アトリエアトリ❀末永あとり

お花を使った高齢者の見守りサービスを山梨県にて展開している“アトリエアトリ”です。 山…

アトリエアトリ❀末永あとり

お花を使った高齢者の見守りサービスを山梨県にて展開している“アトリエアトリ”です。 山梨に住むご家族のもとへお花を配達し、同時に1時間のなんでもお手伝いをするサービスです! 代表の末永あとりがサービスや私自身について発信していきます。 詳細はHP、その他各種SNS等もご覧ください

マガジン

  • about me ▶末永あとり

    配達などの全てを担当している「末永あとり」 どんな人なのか、どんな環境で育ち、何を感じ、どんな想いで事業をはじめたのか 私を知っていただく機会になればと思い更新します 更新頻度は…がんばります

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サービスを考えたきっかけと願い

コロナ禍と祖母このサービスを考えたきっかけは、新型コロナウイルスの流行です。 私の母方の祖母は東京に住んでいます。 新型コロナウイルスが流行する直前に祖父がなくなり、祖母は1人暮らしになりました。 母は一人っ子なので、寂しがる祖母を心配して毎週末のように東京へ様子を見に言っていたのですが、新型コロナウイルスの流行で県をまたいだ移動が制限され、それもできなくなりました。 せめてテレビ電話で顔が見れたらと思ったのですが、ショートメールがやっとな祖母に、ZoomやLINE電話な

    • about me▶No10

      会社という組織の一員として 無事に就職することができ、4年半事務職として働かせていただきました 社会人になりで右も左もわからない状況でしたが 一通りの研修やビジネスマナーを学ばせていただき、人生において社会人基礎力を培うことが出来た貴重な時間だったと思います なにより大きい会社だからこそできる山梨県/社会への貢献度の高さを感じ、会社という「組織の力」の大きさを感じることができました 家計や小さな商店では到底実現できない規模での支援や寄付、間違いなく山梨県を支えている会社

      • 4年ぶりの帰省で感じたこと

        4年前と現在のギャップ 山梨-兵庫の距離とコロナの流行もあり、父方の祖母宅へはじつに4年ぶりの帰省になってしまった 4年前に帰省した時に向かったのは祖母宅ではなく病院だった 当時祖母は癌で入院していたのだ 明るく関西弁のマシンガントークの祖母の姿はそこにはなく、明らかに様相が変わっていた記憶がある そこから4年はコロナの流行もあり1度も帰省することが出来なかった 2023年の年末、父が帰省することを聞き同行することを決めた 今回は病院ではなく祖母宅へ向かった ギャッ

        • about me▶No9

          もう1つのクライミングスタイル 大学生の頃には[競技]クライミングではなく いわゆる[外岩(そといわ)]クライミングの魅力を感じた頃でした 多くの競技会に出場してきましたが、アルバイト先の皆さんといった外岩クライミングで都会に染まりつつあった私は思い出したように「あ、自然っていいな…」と感じました 東京に住んでいるくせに休みのたびに岩や山に行くようになりました 常に「誰か」と戦っていた競技とは異なり、相手は「自然」 山の中にいるのがどこか懐かしく、自然の中で文字通り自

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        サービスを考えたきっかけと願い

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          11本

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          about me▶番外編[国民体育大会と私]

          かごしま国体へ行ってきました! 先月、鹿児島県で開催された国民体育大会へ監督として同行してきました (帰梨後インフルエンザになり10月はズルズルと体調不良…久々の投稿になりすみません) 久しぶりの飛行機、ぶどう色のジャージ、あの独特の雰囲気… 一気にあの頃にかえったような気がしました 結果はリード競技で5位! 選手はとてもいいパフォーマンスで頑張ってくれました 国体の重たい思い出 思い返せば国体はどの競技会より特別で思い出深い大会でした 先日、実家を片づけていた

          about me▶番外編[国民体育大会と私]

          about me▶No8

          いざ山梨を飛び立つ? バタバタと高校生活も終わりに近づき、まだ将来についてなーんも考えていなかった私は「クライミングが続けられる」という理由で県外の大学に進学します その大学はクライミングウォールが校庭にあり、山岳部という名前ではありましたが部活としてクライミングを推してくれる大学でした 山梨からは通えないので、東京の祖父母宅へ下宿することとなり 今思えば、特に深く考えずにぬるっと山梨を後にしました 慣れない電車通学、定期券の買い方から乗り換えまで すべてにおいてアタ

          about me▶No7

          本格的に世界へ 高校生になりユースの代表から日本の代表になりワールドカップへも出場できるようになりました よく状況もわからないまま周りの選手団についていきヨーロッパやアメリカでのワールドカップに出場しました ここで世界の壁を感じます まったく歯が立たず予選すら通過できないことが多く クライミングに対するモチベーションや練習方法、環境、体格、など様々な差を感じました この頃、ジャパンカップや日本選手権で準優勝などの国内大会では成績を残せていたため、より世界と日本の差を感じ

