯年法律第◯◯号)の全部を改正する。」とします。この場合、その文自体は一部改正法の場合の改正文と同形で、制定を意味する言葉は使われておらず、これを制定文といえるのかという疑問があります。この点について、林・前掲110頁では、「一時、「国会は、◯◯法(昭和◯◯年法律第◯◯号)の全部を改正するこの法律を制定する。」という形の制定文(前文)が置かれたこともあるが、現在では、この形は用いられない。」としています。この制定文を置く法律には、国営競馬特別会計法(昭和24年法律第42号)があります。この形であれば、制定文と言えるでしょう。結局、この形式の名残で、全部改正の場合のこの文章を制定文としたということであろうと思います。このように、制定文という場合、法律制定の主体、日本国憲法下では国会ですが、制定することを宣言するものだということです。なお、この制定文は、法律案の段階で付されています。
政令については、既存の実施政令を廃止する政令などを除き、題名の次にその政令を制定する根拠を示す制定文が置かれます。行政手続法施行令(平成六年政令第二六五号)で見てみましょう。題名の次の文が制定文です。
全部改正政令の場合の制定文は、次のようになっています。
政令は、憲法上、法律の規定を実施するため、又は法律の委任に基づいて制定されるものであることから、制定文を置いて、その根拠となった条文、どの法律を実施するためのものかを明らかにするのです。この場合、制定文の書き方で、委任命令の場合には「~の規定に基づき」とし、実施命令の場合には「~を実施するため」とすることで、両者の区別がなされています。また、両者を併せたものもあります。また、この場合には制定権者である内閣が政令を制定することを示していることにもなります。
もっとも、政令に制定文を置くことになったのは、ポツダム命令の制定にあたって、「ポツダム命令であることを明らかにする趣旨で、「内閣は、ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件(昭和二十年勅令第五百四十二号)に基き、この政令を制定する」旨の制定文が付けられることになったが、一般の政令に制定文〈問55 参照〉が付けられるようになったのも、これを契機とするものであった。」(ワークブック62頁) ということです。
これらの制定文は、法令の一部をなすものです。しかし、政令の制定文に引用されている法律の題名、条名等がその後の改正で変わっても、制定文の変更は行わないものとされています。
一方、府省令や外局の規則についても「政令にならって制定文が付けられることが多い。」(ワークブック163頁)し、裁判所規則についても制定文が付けられます。ただ、「府省令、規則等については、制定文<問55 参照>から始まる形で公布される」(ワークブック22頁)のです。この場合には、公布文を置かずに制定文から始まることになるため、題名の前に制定文が置かれます。裁判所規則も同様です。その意味で、これらの制定文は、法令の一部と言えるかは疑問があります。
府省令の制定文の場合も、委任命令の場合には「~の規定に基づき」と実施命令の場合には「~を実施するため」とし、両者を併せたものもあるとされています。また、府省令の場合には、政令とは異なり、府省令の制定主体が明示されず、「〔省令の題名〕を次のように定める。」という文章となっています。これは、制定主体が大臣であり、大臣の署名があれば主語として出ていなくても、制定主体が明らかだということであると思います。
このように我が国においても実務としては法令の制定文というものがあるといえますが、本論文では、基本的にこうした実務について考慮していないということがあります。本論文では、法律の公布、制定文、施行といった実務に係る事柄を論じているので、実務を否定するにせよ、肯定するにせよ、実務を踏まえた議論がなければならないと思うのですが、そうはなっていないように思います。もちろん、実務を批判することがあってもよいのですが、本論文ではそういう意味での批判もなく、論じられているので、実務との関係をどう考えるのかがよくわからないように思います。その結果、少なくとも、現在の実態を適切に反映していないことになってしまっていると思います。このことは、我が国についてだけでなく、諸外国についての記述でも同様の問題があるように思います。
1−2 制定文の欠如は法律の公布の問題か?
我が国の法律が一般的に制定文を欠くことについて、「諸外国における官報による法律の公布の例に比して特異なものといえる。」とされています。しかし、フランスの法律に制定文があるかは、この後述べるように疑問があります。また、1−1で述べたように我が国の法律・政令の制定文は、案の段階で付されていますし、後述するようにドイツ、イギリス、アメリカでも同様に案の段階で付されています。つまり、制定文が付されるかどうかは公布の問題ではなく、法律の備えるべき形式の問題ということになると思います。大石先生は、制定文が公布の問題となることの理由について、述べていただきたいと思います。
2 制定文の意義
2−1 フランスの制定文?
大石先生は、「一九七七年度予算の決定的規制を内容とする法律(一九七七年七月一二日第五九〇号)」の冒頭部分を示した(261頁)上で、次のように書いています。
しかし、ここで示されたフランスの法律に付された文書は、制定文ではないと思います。この文書は、大石先生の言葉では「公証」をする文書で、もしいうとするならば、「公証文」というべきものではないでしょうか。本論文においても、「この公証の形式は、第三共和制のもとでは、一八七六年四月六日の「法律の公証形式を定めるデクレ」、第四共和制では「大統領による公証形式に関するデクレ」(一九四七年第二三七号)によって、それぞれ規律されたが、第五共和制にいたって一九五九年五月一九日の命令の改正するところとなった。本章の冒頭に示したものがそれである。なお、法律の日附も、この公証のそれである。」とあることからも分かるように、これは公証の文書であることは明白のように思います。この文書を制定文とするということが全く間違いということではないと思いますが、そうだとすると、我が国、ドイツ、イギリス、アメリカで制定文とされているものは、この意味での制定文ではないというべきです。しかし、大石先生は、この点について特に問題とはされていません。この点はどのように考えているのでしょうか。
このように考えると、制定文について、大石先生がいうような意味の制定文か私のいうような意味の制定文か、いずれと考えるにせよ、「フランスに限らず、一般に諸外国はこうした制定文を不可欠とする」ということにはなっていないことになると思います。
2−2 制定文の意義
2-1でも制定文の意義について疑問を述べましたが、通常、制定文は制定権者が制定を宣言するというものをいい、この点は我が国や諸外国でも同様であると考えます。フランスについては、例えば岡村美保子・古賀豪/訳「官報に掲載される法文の作成、署名及び公布の規則並びに首相所管の特別手続の実施に関する1997年1月30日の通達(翻訳・解説 フランスの法令制定手続―法令案作成から公布まで)」外国の立法210号52頁以下(2001)では、「1. 4. 3」が「制定文」を扱っています。ここでは、'visa'を「制定文」と訳しています。その意味で、この「制定文」が我が国やドイツ・アメリカ・イギリスなどでの制定文と同じなのかは問題ですが、そこでは、フランスでは、政府提出法律案には制定文はつけませんが、デクレやアレテには制定文をつけることとされています(同59〜60頁)。その上で、この記事では、「公証」ではなく「審署」と訳していますが、法律の公証について「5.1.16. 審署」で規定しています(同99頁)。この場合、大石先生は、注29で「公証の性質上、それが行政府の命令について行われないことは当然であり、そのために「法律の公証の形式を定めるデクレ」なのであって,大統領は法律を公証するなどと規定されるのである(一八七五年七月一六日法律第七条、第四共和制(一九四六年)憲法第三六条、第五共和制(一九五八年)憲法第一〇条参照)。」(293頁)としているので、デクレやアレテに制定文を付すこととされている以上、ここで制定文とされているものが法律の公証とは関係していないものであるということが理解できると思います。この場合、大石先生は、公証が制定権者ではない第三者の公証、フランスの例では議会ではない大統領の公証、ということにしているようです。制定文に公証の意味があるという場合、制定権者が法令の成立を自ら公証するというように考えることはありえます。しかし、大石先生は、公証について、制定権者ではない第三者による公証ということに限定しているように思えます。大石先生は、この点をどう考えているのでしょうか。
