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夢の記録

 

夢をみたので記録する。

今まで何度も文章を書こうと思ったことはあるが、行動に移したのは初めてだ。
学生の頃に書いた卒論ぶりに長文を書くので誤字脱字に関しては大目に見てほしい。

現在、僕は今年三十歳の年で三年半勤めていた会社を辞めて、
個人事業主として働き出し、沢山仕事も入ってるわけでもなく、
やることはあるけれど、割と時間があるという生活を送っている。
いつまでこの生活が続くのかはわからないが、
正直、少しこのままで大丈夫なのかと不安と焦燥感が混ざり合ってる。
三十歳、そして退職、このタイミングで過去に振り向く人は多くいる気がする。
僕は北海道のとある町の出身で小中高大と生まれてから二十二年間も同じ場所に住んでいた。
大学卒業後は上京して、普通の会社に普通に就職した。
本当に失敗したと思った。
失敗したと思ったが、その道を通るしかなかったとも思える。
就職してからその年に会社を辞めて、夜間の専門学校に通い直した。
このままだと絶対にいけないと漠然と思ったからだ。
漠然と言いつつもその頃周りにいた様々な人らの影響は確実に受けていたと思う。
とにかく、学生である僕は本当に自己というものが確立できなく、思考もしていない散々な人間だったと思う。
ここら辺の話はまた別の機会に書こう。

僕が生きてきた時代は年号で言うと平成。ゆとり世代と言われた世代だ。
中学、高校ぐらいにはみんながガラケーを持っていた。初めてのSNSはモバゲーかmixiだったかな。
そのSNSを通じて隣の中学の子と繋がったりもした。iphoneは高校の時に発売されたし、
こんなにも当然のように全ての人が持つようになるとは思ってなかった。
僕の地元は中途半端な田舎で、国道沿いにはフランチャイズのお店やらマクドナルドもモスバーガーもあった。
そんな片田舎の街は帰省する度に建物が減り、若い人もいなく、寂れた街になっている。
僕らの時代にもそんな街の姿の片鱗が見えてきていたと思う。ただ、もう少し賑やかだったかな。

夢に見たのはそんな少し街が賑やかだった頃の夢だった。
中学時代の夢だった。
田舎の中学校だったので、みんな変な色のジャージを毎日着ていて、行事の時だけ制服という
あの頃は何とも思っていなかったけれど、不思議なルール。
中途半端な田舎あるあるでやんちゃな先輩もいて、変な色のジャージをだらしなく着ることがイケてる風潮だった。
髪の毛も耳に被ったらだめ、目に被ったらだめ、整髪料も禁止、
Tシャツも指定のものでないとジャージを脱いではいけないなど、不思議ルールが盛り沢山だったし、
そこからはみ出すことがイケてる風潮も意味不明だった。
寒冷地の特徴ゆえに教室にはストーブがあり、そこでジャージの袖を溶かしてボロボロにしている人もいた。
そんな中学時代の風景が走馬灯のように夢の中に流れてきた。
春はまだまだ寒くて、雪解け水で道の両側が泥にまみれていたし、風はツンとしていた。
入学時の空気感は何だか今思うとくすぐったい気持ちになる。
その後、すぐに打ち解け合うし、なかには三十歳になっても交遊があるメンバーもいるのに、
クラスの同級生とか、隣のクラスの彼女とかにあんなに緊張して意識してたのが馬鹿馬鹿しく、
そんな初々しい感情を夢の中で思い出した。

教室はだいぶ年季が入っていて、掲示板には何度も繰り返し刺された画鋲の跡、
机にはコンパスの針かハサミか何か鋭利なものでつけられた傷、前の席の椅子の背もたれには落書き。何年も何年も使われてきた歴史を感じた。
流石に今は母校の校舎も新しく変わっているからあの机達は捨てられているだろうな。
季節ごとに変化するあの学校の空気感。教室から見える窓いっぱいの木々は雨の日はより一層水分を含んで色が濃くなる気がしたし、
晴れの日は葉が擦れて軽快な音を鳴らしていた。所々、葉同士の隙間を縫って地面まで届く光は格別に綺麗だった。
葉が落ちて、敷地のあたり一面が役割を終えた茶や黄の葉で埋め尽くされる頃には、
細くなった木々のその先に寂れた倉庫と道路、歩く住民の姿が見えてきて、現実を見せられるかのようだった。
僕の好きな季節は冬だった。クラスのみんながストーブを囲い集まり、
たわいも無い会話をして笑ってたあの時間をいつまでも眺めていたかった。

