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考えること、対話すること~教えない指導を実践してきた振り返り~

考えること、対話すること

この2つをテーマにバスケの教えない指導(スポーツにおけるファシリテーションとおいている)の実践を約2年弱してきたわけだが、現時点で言えることを書き残していきたい。

もともとスポーツにおけるファシリテーションを実践していこうとした背景は何か。
それは子どもたちがいるスポーツの現場の中に「指示的な指導があふれている状態」だからである。しかも恫喝、脅迫、暴言、体罰もまだあることも否めない。恫喝等は論外として、指示的な指導の中で何が一番の問題は何かを考えた。

それは「学習効果を省みないアプローチ」だと推察する。

結果として何が起こっているのか。
それは『主体性が育たない』ということ。
つまりは自分で考えて自分で選択する、判断するといった力が育たないということである。

忌憚のない意見を言わせてもらうことになるが、これまで約2000人以上の子どもたちを見てきた中で、およそ9割の子が自分で考える力が育っていないのではないかと感じている。経験則ではあるが、そこに危機感もある。
そのような中、「考えること」、仲間の意見も取り入れることも前提とした「対話すること」を主軸とし、この活動を実践してきた。

さて、いきなり「考えろ」と提示してもやはりいきなり考えることは難しい。
そこでまずは、練習中に改善が必要なプレーなどが起こった際に、考えを聞いてみることにしていた。

「何がおこっていたか?」
「なんで、こうなってしまったか?」
「良くないとするなら何がダメなのか?」
そういった類の質問をすると、経験がある子からは比較的、的を射ている意見が出てくる。

ただ、
「どうしたら良いか?」
という質問に対しては、おそらくそれまで習ったのであろうプレーや対処法がノータイムで出てくる。
そこに自分の思考はない。
まるで「これが正解です」と言わんばかりに、自信を持って答えてくる。

これがとても厄介であった。
なぜならそれは自分で考えた、いったん咀嚼したたうえでの意見ではないからだ。

競技スポーツの中でも対人種目においては、個人戦略的の能力を持っていて損はない。
むしろそこからクリエイティブな発想をつなぎ合わせられる選手が本当のトップとして活躍できると考えている。
ただ現状として、「どうしたら良いか」の質問をすると残念ながらそのほとんどが、その子が知っている端的な正解(らしきもの)が返ってきてしまうのだ。

そういった中、少しずつ「どうしたら良いか?」という質問の回答の考え方についてアプローチしてきた。

結果として一番効果的だったことが、バスケの原理原則を叩き込むことだった。
当初は教えない指導に反していると感じ躊躇していたが、共通認識を持たないことには言語化もままならないことを悟り、同じ事象に対して共通言語が生まれるまで根気よく伝え、確認してきた。
そうすることにより、少しずつ考え方の元になるもの(原理)に立ち返り、どうしたら良いかを原則のもと思考できるようになった。

同時に行っていた「振り返り」にて培った対話力も大きな追い風になった。

研修やワークショップのように振り返りを実践に近い形の練習のあとに、恒常的に取り入れていた。
一般的な大人の研修やワークショップなどの少人数グループ振り返りはFT(役)が介入することが多いが、チームメンバー同士の振り返りについては、コーチ(FT)が介入しないようにした。
それをすると子どもたちが聞き役にまわってしまうからだ。
質より慣れを重要視したものでもあったが、これも功を奏した。

振り返りの質の向上について、語彙力の確認のためも含め、振り返りの言語化を事後課題として出すことによって補った。
それでも十分な考え方の向上は見られた(もちろん個人差はあるが)。

こういったアプローチもあり、結果的に今は「どうしたら良いか?」について、子ども同士でも、コーチとも対話ができるようになっている。

そこには誰から教わったままではない、これまで積み重ねてきた学びの上の自分の考えができるようになってきた。

実は現状に対して、もう一つ危険視しているものもある。
それは「モチベーションも操作しようとする」こと。
メディアなどで監督(コーチ)の手腕として取り上げられるモチベーションづくりについて、全部を否定するつもりもないが、本当にトップで活躍できる、実力を発揮できるメンタルを育成世代から育てるのであれば、「出た結果、起こってしまった理不尽さに向き合う経験」を存分にしてもらうことが最優先と考えている。
何にせよ、指導者としてはどう寄り添い歩むかが重要となるのは間違いない。

この辺りも、メンバー外との練習ゲームなどで取り組みつつ、経過を見ているので、今後も追って検討、思案していきたい部分だ。

あらためて、『考える』とは何か。
それは自分の意見の垂れ流すだけではない。
起こっている事象について、少なくとも一度は「問い」を持つことから始まる。
そしてそれは、指導者にも同じことが言える。

「どう“教えたら”上手くなるか」から
「上手くなるためにはどうアプローチをするか」へ。

その問いの変遷こそが大切なのではないか。
特に指導する側については、哲学やあり方、メンタリティの持ち方に関してもその重要性を強く感じている。

教えない指導(スポーツにおけるファシリテーションとおいている)の実践を約2年弱してきて、やっとその入り口に立てているように感じていると振り返った。

僕自身、これからも試行錯誤と挑戦、そして問いを持ち続けることを実践していこうと思っている。

もともとの出発点は「目の前の子の可能性を広げ、輝き放つ準備」を一緒にしていくこと。
シンプルに言えば、
「ここにいる子たちに上手くなってほしい」
その願いがあるだけ。
それが今はご縁があったバスケで実践させていただいている。

ゆくゆくはバスケだけではなく、たくさんのスポーツを通して、多様性ある子どもたちの可能性が広がっていることを見守っていきたい。

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