なお、現在のフランスでは、上記の通達によるというよりも、Guide de légistique(現在のものは、2017年に更新された第3版)という憲法院の判例、コンセイユ・デタ及び行政機関の意見、首相の通達、実務で検証された慣例などを参考に一つの文書としてまとめられた手引きにより、実務は行われています。なお、このGuide de légistiqueにおいても"3.1.5 Visas d’une ordonnance, d’un décret ou d’un arrêté"があり、その最初の"Considérations générales sur les visas"の冒頭(273頁)で、”Les projets de loi ne comportent pas de visas.”「法律の案は,制定文を付けない.」とした上で、オルドナンス、デクレ、アレテの案に制定文を付けることについて説明しています。
一方、我が国の制定文の実務では、先述したように、案の段階で付されます。このほか、ドイツ、イギリス、アメリカでも、法律の制定文は法律案の段階で付されています。この意味で、制定文を付けるかどうかは法令が備えるべき形式の問題であり、公布の問題ではないことは明らかです。
また、法形式の問題であるとすると、我が国では制定文を付するかどうかは法令で定めるべきことというものではなく、内閣法制局の例規で定めることができるものであるといえます。法律に題名を付することと同様の問題であるといえます。また、先述のように全部改正法律に制定文を付すことになっていますが、これも特に法令の規定を必要とするとは考えられていません。また、我が国においても法律に制定文を付すことが検討されたことがありましたが、それも法令の起案の例規によるものでした。具体的には、国立公文書館のデジタルアーカイブで「法令起案例規」と検索すると出てくる文書ですが、行政文書>内閣官房>内閣総務官室関係>閣議・事務次官等会議資料>芦田内閣閣議書類(その3)昭和23年5月1日~昭和23年5月18日の中に「法令起案例規(その1)法制長官説明」という文書があります。
これは、芦田内閣閣議書類(その3)昭和23年5月1日~昭和23年5月18日の簿冊中の「5月1日(土)案件表」により昭和23(1948)年5月1日の閣議に出されたものであることが分かります。つまり、佐藤達夫法務庁法制長官による閣議での説明のための文書であるということだと考えられます。この文書では、法律及び政令に制定文を付することとしています。抜粋して示します(原文は縦書き)。
ここでは、まず、起案の例規であることから、起案の段階で、つまり法律案作成の時点で制定文が付されることが分かります。そのことは、この制定文を付する主体は、立法権を有し、法律を制定する主体である国会であることを示しています。
しかし、法律に制定文を付することは例規とはならなかったようです。というのも、昭和23年5月22日付で「法務庁法制長官総務室主幹 高辻正己」名で各省に「今般当部において、別紙のような法令起案例規を作成したから、貴部内関係の法令起案に際し、ご参考にせられたい。」として送付された文書では、法律の制定文についての部分は落とされています。具体的には、国立公文書館デジタルアーカイブで上記のように「法令起案例規」で検索すると上の文書とともに出てきますが、次の二つのものがあります。
①行政文書>*内閣・総理府>太政官・内閣関係>第一類 公文雑纂>公文雑纂・昭和23年>公文雑纂・昭和二十三年・第三巻・法務庁・外務省、大蔵省、厚生省、農林省、商工省、会計検査院の中の「法令起案例規参考トシテ送付ノ件」
②行政文書>農林水産省>*農商務省農林行政関係~農林水産省文書>一般文書・昭和23年の中の「法令起案例規について」
この2つの文書には、この送付された文書が出ています。この送付された文書では、「法令起案例規(その一)」と「法令起案例規(その二)」があわせて出ていますが、そのうち前者は、先の「法令起案例規(その1)法制長官説明」に相当するものです。しかし、この「法令起案例規(その一)」には、「法令起案例規(その1)法制長官説明」の冒頭の「今後法律及び政令には、左の例により制定文を附すること。」が「今後政令には、左の例により制定文を附すること。」と改められ、その上で「第一 法律の場合(通常の場合)」、「第二 法律の場合(参議院の緊急集会による場合)」及び「(備考)」のうち「(1) 法令の制定文は、法令制定の目的を加〔味する〕等その法令の性質に照らし、これを装飾することを妨げないこと」(引用者注。〔〕は、手書きで加えられていた部分)の部分を落としたものとなっていることが確認できます。このことは、その経緯や理由は不明ですが、法律に制定文を付することは断念し、政令に制定文を置くことだけが決まったことを示していると考えられます。ただ、先述したように、法律でも全部改正の場合には制定文を置くことになっています 。
3 公布と公証
日本国憲法は、立法権は国会にあるとし、天皇は法律を公布するとのみ定め、フランスやドイツとは異なり、その公証については定めていません。このフランスとドイツの公証については、論者によって審署や認証という訳語にしていますが、山本浩三「法律の審署権(一)」同志社法学36巻6号1頁以下(1985)、同「法律の審署権(二)」同志社法学37巻1・2号38頁以下(1985)、同「審署権と裁判所の審査」同志社法学37巻5号1頁以下(1986)、加藤一彦「ドイツ連邦大統領の法律審査権―連邦法律認証権の意味とその限界問題」現代法学14号73頁以下(2007)があります。フランスやドイツで、この公証についてどのような議論があるかはこれらの論文を見ていただきたいと思います。
問題は、日本国憲法では、公証ということを明文で規定していません。少なくとも、制定権者がその成立を宣言するという形での公証はありうるとしても、大石先生が考えるような制定権者ではないものがする公証というものはないと考えるのではないでしょうか。そのため、上記の引用文のようにいうためには日本国憲法上公証をどのように位置づけるか憲法論として論じる必要があると思うのですが、大石先生は本論文でその点について論じていません。この点が私にとっては最大の謎です。先の引用文で大石先生は「制定文を欠くことは、これまで充分な注意を払われていないが、フランス・ドイツその他の諸国で広くみとめられる公布と公証(審証・審署)との区別が、わが国ではほとんど意識されず、現行法制のもとでも行われていないという事情は、この点に大いに関係しているようである。」としていますが、そもそも日本国憲法では公証(審証・審署)が規定されていないので、公布と区別して、公証について論じる必要がなかったということではないかと思われます。少なくとも上記のようにいうのであるならば、憲法上公証をどのように位置づけるのか論じた上でなければならないと思いますが、大石先生はこの点について論じていません。それを論じた上でなければ、公証について論じることのない学説のあり方に疑問を呈することはできないように思います。本論文が「公布再考」というものであるならば、憲法論として「公布」について論じ、その上で公証を憲法上位置付けた上で、「公証」について論じるということがされるべきです。
加藤先生の前掲論文では、ワイマール憲法での反省から大統領権限を縮小し、形式的機能しかもたないことにしているのにかかわらず、なぜ大統領が法律の審査権をもつのか不思議に思っていたことから、同論文での考察をすることになったとした上で、我が国のことについて次のように述べています。
このように考えるのが通常と思われますが、大石先生はこの点について論じることなく、上記のように公証が日本国憲法上認められることを前提としているようにみえます。しかし、そのように考えるのであれば、その点を論証する必要があると思います。
また、公証を憲法上の制度として位置付けることになるとすれば、先の山本先生や加藤先生の論文で述べられているフランスやドイツで論じられている問題も論じる必要があります。
大石先生が先学の指摘として掲げている園部先生の議論にあるように、我が国では「審証が特別な法的制度をなしていない」わけですから、日本国憲法では公証が制度化されておらず、憲法論として公証を論じないことは不思議なことではないように思われます。「立法行為と公布に関連して法令の合法的成立の確認と法令原本の確認を内容とする行為」は存在するとしても、それは法的制度ではないことを前提としていると考えられます。この場合に、大石先生はこの公証を法的な制度として考えているのかどうかも明確にしてはいないのですが、本論文を読むとどうも法的な制度として位置付けるべきとしているように思われます。その場合に、憲法上の制度としてなのか、法律で定めるかも明確ではないのですが、いずれにしても、日本国憲法上、公証という制度を位置付けることができるのか、論じるべきではないかと思います。そして、その場合に①法令の合法的成立の確認と②法令原本の確認との2つの行為があるわけですが、これらについてそれぞれどのようにするかを考えなければならないと思います。この点についても、大石先生はどう考えているのか、私には、本論文からはわかりませんでした。