夢のストーリーはそんな寒い冬の日の体育館で始まった。体育館の上の方にある窓には暗幕が引かれ、全校生徒に近い人数が集まっており、
いつもジャージで過ごしていた田舎の学生達は皆その時は制服を着ていた。
ステージだけが照らされて、ステージ上には校長先生が立っていた。何か表彰するような雰囲気だったので、皆黙って待機する。
名前を呼ばれたのは僕のクラスのS君で小学校も一緒だった奴だ。彼は小学校の頃から本当に面白いキャラクターで
将来は絶対に芸人になるだろうと信じて止まなかった。
そんな彼が名前を呼ばれ登壇したのだ。なんの表彰なのかと興味津々で聞いていると、なぜか結婚したということで
表彰とお祝いをされていた。これが夢の意味不明な部分だ。きっと過去と現在の彼について知っている知識が
ごちゃ混ぜになってアウトプットされたんだろう。
意味不明だなと思いながらも、その場に立ち尽くしていると、
クラスメイト達がこの謎の結婚表彰について自分のことのように喜ぶのだ。
うぉぉお!声を上げ盛大に盛り上がり、全員で勢いでステージへと登壇する。まるで文化祭の最優秀クラスに選ばれたかのように皆喜ぶ。
そうか、このイメージ、記憶はあの頃、僕らが合唱コンクールで優勝した時のそれだと思い出した。
そんな風に考えつつもクラスメイトの熱量に圧倒され勝手に自分も気づいたらステージに向かって走っていたし、
自分のことのように嬉しい感情でいっぱいだった。
夢は本当に色々な記憶をごちゃ混ぜにして出してくるものである。
ただ、あの時のあの感情はたぶん本物だし、実際に感じたことだ。
あの頃の熱量とかステージに射すライトの眩しさ、男女の歓声に少々嫉妬の混ざった拍手。
年々、子供の頃の記憶が薄れていく感覚がある中、忘れていたあの空気感や感情を思い出せたのは懐かしく、
思い出そうと思っても自分の記憶から引っ張り出せなかった部分だったと思う。
結果、彼はというと学生以降連絡も取っていないので周囲の噂で話を聞く限りには、僕の予想は外れ芸人にはならずに、
地元で会社員として働き結婚し家庭を持っているそうだ。

そんな熱量いっぱいの夢の内容に続いて出てきたのは、
人生で初めて付き合った子だった。
彼女とは今でも交流があり、本当に仲が良い関係だと一方的に思っている。
初めて付き合ったとは言いつつも、その時、中学一年生。付き合って何をするわけでもなく、
ただそういう「口約束」をしていた程度のものだった。
彼女は今考えても学年一、いや、学校一の美人だったと思う。
見た目や格好は少しやんちゃ気味だったが、素は目が大きくクリっとしていて八重歯が可愛らしい女の子だった。
性格もお淑やかとは程遠い性格をしていて、女子の先輩からはよく目を付けられていたし、
女子の交友関係の中でも好き嫌いがはっきりした気の強い子だった。
なぜそんな子と付き合うことになったのかはあまり覚えてないが、僕の気分は雲を抜けるように良かった。
夢に出てきた彼女の容姿はそんな十五年前の姿だった。
当時と違ったのは服装で、絶対に着ないようなナチュラルな生成りのリネンのワンピースのような服だった。
季節は秋で銀杏の葉が目一杯敷き詰められたその場所で僕は彼女と二人きりだった。
そこは眩いばかりに太陽の光が、銀杏の落ち葉に反射して金色に輝いていた。
暖かくて、言うなれば愛に溢れたような空間だった気がする。
そこでは特に会話もなく、あの頃のままの屈託の無い笑みをこちらに向けられ、
現実は全く天使というようなイメージではない彼女から、なぜか透き通るような風が吹いて、
ひんやりと気持ちい川の水に触れるような心地良さを感じた。
その一瞬で僕の頭と心がクリアになった気分になったのだ。夢の中の彼女に何か浄化されたようだった。
浄化されたと同時に、
ここまで時間が経ったなあ、あっという間だったなあという思いでいっぱいになり、
目が覚めた。

夢から覚めて、もう一度、僕は時間が過ぎてきた事実を噛み締めた。
起きてから今月は彼女の誕生日があったのを思い出し、
一応、おめでとうの一言だけ送っておいた。そのぐらい未だに気軽に連絡は取りやすい関係ではある。
返事は
「口にしなくてもいつも思ってるのはわかってる」
という男前な返事だ。色々と突っ込みどころはあるが、
僕にとって彼女以上の最高な女友達はこれまでも今後もいない。

夢の中で感じたあの頃の溢れる熱気と透き通る心地良さの感覚を忘れないように思わず文字に起こして残しておきたいと思った。

あの記憶の中の彼女に浄化されたのは、自分が大人になり都心で生活していく上で黒くべったりと染み付いたものな気がする。
全部は取れていないだろうし残っていると思うけれど。

当然だけれど過ぎた時間は戻らないし、PCのようにハードディスクに動画や写真として全てを記憶することはできない。
記憶するには膨大過ぎるデータ量をこの三十年間で蓄えてきたし、意図して自分の脳みそから引き出せるのはほんの一部だ。
そんな中、夢を見るという体験で自分の記憶の奥深くに眠ってた記憶が引き出されて、
あの頃の青々とした情景や素晴らしい経験、感情を思い出せたのは本当に嬉しく豊かなことだ。

三十歳という年齢は「もう三十歳」とも「まだ三十歳」とも言える年齢だ。
確実に言えるのは三十年という月日は成熟するには十分な時間だということ。
これからの三十年ももう一度成熟する為の三十年であることは間違いないだろう。

今回「まだ三十歳」を念頭に初めて文章を書いたので、
記録に残すこと。文字に起こすこと。これを徐々にしていければと思う。
終わりが少し簡素になってしまったが、
次は三十年生きてきた現在の自分の思考について書いて記録していこう。

アスパラ|||

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