          about me▶No6

          中学校生活と同時に終わったもの クライミングの大会に出場しながらのバタバタとした中学校生活も終わりに近づいてきました そして、母校も同じく終わりに近づいていました 私の卒業するタイミングと同時に「閉校」することが決まったのです 卒業式と閉校式の準備がどんどん進んでいく一方、母校が無くなるということに実感が湧かなかったのが正直なところです 卒業式/閉校式には多くのメディアもきました 泣きながら閉校を惜しむ校長先生のインタビューが記憶に残っています 旧姓が「“や”すだ」だ

          about me▶No5

          クライミングとの出会い 小学5年生のころ、スキーのオフトレを探していた父が見つけてきたのが「スポーツクライミング」でした この出会いが大きく人生を変えていくことになるとは知らず、[また父の「やってみたい!」に巻き添えになったな~]ぐらいに思っておりました しかし始めてみると楽しく、気が付けば家族でのめりこんでおりました スキーなんか忘れ(←本来はスキーのオフトレのつもり)週5もクライミングジムへ 順調に?上達し、小学校6年生の時に出場した日本ユース選手権でまさかの優勝‼

          about me▶No4

          クラスメートは2人? 小学生になったあとりちゃん 入学した同級生は私を合わせて3人でした 全校生徒も12人程度で、体育や給食は全校生徒合同です 当時は全校生徒の誕生日と血液型も知っていたなぁ 通学は徒歩2キロ、バス3キロ 通学路にいる蛇におびえ、イタドリで水分補給し、学校から一番遠いバス停へ向かいます バスの運転手さんが気まぐれでくれるお菓子が嬉しかった記憶があります なんせ人数が少ないのでサッカーや野球などのチームスポーツはなかなかできません 当時の学校を代表するス

          about me▶No3

          ほぼ自給自足生活!? 芦川町へ移住し、山奥で始まったのは[ほぼ自給自足生活]です 犬4頭、鶏300羽、ヤギ2頭、烏骨鶏、アヒル、合鴨、亀、ハムスターなどの動物を飼い 田んぼや畑を耕し、グリーンロッジの管理人と卵の販売でちょっとの収入を得ていました もちろん不便なこともたくさん 携帯の電波は小高いところに立ってようやく1本… 最寄のコンビニまで車で30分、駅やスーパー、病院などは40分以上かかる場所です 救急車を呼んだときは、サイレンは聞こえるのに一向に救急車の姿が見えず

          about me▶No2

          人生の転機①阪神淡路大震災 今回は人生の転機になった出来事①をお話しします。とはいえこの頃の記憶はほぼありませんので、両親から聞いた話がほとんどです。 父は兵庫県出身です。私が1994年9月に生まれ生後4ヶ月になった1995年1月、初孫を見せに兵庫県へ帰省しました。 そうです。1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こりました。 家は傾きましたが、幸い家族は無事でした。 明け方の大きな揺れを感じ、父は私と母にとっさに覆いかぶさったといいます。 生後間もない私にミルクを

          about me▶No1

          あとり誕生 1994年9月6日に山梨県にて[あとり]が誕生しました 当時は山梨県の山中湖でペンションをしていた両親 生後間もなく芦川村(現:笛吹市芦川町)へ引っ越したので山中湖での記憶はありません 名前の由来 「あとり」は本名です 渡り鳥で「あとり」という鳥がおり、当時野鳥の会に入っていた父が [渡り鳥のように世界に羽ばたいてほしい]という願いを込めて命名してくれました 大学進学時に山梨県を離れましたが、そこはやはり渡り鳥 結局は地元・山梨に戻ってまいりました 珍し

          アトリエアトリができるお手伝い

          安否確認・お話し相手LINEなどの手軽な連絡手段を使いこなすのは難しいご両親と、ついつい連絡がおろそかになってしまうことも。 電話だけではわからないことをスタッフが目で見て確認してきます。 お話の中で困り事や心配事がないか、詐欺などにあっていないか、処方された薬をきちんと飲んでいいるかなどを聞き出し、ご依頼主様と共有します。 定期便の「かおり」では基本確認事項10を設定しております。 これ以外にも、事前に確認したい事や聞きたいことがあればご共有ください。 また、一番多いご

          アトリエアトリができるお手伝い

          サービスに込める想い

          親孝行って難しい?あなたは”親孝行”と聞いてどんな気持ちが浮かびますか? 「親孝行したい!」「絶対喜んでくれる!」という気持ちもあれば、喜んでくれるとわかっていても「休みや時間がとれない」「遠くてなかなか帰省できない」「何をしてあげればいいかわからない」などのハードルを感じることも・・・ ご両親は「顔を見れるだけで嬉しい」「一緒の時間を過ごせるのは嬉しい」と思っている一方で「私のことはいいから」「わざわざ来てもらうのは気を遣う」などお子様のことを想っているからこその”遠慮の

          アトリエアトリと末永あとり

          アトリエアトリについてアトリエアトリは2021年10月に山梨県で創業いたしました。 屋号の「アトリエアトリ」は私の名前からとり、皆様に覚えてもらいやすいようダジャレで決定しました。 カタカナ表記で高齢者にも認識してもらいやすく、「あとりちゃん」と気軽に名前で呼んでほしいという願いを込めています。 ロゴのお花は、すべて異なる色の花びらで1つのお花ができており、それぞれ異なる状況のお客様に、「役に立ちたい・喜んでいただきたい」という1つの気持ちでお応えするという意味が込められて

          アトリエアトリと末永あとり