一方、例えば、最高裁昭和33年10月15日大法廷判決の百選解説(浅野善治「202 法令公布の時期」『憲法判例百選II [第7版]』436頁以下(有斐閣、2019))にあるように「公布の意義として、国民への周知のほか、法令の「公証」の意義も含むものと考えることが適当である。」(同437頁)ということかもしれません。しかし、それでは、逆に大石先生が批判している「公布と公証との区別」を意識しない態度というべきことになるのではないかという疑問があります。
さらに、①法令の合法的成立の確認という意味での公証が法的な制度として位置づけられるとすると、公証という事柄の性質上、法律が憲法上の成立要件を満たしていない場合には、公証しないことが認められていることになります(こうした場合にも公証することが義務付けられているというのでは、公証を認める意味はありません。)。ということは、その場合には公布を拒否することができるということになると思われます。しかし、公布を拒否することができるというのは、法律の成立要件を定める憲法第59条に、憲法にない「公証」を必要とするという要件を加えることにならないかという問題があります。この点が憲法上問題とならないといえるのでしょうか。少なくとも、この点が論証されていないのは問題のように思われます。
また、この点は、権力分立の観点からしても、問題があるように思います。公証が公布に含まれるとすると、公証ができない場合に公布を拒否することができるということになると思われます。しかし、公布を拒否することができるというのは、立法権の行使を制限することを、天皇、つまりそれについて助言と承認を行う内閣が行うということになり、権力分立の原則から憲法上可能かどうかが問題となるはずです。少なくともその点を論じる必要があるはずです。しかし、大石先生も、百選の浅野先生も、その点は論じていません。このことが論じなくてもいいほど憲法学界で自明のこととは思われません。では、なぜ、この点について論じないのでしょうか。また、警察法改正無効事件(最大判昭和37年3月7日)で立法手続に司法審査が及ぶことについて議論になっているわけですから、憲法の明文がない中で行政権が法的な制度として公証を行えるとするのは、議論を呼ぶもので、自明のこととは到底いえません。いずれにしても、この点を論じる必要があると思います。
4 フランスの法律の公布と施行について
本論文では、法令の公布施行のあり方として、官報による形式的公布制度の説明をし、フランスでのその制度化を歴史的に説明しています。そのこと自体は問題というわけではありませんが、フランスの法律の公布施行についての現在のあり方を論じていないという問題があると思います。
まず、大石先生は、ナポレオン民法典の第1条について書いています(266頁)が、この民法第1条が2004年には改正されていることに触れていないということがあります。大石先生が参照している櫻田嘉章=道垣内正人編『注釈国際私法(第一巻)』(有斐閣、2011)73頁で、制定時のフランス民法第1条は異時施行主義を採用していたが、「(現行のフランス民法1条は、別段の定めがない限り、公布の翌日に施行される旨定めている)」としています。ただ、これでは、公布の翌日が原則のようにもとれますが、実際は「指定する日又はそれがない場合には公布の翌日から施行する」というものです。いずれにしても、現在、フランスでは異時施行主義は採用していないということになります。大石先生は、この点になぜ触れていないのか、疑問があります。
〔追記1〕令和5(2023)年4月
令和5(2023)年3月、内閣府に、官報電子化検討会議が設けられ、官報の電子化についての検討が始まっています。その第1回(令和5(2023)年3月14日)に大石先生が招かれ、官報、公布について講演を行っています。その内容は、レジュメ(「公布制度の考え方」大石眞京都大学名誉教授講演資料)とともに、議事要旨17〜24頁で公開されています。そこで、大石教授は、フランス民法の2004年改正について触れています(議事要旨19頁、レジュメ1頁)。では、なぜ本論文ではこの点に触れられていないのでしょうか。本論文は、初出論文に「かなり多くの補正を施したもの」(300頁)なのですから、この点について何らかの言及があってもよかったのではないでしょうか。
さらに、フランスでは紙媒体の官報は2015年末までで廃止され、2016年からはインターネットを通じた電子媒体の官報のみとなっています(豊田透「短報 【フランス】官報の電子化」外国の立法266−2号29頁(2016)。この点を無視して、フランスの官報や公布について議論することは、少なくとも、2021年時点では問題があると言わざるを得ません。
〔追記2〕令和5(2023)年4月
追記1で述べた官報電子化検討会議の第1回会議での大石先生の講演において、大石先生は、この点についても、触れています(議事要旨19頁、レジュメ1頁)。ここでも、本論文ではこの点について触れられていないことに疑問があります。
いずれにせよ、現在のインターネットの普及ということを考えると、少なくともインターネットによる官報発行や法令の公布ということについては、当然、考慮に入れるべきではなかったかと思われます。インターネットによる法令の公布は、紙媒体のものと併存しているかどうかということはあるにせよ、我が国でも諸外国でも行われていると考えるのが2021年時点では当然のことというべきだからです。本論文でも、インターネットでの官報の発行について次のように触れています。
このインターネットによる法令の公布ということは、紙媒体の官報の場合と異なり、地域的な入手可能性について時間的な差を生じることが無くなっているということを意味します。本論文では、紙媒体の官報での公布について地域的な入手可能性を問題としているのですから、この点について当然論じるべきではないかと思います。櫻田=道垣内編『注釈国際私法(第一巻)』で道垣内先生もこの点に触れてはいないのですが、地域的な入手可能性の問題を考える以上、当然考慮するべきはないでしょうか。
いずれにしても、現行のフランス民法第1条やインターネットでの法令の公布ということを考えると、そもそも大石先生が問題としているような異時施行といったことを現在論じる意味は何なのか示していただきたいと思います。
なお、上記298頁の引用文では公布時点について論じていますが、この点についても疑問があります。国立印刷局のホームページでの「官報について」のページでは、次にみられるように、通常の官報についてはインターネットでの配信と国立印刷局と東京官報販売所での掲示は発行日の午前8時30分に同時に行われるとしています。いずれにしても公布の時点は発行日の午前8時30分ということになるので、前記最高裁判決を前提とする限り、少なくとも現状では引用文のような議論の実益はないと思います。
さらに言えば、しかし、先述したように官報の発行に関する法律が成立し、同法が施行されると官報はインターネットによる発行が原則となり、公布の時点については、同法第6条により、官報ファイルに記録された官報掲載事項について、当該官報ファイルを電気通信回線に接続して行う自動公衆送信を利用して公衆が閲覧することができる状態に置く措置がとられた時に公布が行われたものとする、つまりインターネット上で国民が閲覧できるようになった時とされています。したがって、同法の施行により、この議論は解決されることになっています。
5 ドイツにおける法律の公布と施行
5−1 ドイツの法律の制定文と結語文
古賀豪「ドイツ連邦政府の事務手続ー連邦省共通事務規則」外国の立法214号130頁以下(2002)は、「ドイツ連邦共和国の連邦省の文書取扱、組織、行政府内部の協働、行政府外の機関との協働、政府提出法律案等の立案手続等に関し規律する共通の事務規則」を訳出したものです。以下では、この記事にならって、この連邦省共通事務規則を「GGO」 と略称することとします。このGGOの中で、制定文や法律の認証(同記事では、Ausfertigungを「認証」と訳していますが、本論文で大石先生が「公証」としているものに相当するものと考えられます。)について規定しています。GGOは、同記事の時点のものから、何度か改定されていて、最新版は2020年のものと思われます。ただ、引用部分に関する限り、条文の内容自体に変更はなく、形式的な変更(付録番号の変更など)があるだけのようであることと、この後参照する『法形式ハンドブック』が2008年のものしか見つけられず、それが依拠しているのが同記事の段階のGGOであることから、同記事での訳文を示します(したがって、ここでの頁は同記事の頁で、GGO〜頁と示します)。
