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知識の保管場所 ~自分の中?外?~

こんにちは! あたたけ です。

前回は『センスとはどういう能力か』みたいな話でした。
あたたけなりの答えとして『膨大な知識(引き出し)の中から、何を選び、何を選ばないか判断する能力』をあげました。

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今回は、センスの前提となる『知識の蓄え方』について考えてみます。

あたたけがnoteに投稿を始めた理由の一つに『自分の思考の記録』というものがあります。
日々?、いろんなことを考えるわけですが、『考えただけで形として残っていない⇒そのうち、忘れてしまう』という問題がよくあります。
で、忘れたのは仕方ないから、もう一度考えてみても、最初の時ほど良い結論に繋がらない気がして、ちょっと自分にイライラする。。。。。

『推敲してより良くしていく』のも大事ですが、『初稿の良さ』というのもあると思います。初稿って『ため込んだ知識の爆発』という面がありますからね。勢いが違う、たぶん。
『初稿を推敲する』なら良いのですが、『初稿をなくして書き直す』となると、良いものが出来るとは思えないんですよね(たまには、ゼロからやり直して良いものが出来ることもありますが)。

それを防ぐために、noteに『思考の初稿』を記録していこうと企んだわけです。
noteを『外部記憶装置』として使っている、とも言えるでしょうか。
『メモを取る』という行為も同じでしょう。
媒体が紙か、スマホか、SNSかという違いだけですね。

あたたけの場合、加齢とともに『記憶力≒内部記憶装置』の能力低下を身にしみて感じていますので、外部記憶装置の活用はとても大切なことです。
ですが、外部記憶装置の弊害?を感じることもあります。


1つ目が、『noteに書いた気がするけど、いつの記事だっけ??』と過去の記事を探すのに時間がかかるという問題です。

もう一度作り直すという手もあるのですが、メンドクサイ&精度が下がるであろうことに労力をかけるのも悔しいという感じで、ダラダラと見直すことになっています。
まぁ、これは、タイトルをわかりやすくするとか、いろんな便利機能を使いこなすとかで解決できるんでしょうけどね。。。
その辺りは『センスが足りてない』としか言いようがない。。。。

ちなみに、もっとヒドイのが『書いたことを忘れて同じような内容を書いている』というパターンですね(まぁ、これは、知識がアップデートされたということにしておきますが)。


で、2つ目の弊害。こっちの方が大きな問題です。
その問題とは『発想力の低下』です(元からなかったと言われれば反論できませんが)。

あたたけの感覚的な話ではありますが、『知識を外部記憶装置に移したことで、内部記憶装置の知識を(全てではないが)消去した⇒内部記憶装置≒頭の中での知識の融合がなくなった』のではないかなぁと感じています。
頭?脳?は、記憶装置であるとともに、思考装置でもありますから、そらそうやって話なんですけどね。

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・・・・この気づきはコワい!
記憶力が低下した分、『経験に基づく発想力』で生き抜こうとしていたのに、記憶力低下の解消方法が発想力の低下に結びついている・・・・
まぁ、ホントかどうかはわかりませんが。

『人の記憶力』って、けっこうあやしいところがありませんか?
同じ体験をしても覚えていることは人それぞれです。
同じ人でも時間とともに記憶が少しづつ変わっていくこともあります。
なので、『キチンと知識を残すには外部記憶装置が有効』というのは正しいと思います。
ただ、『人の記憶のあいまいさ・ゆらぎ』というものが、もしかしたら『思考すること⇒新たな発想』に繋がっているのかなぁと思います。
ゆらぎがあるから、型にとらわれずに考える』と言えるのでしょうか。
ゆらぎ≒(別の方向への)伸びしろ』なのかもしれませんね。

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と、あたたけなりにいろいろと考えてみると、『忘れることが伸びしろだけど、覚えることが伸びる源』という中々の矛盾?にたどり着いた次第です。
そんなん考えてどうすんねん!って言いたくもなりますが、気をつけないとダメだなぁと思うのは『外部記憶装置があることに満足するな。たまには、内部記憶装置に取り込み直せ』ということですね。

自分のメモ、感銘を受けた書籍、たまには読み直していますか?

ではでは。今回はこの辺りで!

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