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東京見物〜近くて遠い、となりのあなた〜

お盆である。
夫くんの実家は東京。
恒例の里帰りが決行される。
私も大学の4年間と社会人になっての4年間、この街で暮らしたけれど、今は都心から電車で1時間の郊外で生活している。
久々に東京の街を行く私はキョロキョロとまるでお上りさん。

「東京を憧れのままにしないこと」

かつて、大学生になる私を母はそう言って送り出したっけ。
そのせいか、私はキョロキョロはしてもオドオドはしない。この街を一応は知っている。
そして、「ごめん、あなたとは暮らせない。」そんなドラマのようなセリフをこの街に対して言い残して去った過去の自分がフラッシュバックする。
そう、私は東京に馴染めなかった。

山手線に乗り込む。
ベビーカーを引き寄せてよっこらしょと座る。
となりに腰掛けた、“お盆どこ吹く風”な仕事着のお姉さんの風情にぼんやりと昔の自分を重ねる。イヤホンから漏れるアップテンポな曲。視線の先にはスマホ。彼女は確かにとなりにいる。しかし同時にその意識は殆どここにはない。

東京は人口密度が高い。
けれども、すぐそこに存在するあらゆる人の意識が、ここから遠いところに置かれていることが多いように思う。
近くて遠い、となりのあなた。
そして大概、まとまった会話や人間関係を構築する相手と出会うのは、何らかの共通項を持ち合わせた人達の特定のコミュニティの中でとなる。
それを自由、楽、と感じた時期もあるけれど、妙な孤独感に苛まれる夜も幾度となく体験した。
私は、良くも悪くも田舎者なのだろう。

結局、人懐っこく話しかけてくるおばあちゃんや、よその子の鼻までついでに拭いてしまうような母ちゃんが乗り合わせてくるような田舎の電車の方がホッとしてしまう。

みんなに放っておいてほしくて都会に出て、それが肌に合わずUターンした。

「ちゃんと休めてる?」

となりの彼女にそんな風に声をかけたら、多分怪訝な顔をするだろう。
でも、彼女があの頃の私であるならば、たまたま隣り合わせた人からのこんな一言が案外欲しかったような気もする。
そんな寂しさを紛らわすように、イヤホンで耳をふさいでいた。

電車が止まる。
扉が開く。
彼女が、立ち上がる。

「あの」
「?」
「糸くず」

私は、彼女のスーツの裾の糸くずをつまんだ。

「どうも」

彼女は軽く会釈して電車から降りていく。
見知らぬ彼女にグッドラック。

ベビーカーの娘がまん丸い目でこちらを見ている。

ああ、或いは彼女は未来の君かもしれない?

山手線は、大小様々あらゆる混沌を乗せて、昨日も明日もぐるぐると、ただひたすらぐるぐると回り続けるのだろう。

近くて遠い、となりのあなた。
スローな私の、東京見物。

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