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第一回 迷走期 なぜこの業界に入ったのか?

さて、本題に入っていきましょうか!

私自身は“GOD HAND”と呼ばれることに実は困惑しています。
昔も今も普通に治療をしていると思っているのです。

なのに

なぜGOD HANDと呼ばれるようになったのか?
なぜ還暦を過ぎでも現場トレーナーを続けられているのか?

自分自身も答えを知りたいので、過去を遡って皆さんと一緒にその答えを探していけたらと思います。

どこまでさかのぼるか?

私が将来の進路について真剣に考え始めた頃・・・

高校卒業ぐらいから始めましょう!

第一章1978年~1984年
第一回
なぜこの業界に入ったのか?

1978年18歳
高校卒業を間近にひかえた頃、将来の進路を明確に描けていませんでした。

今は倉庫に眠る、当時使っていた相棒のスケボー(笑)

高校時代は真剣にプロのスケートボーダーになろうと思い、時間があれば当時スケボーのメッカであった代々木公園に通っていました。

ちょうどホコ天で『竹の子族』が生え始めていたころです(笑)

ところが、第一回目のスケートボードブームは、あっという間に下火になりプロスケートボーダーの夢はアッサリと砕け散ってしまいました(涙)
結果として大学受験の“準備”もできておらず失敗し、宙ぶらりんな状態に陥ってしまいました。

早くも最初の“挫折”です。

さあどうしましょう・・・・

頭の中は真っ白状態、ほぼフリーズしていました。
これはいけないと思い、生まれて初めて自分と向き合い自問自答して出てきた答えが

「いま一番興味がある英語を学びたい! とりあえず!」

緊急避難的に神田外語学院へと進むことを“決断”しました。

後々この“決断”によってトレーナー活動で外国籍の監督、選手と接するときの意思疎通に英語はたいへん役立っています。

  • ポイント①

  • “挫折”したときに諦めたり、ふてくされたりするのではなく「つらいけど、今何が出来るか?何をしたいのか?」とシッカリ自分に問いかけ“決断”することが結果として将来への“準備”になる

  • 逆に“準備”を怠ると必然的に良い結果につながらない

注)“準備“など、“ ”で強調された言葉は最初の投稿でポイントとなるキーワードとして挙げられているものなので頭の隅にいれておいていただけると良いかと思います。


神田外語学院の同級生たちは、「卒業後に英語を使った職に就く」という目的をシッカリと持っていましたが、緊急避難的に入学した自分は能天気にキャンパスライフを謳歌していました。

1981年20歳
卒業が迫り、早くもまた“決断”を迫られる時が来ました。

「卒業後どうしよう?」

と当時は進路を模索しながら日々過ごしていました。
今だから言えることです、こういう時にやるべきことは、

①    仮説をたてる ⇒ 情報収集し具体的な職業をピックアップする
②    仮説を一つずつ検証する ⇒ その職業に就いて活動している自分を連想、想像しシュミレーションする

実際の例

仮説
・サラリーマン
検証 
・大きな組織の歯車⇒歯車の一つにはなりたくない
・スーツにネクタイで日々を過ごしたくない
・満員の通勤電車に乗りたくない
など

仮説
・東洋医学
検証
・叔父が接骨院を開業していた
・小学校から高校まで剣道をして、怪我をしたときに受診していた
・「人を治す、癒すことをしたい!」という思いがわいてきた
・自分は人の為に尽くすことが向いていると自覚した
・歯車の一つではなく自分に決定権がある職業に就きたい
など

今思い返せば、私は何となくこの仮説、検証を他にも幾つか実践して、その中から東洋医学の道へ進む“決断”したのです。

しかしまだ、この時点では将来トレーナーになるとは思ってもいませんでした。
なぜなら1980年代ではトレーナーという職業が世の中に確立されていない時代でした。

  • ポイント②

  • ターニングポイントでは人の意見、自分の経験などをもとに時間をかけてでもシッカリと自問自答し“決断”することが必要である

  • 自問自答することによって潜在的に眠っている自分の可能性、やりたい事などが見えてくる

  • 仮説、検証などのビジネススキルを取り入れ応用する

注)“準備“など、“ ”で強調された言葉は最初の投稿でポイントとなるキーワードとして挙げられているものなので頭の隅にいれておいていただけると良いかと思います。

今回は、ここまでにしておきます。

次回は
第二回
花田学院と『見習い修行』

整い次第公開します!!

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