なお、ここで制定文というのは、Eingangsformelの訳です。そして、GGO第42条(4)項にある『法形式ハンドブック』Handbuch der Rechtsförmlichkeitでは、新規制定法に付される制定文について次のように書いています(拙訳ですので、間違いがあるかもしれません。)。
このように、制定文は法案段階で付され、議会審議の中でも変更があるものです。一方で、GGOと『法形式ハンドブック』では、結語文Schlussformelとされるものについて規定しています。この結語文こそ、大石先生が制定文とされるもの(私は公証文と考えるものですが)にあたるものと言えると考えます。まず、GGOで、「法律の認証及び公布」は次のようになっています。
法形式ハンドブックでは次のようになっています。
ドイツでは、私の考える「制定文」と私は「公証文」とした大石先生が「制定文」と考えるものの二つが法律には付されるということになっていると考えます。大石先生は、この点についてどう考えているのでしょうか。
5−2 ドイツの法律の施行
ドイツの法律の施行期日規定について、法形式ハンドブックは次のようにしています。
ここで見られるように、ドイツでも形式的公布主義により実質的な周知がなされないのではないかという問題については、施行期日規定において施行期日を適切に設定することにより対応していることが分かります。これは、我が国を含め、どの国でも同様であると思います。この点で、憲法や法律で、特に法律で施行期日を規定しない場合の施行期日を定める規定があるとしても、それが原則であるという議論は実務を無視したものであり、実際とかけはなれたものということになるのではないかと思います。
6 イギリス
6−1 「出席推定の擬制」について
大石先生は、イギリスでは施行要件としての官報掲載という制度はなく、「多くの法律は国王の同意を得た日に、しかも公的な印刷が入手できるようになる前に、効力をもつ」というS. G. G. Edger, Craies on Statute Law, 7e 1971, p.33の文章を引用しています(270頁)。確かに、「国王の同意を得た日に、しかも公的な印刷が入手できるようになる前に、効力をもつ」法律があることはそのとおりですが、大石先生も述べているように、現在ではそうした法律が多いとはいえないように思います。とするならば、この点を原則とするのは疑問があります。なお、イギリスで官報掲載の制度ができなかったのは、「そこでは、むしろ、国民は法律の可決を立法時の手続きにおいて知ることができるので、ことさらな形式的公布を必要としないから」(270〜271頁)だとしています。その上で、次のように述べます。
しかし、この点については、疑問があります。そもそも、我が国の法律用語のあり方として、「推定」と「擬制」は、推定は反証が許され、擬制では反証がゆるされないということで区別されています。ここで大石先生は、本文では議会制定法の周知が「推定」されるとしていますが、注(41)ではこれは「法定存在論」だとして擬制と考えているようです。ブラックストーンの説明では、法律の周知に反証を許すようには思えないので「推定」ではなく、「擬制」であろうと思うのですが、いかかでしょうか。また、the fiction of costructive presenceの訳として、出席「推定の擬制」というのでは、意味が通じません。この場合、fictionもconstructiveも擬制を意味するので訳しにくいのですが、逐語的に訳すとすれば「法定出席の擬制」ということになるのではないでしょうか。
用語の問題はさておき、ここでの問題は、この出席の擬制について、ブラックストーンは、法的な擬制としていますが、本当にそうなのかということです。大石先生がイギリスの制度の特異性が我が国でも早くに知られていたとする例証として注(37)(293頁)で 挙げている「穂積陳重『法律進化論(第二冊)』(一九二四年)二九七頁」のすぐ後に、次のように書かれています。
このように、イギリスで官報による公布という方式がとられなかったのは、実際上差し支えないということと、そのためにも関係者への周知をしているという事実に基づくものだということです。この点は、次の6−2で述べるように、実務上は、施行期日の設定により周知を図るとともに、6−4で述べるように印刷配布により法律の周知を確保することを原則とし、印刷配布が効力発生に間に合わない場合には関係者への周知を図ることとしていることにも通じています。
また、官報による公布ということがないとしても、上に述べたように印刷配布はされ、それをもって公布ということもできると考えられます。佐藤功「法令公布の時期(上)」時の法令260号(1957)32頁以下は、イギリスでの法律の公布について次のように書いています。
したがって、法律は、印刷頒布され、また、施行期日の規定の設定をすることで、実際には、出席擬制の原則ということの実質的な修正がなされているというべきで、その点を考慮しなければ、イギリスにおける法律の公布ということの正確な把握とはならないように思います。
以下では、イギリスにおける法律の公布や施行について、現在のあり方について、見ていきたいと思います。
6−2 イギリスにおける法律の施行の実務
大石先生は、上述のように、イギリスでは、法律の施行について、明示の規定がない場合には、法の施行時期は「国王の同意を得た日の午前零時」となるが、現在では施行日について定める法律が多く、その場合には「その指定日の午前零時から施行される」として、次のように書いています。
まず「一八八九年「解釈法」(Interpretation Act)」は、現在では、Interpretation Act 1978にとって代わられているということがあります。現在、施行の時について定めているのは、次のInterpretation Act 1978 §4 です(legislation.gov. ukからコピーしたもので、配字は適当です。)。
1978年法は、1978年7月20日制定で、1979年1月1日施行の法律です。初出論文の時に参照できないとしても仕方がないといえます。しかし、40年以上も経過している以上、現在どうなっているかの確認ぐらいはしても良かったのではないかと思います。それでも、いずれにせよ、上記の引用文の内容自体に大きな変更をもたらすものではないとはいえるでしょう。その意味で、上記の記述が大きく間違っているというわけではないのですが、どういう場合に法律の施行日を定めるのかという点でのイギリスでの法律の施行についての実務について、注意を払っていないので、正確なものとなっていないように思います。
イギリスでは、国の法律案の作成に携わる職員向けに『立法の手引き』Guide to Making Legislationを策定しています。最新版は、2022年版(2022年8月改訂)のものです。とはいえ、ここで問題としていることについて以前のものと大きく変わってはいないように思います。ここで、イギリスでは、政府提出法案(正確には大臣提出法案)は、各省が法案を出すというときには、各省から指示書(instruction)を議会顧問局に出し議会顧問局で法案を起案するのですが、『立法の手引き』では施行期日について指示書でどう書くかを示しています。
このように、イギリスでは、施行に関する習律として、裁可後2ヶ月以上経過をして施行することを原則とし、それより前に施行する場合には、定められた例外となる場合以外は法務総裁等の同意を得ることとして、法的な問題が生じないようにするチェックがあるということになっています。つまり、国民への周知という点で実際上生じうる問題を回避するようになっているということだと思います。イギリスでも法令の周知については施行期日規定を適切に設定することで、問題が生じないようにしています。この点を踏まえなければ、公布と施行に関する制度についての正しい理解とはならないのではないかと思います。
6−3 イギリスにおける法律の公証
大石先生は、このように書くのですが、この点は問題があると思います。この点は、公証についての問題としてではなく、立法手続の司法審査の可否という文脈で問題となっています。川﨑政司「立法プロセスの裁判所による統制の可能性と限界」法學研究91巻1号171頁以下(2018)では次のように書かれています。
