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やっぱり名前は親の知性を表すと感じてしまう

ほんと命名の話好きだよな自分。
以前も書いてます。よければ読んでください。

どう考えても読める名前が良い

痛ましい事故や事件で何度も繰り返し聞く「名前」。
関わりのない一般人の名前を普段の生活で知ることはそんなに無いので、ニュースで知ることとなる。

池袋の暴走事故は、3年が経つ。
ご遺族の松永さんの提供された映像や写真を見るたびに痛ましかった。莉子ちゃんは生きていたら小学生になっていたんだな、とか直接面識がなくともこれからも多分春になると折に触れて思い出す。自身は車を運転しないけれど、とにかく信号を気をつけたり、車道から離れて待つようになった。

そして、知床の観光船の事故。
一報を受けて鳥肌が立った。以前ノルウェーでフィヨルドを横断する小さな観光船に乗った。これ、このスピードでフィヨルドに激突したら死ぬな、と思ったり、大きなフェリーでフィンランドからエストニアを横断した時もこれタイタニックみたいに沈没する可能性あるよな、といつだって船や飛行機は怖い。電車よりも地に着いていない感じが怖い。
滅多に行くこともないであろう、北海道の北の端。船が運行すると聞けば安全性を疑うこともなく乗っているだろうし、まさか観光船が沈むなどとは思わない。誰もが遭う可能性がある。人災と聞けば余計に辛い。どんなに身が裂ける思いだっただろう。本当に早く見つかってほしい。

無念だっただろうなと。この歳になるまでは、若くして亡くなったことについての悔しさに思いを馳せていたんだけど、お母さんの気持ちを考えてしまう。
自分の選択によって、子どもの命を失うことになったことについて。絶対に悪いのは事故を起こした人なんだけど、なぜその日にそこに居てしまったんだろうと、自分を責めてしまうだろうなと思った。

この二つの事故でふと思ったことがあり。
どちらも親子の名前が表に出ている。
松永さんご夫婦の子どもは莉子ちゃん。
加藤さんご夫婦の子どもは七菜子ちゃん。

「子」がつく名前を見ることはそうなくなった。私の世代はまだまだ当たり前だけど、当たり前に読める名前を見たことが新鮮だった。読み仮名の必要がなくどこからどうみても「りこ」ちゃんと「ななこ」ちゃん。
写真だけで判断するべきでないし、本来目にすることのない一般の家族だけど、きっととても聡明なご夫婦なんだろうなと思った。写真と子どもの名前だけで。
2〜6文字ほどの一生使うものにどんな名前を考えるか、そこに知性が溢れ出ているんだよなと改めて実感してしまった。

事件の犯人で度々話題になるDQNネーム

例題を出そうにもどんな名前だったのか忘れてしまったのだが、度々犯人の名前が嘲笑の意味も込められて話題になることがある。その度に少し同情してしまう。生まれてからずっとその名前で苦労してしまっただろうな、それで自暴自棄になったり毎度名前の説明をして笑われて馬鹿にされたりしただろうなと。馬鹿にされる度親のこともイジられたりして、恨んだりもしただろうなと。

名前を付ける意味

何のために名前を付けるのか立ち返った方が良くない?と思う。オリジナリティより名前が人間一人ひとりに付いていることの意味を考えたい。
時代ごとの流行り廃りはあれど、DQNネームだキラキラネームだと揶揄されるということはその時代にそぐわなかった、ということで、自分ではない他人に名付けるということは子の一生を左右するくらいの出来事だと。
ここまで語っておいて、どんな名前付けるんやと責められそうだけど、私は時代の文脈を見誤りたくはないと思っている。常識的に考えて、みたいなところを滅茶苦茶に考えると思う。夫だけでなく両親兄弟にも聞くと思う。誰もが賛成してくれるような名前でなければと思う。だって、こんな少人数の単位すら読めないような名前誰が読めるんだよって。

未来の名前が怖い

今の子どもたちが大人になる頃、ほとんどの人の名前は読めなくてふりがなはどんなときも振ってあることが普通なのかな。それって本当に名前として浸透していくのかな。
単純に日本人の私たち子育て世代に入る30代が幼稚なのかなと責任感じてしまっている。

お読みいただき、ありがとうございます。
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