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21.10.07 岩井俊二とプルーストの幻想郷

目を覚ますと頬に風が当たって、
窓を開けたまま意識を失うように眠ったことを思い出しました。

習慣的にiPhoneの画面を確認すると、Twitterの通知が並び、僕の大好きな監督の名前と僕にとって一番の映画のタイトルが書かれていました。

今日はあの映画の二十歳の誕生日だったのです。

そういえば、彼の作品の一つをずっと途中のままにしていたことを思い出して、寝ぼけた指でパソコンを開きました。

どこか遠くの雪国の朝焼けが、画面いっぱいに広がりました。

ピンク色に染まった雪の中の彼女は、
ついさっきまで儚げな相槌しか打たなかったのに、雪の空に向かって大声で叫びだすのです。

もう会えない人を思って彼女は叫びながら涙を流しました。

そして後方で彼女を見つめる彼の目は、
もう会えない人を思って叫ぶ彼女を思う彼の目は、とても優しく真っ直ぐなものでした。


眠りから覚めたばかりの渇いた脳みそは幻想だったのかと思うほどに、僕は涙を流していました。

僕はもう会えない人には踏ん切りがついている。けれど、もう会わないと決めた人を思うと涙が出るのです。
僕にはない美しいものを見ても涙が出てしまうのです。

僕の脳みそはまた渇き切って、ベッドに横たわって天井を見ながら、10月の幻想みたいな風にあたりながら、ぼんやりと思考を巡らせていました。

映画のラストで、別れの記号のように提示された一冊の本がありました。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』です。

大学で専攻とは関係なしにとった西洋文学の授業で耳にした物語でした。ありえないほど眠気に囚われていた学生時代の記憶の中に残るほど、僕はプルーストの内省を極めた生活に、何故か憧れを抱いていたのです。

はっきり言って、映画の中で別にこの本の内容自体には特に意味はなかったかもしれません。

けれど、彼の映画の世界とプルーストが、
ぼんやりとするばかりの僕の理想主義の輪郭をいくらか濃くさせたように感じたのです。

外の世界なんて彼のフィルム越しに見える空で充分で、プルースト一緒に自分の内側の秘境を訪れてみたいのだと、
今の僕はただそうしたいのだと思ったのです。







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