ここでは、議会の立法プロセスの司法審査について論じているためと思われますが、国王の裁可との関係や貴族院の関係などが不明です。しかし、いずれにしても、庶民院議長の証明書が公証の意味を有していることは否定できないであろうと思います。この場合、公証は議会の側が行うということです。この点、大石先生はどのように考えているのでしょうか。
6−4 イギリスにおける法律の印刷・刊行
イギリスで、法律が官報による公布ということはないのはそのとおりですが、法律の印刷・刊行はなされています。これは、先に穂積『法律進化論 第二冊』や佐藤功「法令公布の時期(上)」の引用からも明らかでしょう。しかし、大石先生は、イギリスにおける法律の印刷・刊行について次のように書いているだけです。
ここでは、制定された法律それ自体の印刷・刊行については論じられていません。本論文の限りでは、イギリスでは制定された法律の「公布」はなく、また、国民に対して効力を有するためには、印刷・刊行が要求されないということにも思えますが、本当にそうでしょうか。田中英夫編代『英米法辞典』(東京大学出版会、1991)のpromulgateの項目は、次のようになっています。
若干古くなってしまったので、必ずしも現在の状況を正確に表しているわけではないようにも思いますが、それでも、イギリスにおいても法律の印刷・刊行が行われていて、官報によるものではないとはいえ、法律を印刷物により公示するということは行われているというべきではないでしょうか。また、このただし書は、イギリスについても当てはまるものかどうかわからないところがありますが、印刷・刊行を行うこととしている以上、その意味で国民への公示が必要と考えられていることは間違いないように思います。
イギリスの法律の印刷・刊行について、国立国会図書館のリサーチナビでの「イギリス-法令・判例」のページでは、次のように説明しています。
ここで「国王の批准」というのは、'Royal Assent'のことで、本論文では「国王の同意」としているものではないかと思われます。これで分かるように、法律それ自体が法律ごとの冊子として印刷・刊行され、それを集めたものが刊行されています。また、リサーチナビでは、「National Archives (英国公文書館)のlegislation.gov.ukのHPでは、 1988年以降に成立した Public Actsのすべてと、1801-1987年までに成立した Public Actsの一部外部サイトへのリンク 及び1991年以降に成立した Local Actsのすべてと、1857-1990年までに成立した Local Actsの一部外部サイトへのリンク をみることができます。」というようにlegislation.gov.ukでこれらをみることもできることを述べています。
また、大石先生は、引用文で、公的な刊行物として「現行法規集」をあげています。これは、Statutes in Forceのことかと思いますが、そうだとすると、リサーチナビではこれは「更新が終了しました。」としており、実際、現在では刊行されてはいません。しかし、リサーチナビ自体この点に触れていないという問題がありますが、リサーチナビが制定法をみることができるとしているNational Archives (英国公文書館)のlegislation.gov.ukでは、この現行法規集の1991年の最終更新の版を底本にして、その後の改正を織り込んだもの(Revised Legislation)も提供しています。この意味で、現在では、現行法規集は、印刷物という形ではなく、ネットで提供されているということになります。結局、legislation.gov.ukでは、法律ごとに、制定された法律と制定後の改正を織り込んだ現行の法律との双方を読むことができるようになっているというように思います。詳しくは、legislation.gov.ukのHelp(FAQs)を参照してください。なお、Revised Legislationについては、Guide to Revised Legislation on legislation.gov.ukでの説明もあります。あわせて、参考にしてください。
なお、この意味で、この「現行法規集」は、その名称からも理解できるように現行の法規の姿を示すというもので、本論文で問題としている法律の制定された形での印刷物というものとは異なるものだということです。つまり、我が国でいえばe-Gov法令検索で示されているようなものだということです。ただ、イギリスの場合には、我が国などとは異なり、一部改正法について、改正法が施行された後も改正法がそのまま存続すると考えられているということがあります。そのため、Revised Legislationとしてlegislation.gov.ukに現行の法律の形で掲載されているのですが、それと併せて、制定時のもの、その後の改正時点ごとのもの(1991年以降のものに限られるようですが。)などがみられるようになっているのです。
その上で、先述した『立法の手引き』でも、法律の印刷について、次のように書いています。
ここで分かるように、イギリスにおいては、法律の印刷・出版に関して、法律の周知について配慮する実務が行われています。このような実務を考慮に入れないでイギリスにおける法律の公布や周知について論じるのは問題があるように思います。
7 アメリカ合衆国の法律
7−1 アメリカ合衆国の法律の制定に関する法制度
大石先生は、アメリカ合衆国については、公布を法律施行の要件としないことがイギリスと同様であるとし、憲法上の法律の制定手続について紹介した上で、制定文の形式について定める法律について説明するにとどめています。しかし、アメリカ合衆国においては、法律で、promulgation(これをどう訳すかは後述のように問題があります。)、法律の印刷、スリップ・ローslip law・制定法律集Statute at Large・合衆国法典U.S.Codeなどの証拠能力などについて定めており、こうしたことを見なければ、アメリカ合衆国の法律の公布・施行について論じることはできないのではないかと思います。
まず、合衆国法典U.S.Codeのタイトル1一般規定の第2章から関連箇所の本文のみを見てみましょう。
以上のほか、タイトル1の第3章は、U.S.Codeについて規定しています。
制定法の印刷などについては、タイトル44の公共的印刷及び文書〔PUBLIC PRINTING AND DOCUMENTS〕にあります。その第7章は、「議会の印刷及び製本〔CONGRESSIONAL PRINTING AND BINDING〕」について規定し、法案などの議会関係の文書の印刷に規定しています。このうち、制定法の印刷についての条文を示します。
また、このタイトル44では、第17章で「公文書の配付及び販売〔DISTRIBUTION AND SALE OF PUBLIC DOCUMENTS〕」、第41章で「連邦電子情報へのアクセス〔ACCESS TO FEDERAL ELECTRONIC INFORMATION〕」といったことも規定しています。
以上のことから、アメリカにおいては、法律が成立した時にその法律を大統領ないし最後に可決した議院の議長が合衆国公文書官(The Archivist of the United States)に送付するとされ、合衆国公文書官はその法律を原本として保存するということになります。これを1USC§106aではPromulgation of laws と見出しを付していますが、上記では 「法律の公布」と訳しています。これは、“promulgate”が先に見たように英米法辞典では「公布する」としているからです。しかし、§106aを見る限り我が国で「公布」ということで観念されることとは異なるので、この訳でいいかは問題です。大石先生は、フランス語のpromulgationを「公証」としているように、公証とするべきかもしれません。しかし,公証というと、3で述べたように①法令の合法的成立の確認と②法令原本の確認との2つの行為がありますが、ここでは法律の原本の成立とその保存が規定されているだけなので、②の意味があるとしても、①の意味はないので、「公証」という訳にもしにくいように思います。ここでは、法律の原本が成立し、その原本に国民がアクセスすることができるようになったということではあると思います。そのうえで、44USC§710により合衆国公文書官は、そのcopiesを政府出版局長に送付し、44USC §711により政府出版局でそのコピーを一法律一冊子のスリップ・ローとして印刷することとされています。
