見出し画像

拝啓、怒れない人へ =アナタは真面目で誠実な人=【小説】

「そんなに自分を責めるなよ」

 いつにもまして自分が辛い時、彼が言った。
 また、怒られたのだ。頭が真っ白になる。

「怒られるのが嫌なんだ。だって、自分が自分じゃなくなる気がする。手足が震える。頭が痛い。なんか、そんな感じだ」

「でも、その状態じゃずっと辛いままだ」

 彼は心配している。
 声色でよくわかった。

「ビクビクする。あんな人、とても一緒にはいられない」

 そんなことを言うと彼は困ってしまう。
 なにせ要領を得ない。それは分かっている。
 けど、言わざるを得ない。

「ミスをしたんだ」

「ミスなんて誰にでもある」

「でも、僕が悪いよ」

「責めても変わらないよ?」

「変わるさ。責めればミスがなくなる」

「ミスをしたのは君だけの所為じゃない。ミスを誘発する仕組みの所為かもよ?」

「そんなことないよ」

「自分を責めるって自己完結できるから楽ではあるさ」

「え?」

「でも、自分を傷つけるのはよくないよ。自分が一番大切じゃないか?」

「僕は大切な人じゃないよ」

「いいや。君とって君こそが一番大切な人でいいだ。それで正しい。悪い事じゃない。そして、みんな一緒だ」

「違うさ。みんなが同じじゃない」

「そうかも。みんな同じじゃない。けど、自分を大切にする権利を持っているのはみんな同じさ」

 何かを吐き出すことで楽になろうとしている。
 なにかは分からない。

「さら、行動を起こすのはダメ?」

「なにが?」

「何かやってみようよ」

「どんなこと?」

「う~ん」

「そういう行動しろっていう人は、嫌いだ。行動しろなんて簡単に言うなよ。行動しろっていう人も嫌いだ」

 そして、分かっているのに行動できない自分も大嫌いだ。
 いくつも後悔してきたんだ。

「とりあえず、怒ってみたら?」

「え?」

 怒ってみると言うが、理由もないのでは怒れない。

「理由は?」

「自分のことでもいい。あの人のことでもいいよ。怒るってどんなものか考えてみるってことさ。罪やミスを責めるよりは断然いい」

「僕は……怒るのが苦手だ」

「そうだね。でも、それは怒る事から逃げてないかい?」

 心当たりはある。
 昔、思春期の頃に「怒っても怖くない」と言われたことがある。

 呪いの言葉。
 僕は怒っても意味がないと――

「怒っても怖くないって言われたよ?」

「怖がらせるために怒るんじゃないでしょ?」

「よくわからない」

「怒るって”叱る”って事でしょ?」

「しかる?」

「そうさ。イカル、イカリ。それは感情をぶつけて、相手を怖がらせることが目的じゃない」

 彼は胸を膨らませるほど大きく息を吸った。

「怖がるかどうか。それは相手の感情じゃないかい? さぁ、君の感情の話をしようよ」

 よくわからない。
 けど、きっと彼は意味があると思っている。

「やってごらんよ。誠実な人。怒ってみなよ。真面目な人。嫌いな人を怖がらせるんじゃない。嫌いな人を叱ってみるんだ。それはきっと同じ怒るとは思わないかい?」

 僕にとって、彼は誠実で信頼もある。

「あれだ。認識の相違ってやつさ。きっと、ほかにも怒るを正しく表現できる言葉はあるさ。君にぴったりなヤツがある」

 心の全てを吐き出させてくれるのかもしれない。

「分かった。やってみるよ。嫌いな人を怒ってみるよ」

「違う違う。今は叱るんだよ」

「叱る。シカル…………」

 僕は、その日、初めて人をー空想ーとは言え、叱ってみることにした。

 きっと自分がきちんと誰かを叱れる日が来る時の為……



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?