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ニラレバーな気持ち

今日はスーパーでニラが安く売っていたので、ニラレバを作ってみた。ここのところ、結構、鍋が続いていたので、少し飽きていたのだ。

家に帰り、まずレバーの下処理をする。

ようはレバーの臭み取りだ。

容器に水と塩を入れ、そこにレバーを浸し、冷蔵庫に入れておく。

30分くらいしてから、冷蔵庫から下処理をしたレバーを取り出し、キッチンペーパーで水気を取っておく。

今日はごま油がなかったので、とりあえず、フライパンにサラダ油をしき、そこにも臭み取りのためショウガ、にんにくを多めに入れ、イタリア料理のごとくそれらの香りを油に染み込ませた。

ネットのレシピに書いていたので、そこへさらに鶏ガラスープの素と醤油を追加してから、主役のレバーを投入。

強火でレバーに十分に火を通し、頃合いを見て、5cmくらいにざく切りにしたニラ1束を入れ、そこに塩、こしょうで味を整えながら、すばやく炒める。

ニラレバーの完成である👍

今日は、ニラレバを作るにも、もやしも買いそびれていたし、ごま油も用意するなんてことも忘れていて、本当に豚レバーとニラだけのシンプルなニラレバとなったのだが、これが意外と旨く、やはり、レバーの臭み取りのため、多めにショウガとにんにくを入れていたせいか、レバーがフルーティーに感じられ、うちのばあちゃんも「これだったらレバー嫌いなひとでも大丈夫だね」、旨い、旨いと、用意したニラレバをぺろりと平らげていたことからも、結果、料理は成功だったようである。

調味料等がないないづくしのニラレバであったが、レシピに頼らなくてよかった。

レシピがあるとどうしてもそこに頼ってしまい、結果として、意外とボケた味になってしまうのである。

ま、プラモデルみたいに、その通りに作るというのも面白くないし、失敗してもしょうがないけども、とにかく緊張感を持って失敗しないよう全力で作る。そういうスリルがある方が、ぼくは好きなのかも知れない。

これは人生でも一緒。

先が読めるような仕事はあまり好きにはなれないし、ましてや、先が読めるような人生なんて、ぼくはつまらなさ過ぎて、生きている心地がしない。

先がわからないからこそ、全力でそれを見に行くわけだし、例え失敗したとしても、そこで何かを学び、また、それらを自分の血肉として、次に繋げればいいのだ。

だから、ぼくにとっては、音楽など、荒唐無稽なモノを売るのは性に合っていたのだろう。

その海のものとも山のものともわからないものを、基本、それらを好きでもないひとに売らなければいけないのだ。

そんなの商売として考えたら、絶対、手を出してはいけない領域の仕事だ。

ま、結果、それで本当に食えなくなったわけだが(笑えない)、これは、やはり、CDという形態がなくなったことで、そのビジネスモデルが完全に崩れたのが、その1番の大きな要因となるのだが、こんなペテンのような仕事であったからこそ、ぼくは飽きもせず30年も続けられたのだと思う。

だから、自分にとっての第2の人生の仕事は、この先が読めないというところ、これがぼくにとってのキーのような気がする。

もちろん、生涯賃金がチーンと簡単にわかってしまうような仕事もダメだし、軽トラ時代ではないけども、毎日同じような仕事をするのにもあまり向いてはいかなったようだし(結果、途中でコロナにより頓挫してしまったが)、やはり、仕事自体に変化があり、且つ、その未来にいろんな可能性を感ずるものでなければ、ぼくはダメなような気がする。

あぁ、なんと、食えない男だったんだろうか、ぼくは・・・(苦笑)




今日の料理で、それが、今頃わかるなんて・・・







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