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Z世代の悲痛な思い。

子供の頃から、うすうす感じていたのは、狂った親の世代の人たちという事だ。

僕は、心のどこかで、親世代の、間違いと失敗に気が付いていた。

今の世の中では、上手く、行っていない事を感じていた。

バブルだとか、高度経済成長の時のような、夢は失敗に終わっているにも関わらず、人々は、労働に次ぐ労働で、競争し、経済活動をするのだが、上手く行っていない、どころか、低迷しているのだ。

経済の成長とは、名ばかりで、資源を喰らいつくし、地球を破壊する化け物にさえ、思えた。

子供の頃の僕は、常に不安だった。

社会が上手くいくわけがない、いつか、痛い目をみるだろう。

きっと、Z世代の人たちは、この感覚がわかると思う。

さらに、2011年には、この世の終わりみたいな大地震が起こり、原子力発電所は爆発する。

津波を想定して、設計していれば、爆発しなかったのではないのか。

それを、子供の頃に、目の当たりにしてしまっているのだ。

大人に対する圧倒的な不信感があったのだ。

大量に生産して、大量に消費する社会への疑問、不信感、もっとちゃんと、考えれば消費を減らし、必要最低限の中で、裕福な暮らしができるのではないのか。

大量に廃棄するよりも、必要な分だけつくればいいのではないのか。

と言った、疑問。

しかし、狂気の、社会は、止まる事を知らなかった。

デジタルネイテイブなZ世代は、インターネットで、必要な情報はすぐに手に入れる事ができた。

贅沢を楽しむ必要も、情報を集めるのに、お金を稼ぐ必要もなかった。

だから、友達とゲームをして遊んだり、ニコニコ動画やYouTubeをみたり、漫画を読んでごろごろしていられれば十分幸せだったのだ。

幸せなのだが、社会はやはり、狂気だ。

モノを売って、稼いだやつが、偉いという価値観で動いている。

金を稼いだやつが、強い。

ガツガツしていなくてはならない。

しかし、社会が上手く行っているわけでも、経済が好調なわけでも、子供が増えているわけでもない。

あからさまに、大量生産大量消費の社会は失敗に終わっているのが分かっている。

だから、Z世代は戦略的に、旧世代の人たちの相手をしなくなったのだ。

それは、引きこもりの戦いであったし、老害との戦いでもある。

滅びへ向かう旧世代への、強烈なデモであり、レジスタンスなのだ。

新たに、現れた、つくし世代と言われている人たちも、変なものだ。

尽くしではない。

おそらく、単純に、競争の激しく、弱者を蹴落とし、結果がすべてだった、時代への、否定から生まれたものだと考えられる。

尽くしとは、つまり、よいひと、であろうとする事なのだ。

旧世代の価値観では、結果を残したものが偉い、稼いだものはどんな悪そうな人でも偉いし、評価されるものだ、悪そうな人も実はいい人だというのがあった。

悪そうなやつがかっこいいという風潮は、できない人を切り捨てる文化からきたものだと考えられる。

しかし、現代、国全体が貧乏となっている中で、不良は消えていく。

単純な話、いいひと、であった方が得なのだ。

結果を残したところで、国が豊になるわけでも、大きな夢が叶うわけでもない。

より貧乏になっていく中で、生き残るには、善人となり、人と協力していくしかなかったのだ。

だから、尽くし世代などと言われているような世代が現れた。

いわゆる、ホワイト化と呼ばれているものに、近いだろう。

これからの世の中、いいひとが、評価されるというわけだ。

最終的には、旧世代とは違う場所で、それは、インターネットかあるいは、メタバース的な空間でかは知れないが、新世代のアップデートされた価値観の人達は、集まり、全く別のコミュの中で、どうにか、生きていく術を模索する事になるのだろうと思う。

何をしたって、旧世代を納得させる事も、権力を覆す事もできない。

旧世代が死ぬまで、国は傾き続けるだろう。

だから、国から外れた場所が、ゆとりやZには必要だった。

あたらしくできるZ以降の人たちについてもそうだ。

人々は、引きこもることで、自分の心を守り、避難して来た。

戦いだ。

インターネットという、避難所をみつけ、人々はそこに駆け込む寺のように、なだれ込んだ。

さらに、避難所を大きくしていき、現実味を帯びてくるようになるのだろう。

それが、次の世代であり、唯一の希望なのだ。

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