一方、このスリップ・ローは、1USC§113により、法律についての “competent evidence” となると規定されています。 “competent evidence” とは、英米法辞典によれば,「証拠能力がある証拠□訴訟における争点の判断に役立つとして許容される証拠.Admissible evidece*と同義.」とされています。また、このスリップ・ローを会期毎にまとめたものがStatute at largeですが、これは1USC§112により、法律についての “legal evidence”となると規定されています。 “legal evidence”とは、英米法辞典によれば,「適格な証拠□広くAdmissible*(許容性のある)な証拠をさす. また、係争事実を合理的,実質的に証明するような証拠というニュアンスでも用いられる.」とされています。なお、U.S.Codeについては,
1USC§204(a)が次のように定めています。
このうち“prima facie”については、英米法辞典は第1の意義として,「一応の,(反証のないかぎり)推定できる」という意義をあげています。ただし書の “enact”の訳として「〔再〕制定」するとしていますが、この場合、一度制定法となった規定をU.S.Codeに編集した後で、タイトルごとに再度制定するというものなので、“enact”という語には「再」の意味はないのですが、上記のように訳しています。
このように見てきますと、アメリカでは制定法の正文性というよりも、法律の規定の証拠力ということで考えているということだと考えられます。また、現行法の形を示すU.S.Codeも〔再〕制定されれば、制定法律集と同等の証拠となります。
最後に制定文について書いておきます。上記のように1USC§101で制定文について規定していますが、これは大石先生が「連邦法律の制定文の形式については、一九四七年七月三〇日の法律の定めるところ」(273頁)としているものと同じものを指しています。この場合、実際に法案をみてみれば、法案段階でこの制定文が付されていることが分かります。
7−2 アメリカ合衆国の法律の公証
7−1で見たように、アメリカ合衆国の連邦法律の公証については、法律に規定されていません。また、憲法でも法律の公証を規定していません。しかし、判例により法律の公証というべきものが認められています。
フィールド対クラークField v. Clark, 143 U.S. 649(1892)のアメリカ連邦最高裁判所判決で示されたものです。この事件では、マーシャル・フィールド社その他の輸入業者は、1890年10月1日の関税法について,当該法律の登録法案として両議院の議長により署名され、大統領が承認し、国務長官に送られたものは、連邦議会によって可決された法案にあったある1条を省略しており、そのことは、議会の権限で印刷される連邦議会議事録,委員会報告その他の文書に基いて証明できると主張していました。しかし、最高裁は,これを認めず、“登録法案”にした両院議長の署名は、憲法の要件に従って法律が制定されたことの「完全かつ決定的な証拠」であり、連邦議会議事録又は他の証拠によりこれを覆すことはできないと判決しました.それは,次のように述べています。
このように、アメリカでは、両院の議長の署名が法律が連邦議会を通過したことの公証であると、判例上認められています。これは、制定文による公証ということとも異なるものかという疑問もあります。いずれにせよ、大石先生はこの判例理論について論じていません。この点についても見解を示していただきたいと思います。
8 日本の公布法制について
8−1 公文式
大石先生は、日本の公布法制について、明治初期から論じていきます。そこでは、官報創刊以前から始まり、官報創刊を経て、我が国の近代的公布制度がほぼ確立したことについて述べます。その上で、公文式(明治19年勅令第1号)の制定について論じています。
しかし、大石先生は、公文式が、それまでの異時施行制を継続したことと、法律・勅令・閣令・その他を区別して法令の形式を定めていることについて述べるのですが、「公布再考」という論文であるにもかかわらず、なぜか公布の根拠規定について論じることはしていません。この点は、後述するような上諭についての不正確な記述にもつながります。公文式について、それに付されている上諭から第3条までを示します。
公文式第1条により法律及び勅令は「上諭ヲ以テ」公布することが定められています。この場合、上諭は、公文式に付されている上諭が「茲ニ公文式ヲ裁可シ之ヲ公布セシム」としていることから分かるように、天皇が裁可し、そして公布を命じることを宣言するものです。この場合、公文式は、大日本帝国憲法制定前であることから、天皇が法律勅令を制定する権限があることを明らかにするとともに、法律勅令の制定の手続をも定め、その上で公布を命じるものであるということを示していると思います。この意味で、上諭は制定権者が制定を宣言する制定文でもあり、公証の意義を有するとともに、公布を命令する文書であるということになります。したがって、大石先生もお書きになっているように、上諭は制定文の意味を有しており、上諭を単なる公布文と考えるのは誤りだと思います。なお、上諭は公文式制定前の法令についても出されることがありました。例えば、明治6年の地租改正条例(明治6年太政官布告第272号)の際の上諭があります。ただ、公文式制定前の上諭は、重要法令について、当該法令に付されるというよりもあわせて出されているというもので、その趣旨に従って当該法令を頒布し、その適切な執行を求めるというものです。この段階では、法を制定するということの宣言の要素はないように見えます。天皇が法を制定する主体という位置付けが明確ではなかったからではないかと思います。
ところで、この公文式に付された上諭は、「朕法律命令ノ格式ヲ制定スルノ必要ヲ認メ」とあり、この公文式の制定の動機というか趣意というかを述べています。趣意を示すということは、上述の地租改正の上諭でも見られます。しかし、このような上諭を付されるのは公文式制定の前後を問わず、重要なものに限られ、このような上諭が付されるものは少ないといえます。また、大日本帝国憲法制定後は、上諭が帝国議会の協賛にかからないものであることから、法律の上諭でその制定の趣意について述べることはなくなります。公文式制定後の法律として、明治19年8月13日付官報に掲載された登記法(明治19年法律第1号)について、上諭から題名までは次のようになっています。この点については、後で引用するように、美濃部達吉先生が書いています。
このように大日本帝国憲法制定前に公文式により法律に付されることとなった上諭は、通常「朕〇〇ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム」というものでした。この時期の法律で、上諭に趣意を書いたものは、後で引用する美濃部先生の文章にあるように、市制町村制(明治21年法律第1号)に付されたものが挙げられます。それは、次のようになっています。
8−2 大日本帝国憲法
大石先生は、公文式について述べた後、法典論争のため施行延期となったいわゆる旧法例(明治23年法律第97号)を経て、法例(明治31年法律第10号)が制定され、法律について同時施行制となることになったことを述べています。
ここでも不思議なのは、大日本帝国憲法が明治22(1889)年に制定されたことは触れられていますが、その憲法で立法権や法律の公布について定めていることについては全く触れていないことです。3で引用した加藤先生の記述にもあるように、公布を論じる以上、この点は重要なところだと思います。大石先生は、憲法学の泰斗であり、大日本帝国憲法以前に遡って公布について論じているのですから、当然、この点についても論じることになるではないかと思うのですが、なぜか論じられていません。
したがって、大石先生がどのようにお考えなのかわからないのですが、大日本帝国憲法の第5条と第6条を掲げます。
この第5条から、あくまで立法権は天皇にあり、帝国議会は協賛するだけのものであるということになります。この点については、憲法学上、議論があります。しかし、公布という観点からみると、立法権はあくまで天皇にあり、帝国議会はその協賛機関であるということを前提としていることはいえると思います。というのも、上諭では、天皇が帝国議会の協賛を経た法律を裁可したことにより法律の制定がなされたことが宣言され、そのうえで公布が命じられているからです。帝国議会が立法権を有さず、天皇のみが立法権を有しているということは、上諭が、先に見た日本国憲法下の制定文や諸外国の制定文とは異なり、法案段階で付され議会の審議の対象となるものではないということからも理解できます。この点について、大石先生はどのようにお考えなのでしょうか。
