見出し画像

#3.05|凸凹兄弟、次男の転院、その2

久しぶりに訪れたG大附属病院は、ほとんど変わっていなかった。
通算8週間は入院したかな、抗がん剤治療の際はよく駐車場で眠ったものだ。(そして自力で運転して帰る)

次男にしても、ここで生まれ小児喘息の治療で小さい頃はよく通った病院だが、本人はさすがに覚えておらず、コンビニやカフェが併設され沢山の人が行き交う院内に驚いている。

診察カードも持っていて初診ではないのだけれど、10年は間が空いていたし、そもそもかかる診療科が違うのでほぼ最初からの手続きとなる。

「M市(病院のある隣市)は高校生も無料なのですがS市はないのですか?」と聞かれても、初めて知ったし同じ県内でのそんな格差。

それでも診療科に向かうと待合に人がたったの一人!
私の通った乳腺外科は常に待合に人が溢れ2時間待ちは当たり前だったから驚いた。(他の診療科もほぼ同じ)

が、期待に満ちていたのはここまでで、程なく診察室に通されたが受け持ってくれた先生は看護師か見習いかというほどの若さで、声が素っ頓狂だ。
そして機関銃のような速さでPCのキーボードを叩く。

親身になって話は聞いてくれたが、持参した「特異的発達障害診断・治療のための実践ガイドライン」を見せると「詳しい上司が外出中なので、戻るまで待って欲しい」と嘆願状態に。

15分程するといかにもキャリアがありそうな落ち着きのある医師が現れ、先程のインターンのような先生が猛烈なスピードで概要を説明する。猛烈に的確だ。
2言3言、次男と話をすると、

「目で観たことが絵のような状態で記憶される人がいるんだよね。」
「大変だったでしょ、頑張って来ましたね。」

と、初めて手応えのある、次男も「言いたいと思ったことを表現してくれた」と言う先生だった。

だが、日本ではまだ研究が進んでいない分野で、この病院でもやっていない分野らしく、さらに他の病院を紹介してくれるという。この先生でも良いんだけどなぁ。

そんなこんなでまた転院先の紹介待ち。
治療費の補助のために、市役所にも出向き手帳の交付と手続き方法を教えて貰った。

Kindle unlimitedで無料だったので、読んでみたら物凄くわかりやすかったのがこちら。

日本のディスレクシアは、小学校などの子供の頃に治療をするのが一般的で、高校生位になると経験値でなんとかしているので難しいのだとか。
次男の受け入れ先探しは続くのであった。

この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?