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自分の生き方だけじゃなくって死に方も選択できたら良いのにな。

男性の生き方についてはよくわからないので
女性について書いてみます。

女性は家族の形や家族の年齢などで
置かれている状況や役目の割合などが変化しますね。

家族を支えることが優先される場合も多いのですが、
子育てがある程度落ち着いたら自分自身に目を向けてほしいと
常日頃から思っています。

私は年齢的なこともあるけれど、
ここ数年、「どう生きていくか?」というより「どうな風に死にたいか?」を考えて生きています。
具体的な死に方をイメージすることもあるけれど、
自分の人生をどう全うするか?を考えて選択をするようになりました。

最近はこんな本も買ってみたりした。(笑)

うらやましいボケかた・五木寛之

子育てや自分のキャリアを築いていく時って
それを優先すべきだと言うことがなんとなくわかっていて
優先すべきことをどのようにしていくか?で悩む。
面倒だと思うなら
見本になる人を見つけて真似るのがカンタンな方法だと思う。
見本にすべき人を見謝ったらダメですけど・・・(笑)

で、その時期がある程度過ぎてるのにまだ同じようなことをしていると
「生き方に迷う。」「人生に迷う。」(笑)



どう生きるか?を選択すべき時期を過ぎているのに
どう生きるか?を考えてしまう、今更にして。

どう生きるか?を考えることが出来るのは
人生においての大きな岐路において。

結婚するのかしないのか?

子どもを持つか持たないか?

どんなことを仕事にするか?

子どもの教育をどう進めていくか?(家庭内教育も含め)

どう人生設計していくのか?
計画通りなんて全く行かないけど・・・( ´∀` )

こんな感じで考えると私はとっくにその時期が終わっている。(笑)

親の介護問題はあるが、
親の問題を理由に自分の人生を選択する人は
近年少なくなってきているように思う。

高齢者施設も充実してきたし、
家族だけで年老いた両親を看ることも減ってきたから。

で、高齢者の方をみていて思うのだ。
今はもう「死に方」を自分で選べない時代になってしまったのか?と

昔の人の多くは自宅で亡くなった。
そして、誰もが「自分の家で、畳の上で死にたい」
と思っていただろうと思う。

今はその願いが叶うだろうか?
一人で自分の思う様に、
家族に迷惑をかけないで死にたい。と思う人がほとんどではないだろうか?

それは、可能なのだろうか?
自分自身でその死に方を選択できる生き方をしてきたのだろうか?

それは、まるで、「あなたは幸せに生きていますか?」を
問われているような感じに聞こえてしまう。

「どんな風に死にたいか?」って究極の選択。

病気で死ぬか。

認知症で自分が分からなくなって死んでいくか。

自宅で死ぬか。

施設で死ぬか。

病院で死ぬか。

選択肢が少なすぎる。

しかも、自分だけで選択できないことも少なくないし。

誰もが
家族や身近な人にできるだけ迷惑はかけたくないと思っている。
これまた、無理な話かもしれません。
「迷惑」という言葉が適切なのかな?とも思う。
赤ちゃんが誰かにお世話してもらうことは「迷惑」というのだろうか?
高齢になり、以前の様に上手くできることが少なくなってきたら
誰かに手助けしてもらうのは当たり前ではないだろうか?

さてさて、あなたはどんな「死に方」をしたいと思って
今を幸せに生きていますか?




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