公文式は、大日本帝国憲法制定後も引き続き効力を有していることになります。ただし、大日本帝国憲法の制定を承けて、上諭は次のように変わっています。第1回帝国議会で審議され、制定された法律は次のようになっています。
ここでは、大日本帝国憲法の規定を承けて、帝国議会の協賛を経ていることを述べ、その上で裁可をし、公布を命ずるという上諭になっていることがわかると思います。この点について、末弘厳太郎・田中耕太郎編『法律學辭典 第四巻』(岩波書店、1936)の「法律」の項(清宮四郎執筆)で、大日本帝国憲法下の法律の公布について、次のように説明しています。
したがって、上諭は、法律については、天皇が裁可したことにより制定され、そして公布を命ずるというものであるということです。そして、上諭は帝国議会の通過後に、天皇が付すことになります。つまり、上諭は帝国議会の審議の対象となっておらず、帝国議会の協賛を経たものではないということになります。美濃部達吉『逐条憲法精義 全』(有斐閣、1927)では、大日本帝国憲法に付された「上諭」について解説する中で次のように説明しています。
8−3 公式令
大石先生は、公式令(明治40年勅令第46号)の制定に関して次のように書いています。
まず、引用文中の「御璽ヲ鈴シ」(太字は引用者)とあるのは「御璽ヲ鈐シ」(太字は引用者)の誤りです。なお、初出論文では正しく書かれていました。その上で、この箇所は正確ではないように思います。上諭については公式令で付されるようになったのではありません。先に述べたように公文式(明治19年勅令第1号)で既に法律と勅令についての上諭は規定されています。また、先述したように「帝国議会ノ協賛ヲ経タル旨」を記載するようになったのは、すでに大日本帝国憲法制定後に公文式の下で行われるようになっていたのであり、公式令はその実務を引き継いだもので、公式令によってはじめてこのようになったというものではありません。
さらに、「各種公文に「上諭」を付す」とされていますが、上諭を付すのは、憲法改正、皇室典範改正、法律、勅令といった天皇が制定権者である法令に限られます。閣令や省令には、当然のことながら、上諭は付されません。引用文の限りでは、すべての公文に付されるように誤解されかねません。
上記引用文で、「法律については「帝国議会ノ協賛ヲ経タル旨ヲ記載シ親署ノ後御璽ヲ鈐シ、内閣総理大臣年月日ヲ記入シ之ニ副署シ又ハ他ノ国務大臣若ハ主任ノ国務大臣ト倶ニ之ニ副署ス」(六条二項)とされた」ことから「いわゆる制定文に相当するものが「上諭」中に含まれていたわけである。」としていますが、これも正確ではありません。先にも述べたように法律は天皇の裁可によって制定されるので、「裁可シ」としていることが制定を示しているのであって、「帝国議会ノ協賛ヲ経タル旨ヲ記載シ」というのは、法律の制定が憲法の定める手続を経たことを示しているにすぎません。逆に、大日本帝国憲法制定前の法律に付された上諭であっても、勅令に付された上諭であっても、「裁可シ」とあるので、制定文の意味を有することになるというべきです。
9 現行憲法下での法令の施行について
9−1 命令の補充的な施行期日の欠如
大石先生は、日本国憲法制定に際し公式令が廃止され、その結果、公布に関する法的な根拠がなくなったことを述べます。そして、政令以下の命令についての補充的な施行期日の規定がなくなったことを問題にします。この結果、「現行法において政令その他の命令にかんして補充的な施行期日は不明であると考えるほかあるまい」(283頁)とし、この注(87)では「この点をはっきり述べるものして林 修三『法令作成の常識(第二版)』(日本評論社、一九七五年)一八八頁。」(298頁)としています。しかし、林修三氏の『法令作成の常識』(私の手元にあるのは、奥付に「1998年6月20日 第2版19刷発行」とあります。)188頁は次のようになっていて、「現行法において政令その他の命令にかんして補充的な施行期日は不明であると考える」ということを「はっきり述べ」ているとは思えません。大石先生が参照したものと私が参照したものが違う可能性もあるので、一概に問題であるとは言いませんが、疑問があったので、述べておきます。
大石先生は、その上で、公式令廃止を受けて、次官会議了解が成ったとして、この次官会議了解を次のように引用しています。
ここで、第3号に「総理大臣」とあります。この次官了解の引用は、298頁注(89)により、内閣官房編『内閣制度九十年資料集』(1976)693頁によっているとのことなので、同書の記述に基づくものということであろうと思います。しかし、この場合、この資料しか参照できないとか、「総理大臣」となっていることについて議論をするとかならば別ですが、容易に正しくは「総理庁令」であることが分かるのになぜこのように引用するのか分かりません。というのも、298頁注(89)の前の注(88)で参照している佐藤達夫「公文方式法案の中絶」レファレンス72号2頁以下(1957)で確認することができる(同10頁)のです。ここでは、当該文書の内容が分かればよく、というよりも内容が分かることに意味があると思いますので、「総理庁令」と引用すればよいのではないかと思います。また、この文章の文末が「例にすること。」(太字は引用者)となっていますが、これも正しくは「例によること。」(太字は引用者)です。これも『内閣制度九十年資料集』の問題なのかとも思いますが、引用文のままでは意味が通りません。佐藤論文で正しいものが出ています。これもこちらで引用するべきではないでしょうか。
大石先生は、この次官了解の第4号について、次のように書いています。
「次官会議了解の線に沿った実務慣習を不文法の淵源であると判定すること」が必要となるのは、どういう場合でしょうか。「必ず施行時期を定める」以上、この実務が続いている限り、それが不文法の淵源であるかどうかが問題となることがないように私には思われます。どういう場合に問題となるのか、ご教示いただきたいと思います。また、全ての命令に施行期日の規定を置くとする実務は、誤ることが考えにくく、実際上問題が生じることはないという面もあります。
「また政令その他がとくに施行時期の規定を設けなかった場合は法的にどう考えるか」という点です。これについては、佐藤達夫編『法制執務提要<新版>』(学陽書房、1961)331頁で「実際問題としては、個々の政令、省令等において、原則として、その施行期日をそれぞれ定めているから、無理に解釈をきめる実益もないが、もしそういう例があれば、一般には、恐らく公布の日から施行するものと解すべきであろう。」と述べているものがあるくらいで、あまり論じられていないようです。この点については、同書にもあるように論じる実益はないようにも思いますが、この場合、そもそも公式令第11条に代わる規定がないのですから、施行時期についての補充的規定は存在しないと端的に考え、つまり、政令その他の命令に施行期日の規定がない場合にはその政令その他の命令は公布されても施行されないという立法の過誤となるということではないかと、私は思います。大石先生も不明であるとしているのですから、結局施行されないということになるのではないでしょうか。この場合、「不明である」というのは、解釈で施行期日を決めるとお考えなのでしょうか。しかし、そうだとすると、施行期日規定がない場合に特に正誤等の是正措置をとる必要はないということでしょうか。この場合、施行期日の規定がないと考えるにせよ、施行期日が不明と考えるにせよ、「施行されない」とするのが当然の結果であり、そう考えてはいけない理由もないように思います。そうであるからこそ、先の了解第4号が「必ず施行時期を定めること。(公式令第十一条の規定に相当する根拠規定がないから)」としていると思うのです。また、そのように考える方が実際上も問題は少ないのではないかと思います。少なくとも、正誤等による是正の措置がとられるべきだと考えます。この場合、実際には、官報正誤により施行期日の規定を加える是正の措置が講じられているようです。高橋康文「法令執務雑記帳第5回 法令の誤り(3)」金融法務事情2154号36頁以下(2121)36頁で「平成16年政令第47号は、閣議決定文には附則(施行期日)が記載されていたが、官報には記載されておらず原稿誤りが出された。印刷用の原稿を誤ったものである。」とあります。この平成16年政令第47号は、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律施行令等の一部を改正する政令」ですが、平成16年3月19日に公布され、e-Gove法令検索で廃棄物の処理及び清掃に関する法律施行令の改正附則をみると、平成16年政令第47号は、「この政令は、平成十六年三月二十九日から施行する。」という附則になっています。さらに、この連載の続きである同「法令執務雑記帳第6回 法令の誤り(4)」金融法務事情2156号58頁以下(2121)64頁に改め文方式の省令で「附則に「この省令は、公布の日から施行する。」と規定することが洩れていた誤り」として、「平成25年総務省令第70号(平成25年8月5日正誤欄)」、「平成28年環境省令第9号(平成28年7月14日正誤欄)」、「平成29年文部科学省令第42号(平成30年1月29日正誤欄)があるとし、同65頁に新旧対照表方式の省令で同様のものに「平成29年財務省・経済産業省令第1号(平成29年11月24日正誤欄)」、「平成29年財務省・経済産業省令第2号(平成29年11月24日正誤欄)」、「平成29年経済産業省令第57号(平成29年11月24日正誤欄)」、「平成29年経済産業省令第60号(平成29年11月24日正誤欄)」があるとしています。確かに、これら省令の場合、公布の日から正誤が出される日までの期間についてこれらの法令が施行されていたのか否かという問題があります。佐藤『法制執務提要』のいうように施行期日規定を欠く省令については公布の日から施行することとなるが、それを確認するために正誤を出したということかもしれません。しかし、平成16年政令第47号のように別の施行期日とすることがある以上、このようにいうことはできないと考えます。この場合、正誤を出す以上、やはり、施行期日規定を欠く命令は、立法の過誤であり、施行がされないが、正誤が出されたことで施行され、その施行期日とされる日以降について遡及適用されると考えるべきではないかと思います。この場合、罰則等に関する場合の扱いをどう考えるかはやはり問題となると思います、
以上のことから、「現行法において政令その他の命令にかんして補充的な施行期日は不明であると考えるほかあるまい」とされている点については、端的に補充的な施行期日はないということで是正されるべき誤りということであり、「政令その他がとくに施行時期の規定を設けなかった場合は法的にどう考えるか」といえば、是正がなされない限り施行されないということではないかと思います。
9−2 施行期日規定
大石先生は、施行時期の問題として次のように論じます。
しかし、法律も、実務では、政省令と同様に必ず施行時期を定めることになっています。そのうえで、上記の(イ)〜(ヘ)に掲げられている定め方により、法律でも政省令でも施行期日が定められることになっています。このことは、たとえば、注(97)にある林『法令用語の常識』55頁でも、次のようになっていて、確認できることです。
後論の関係もあって、大石先生が参照している部分よりも長く引用しました。ここでは、法律や政省令を含めて、単に法令として、その施行期日について書いています。この箇所を参照しているにもかかわらず、どうして大石先生は上のようなことをお書きになるのか、私には理解できません。大石先生の参照したものと私が参照したものとが違うということなのでしょうか。
しかし、同書は若干古くなっていますので、現在の施行期日についての実務を示す意味で、ワークブックの該当箇所を示します。
このように、現在の実務では、全ての法律に施行期日の規定が置かれることになっています。また、その施行期日の設定にあたっては、最高裁昭和33年10月15日大法廷判決で問題となったような事態は生じないようにしているわけです。確かにこれは問題の解決というよりは問題の回避にすぎないということかもしれません。しかし、実際上、こうすることによって問題が生じていないことも事実なのではないでしょうか。このような実務となっていることについて、大石先生は論じていないのですが、それでは、実態に即した議論にならないように思います。これは、大石先生だけではなく、憲法学界全体が同じようなものとみえます。大石先生が施行時期に関して紹介している憲法の学説でも、先に挙げた浅野先生の最高裁昭和33年10月15日大法廷判決の百選解説でも、この実務については特に触れることなく論じられています。百選の場合は、判例について論じればいいということからそうしているものとは思いますが、浅野先生は、実務経験もあるはずなので、現在の実務では、この判決で問題となったような事態は起きないようにしていることについて触れてもよかったのではないかと思います。
一方で、新型コロナウイルス感染症の関係で、罰則を伴うものでも公布からの日数が少ない施行がなされた例があります。高橋康文「法令執務雑記帳第11回 施行期日」金融法務事情2166号44頁以下(2021)で紹介しています。
この点については、茱萸坂憲政研究会「第二〇一回国会 国会点描 新型コロナウイルス感染症余話 : 罰則のある法令の施行日ほか」法令解説資料総覧460号4頁以下が論じています。この場合、新型コロナウイルス感染症対策としての緊急性があること、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律に基づく指定感染症の扱いということ自体は制度として認識されていること、この指定感染症として定める政令を定める場合には審議会の審議を経ることが同法上規定されていること、実際に罰則がかかるのが行政の一定の措置がとられてからのものがあるなどのことがあるからではないかと思いますが、いずれにせよコロナ禍の例外的なものだったのでしょう。それでも、これが問題がないといえるのか、もう少し調べてみたいと思います。ただ、施行日にそれとは知らない人に罰則がかかるというようなことがなければ、実際に問題とはならないかもしれません。
9−3 法律と命令
このように単純にいうことができるのかは疑問です。法律であれ、政省令であれ、先に述べたように施行期日の設定にあたって、国民への周知は考慮されていますし、公布とは別に、法令の周知の措置は実務上様々にとられています。この場合、公布による周知が擬制であるとしても、議事の公開による周知というのも擬制であると思います。そもそも全ての法律の成立が報道されているとは思えませんし、議事の公開として、インターネットでの中継はありますが、全国の国民がそれを知るということが、官報による公布の場合とそれほど異なるとは思えません。この場合、どちらの擬制が優れているかということではなく、こうした擬制を成り立たせるための先に述べたような実務上の措置が重要だということだと思います。公布を施行要件とするのは、公布により施行の起点が確定することが大きいのだと思います。具体的には、公布により施行期日規定の施行がなされるからだと思います。公布日施行の場合の問題はありますが、それは公布の問題というより施行期日規定での施行期日の設定の問題というべきではないでしょうか。
一方で、「行政府の命令が、非公開で代表的地位にない者によって制定される」と単純に言ってよいのかとも思います。現在では、行政手続法でパブリック・コメント手続が整備され、単純に「非公開」といってよいのか疑問があります。この場合、やはり「非公開」という結論になるかもしれませんが、こうした点についても検討が必要なのではないかと思います。それに、先にも述べたように、実務上、周知については措置が講じられていることも考えなければならないと思います。
9−4 制定文の欠如
大石先生は、最後に制定文の欠如について,再度問題にします。しかし、これまで述べてきたように、大石先生の制定文の考え方は通常の制定文の理解とは異なるものなので、私には問題として成立していないように思われます。しかも、実務についての適切な理解を欠いているという問題があります。これまでに述べてきたことと重複することにもなるので、すべて述べることはしませんが、例えば次の箇所についてみてみましょう。
ここでも、実務についての認識の誤りがあることを指摘せざるを得ません。1−1で述べたように、我が国でも制定文と呼ばれるものがあります。もちろん、これは大石先生が考える制定文ではないのですが、制定文について論じる以上、こうしたことを無視して論じるべきではないと思います。また、「この公布文が法律・命令のいかんを問わずに用いられている」というのも、事実に反します。1−1で述べたように、府省令や外局の規則などでは、公布文の代わりに私のいう意味での制定文が置かれるので、いずれにしても、法律と同様な公布文が用いられているわけではありません。
さらにいえば、公布文が公証の性質を持たないのは、日本国憲法上、天皇が公布の権限のみを有し、公証の権限がないからだと思うのですが、その点はどうお考えなのでしょうか。一方、制定権者が公布の権限も有する府省令や外局規則では、公布文に代えて制定文が置かれています。これは、制定文の意義を考える上で意味があると思います。
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