ぬかるみ
彼女は、数年前まで夫とひとり息子と暮らしていた。
夫からはひどいDVを受けていた。
痣や生傷が絶えず、骨折することもあった。
腫れ上がった顔で、出勤することもたびたびだった。
DV自体も苦痛だが、それを他人に知られる恥ずかしさ、問われるときの身の置き所のなさ。
ある日彼女は、殴られた勢いで家出をして、鳴っている踏切の中に侵入する。
そのまま身体を横たえた。
夜だから、電車からは見えにくい。
間一髪というところで、彼女の身体は抱き上げられ、踏切の外に出された。
見ず知らずの男だった。
自分よりすこし・・・かなり若い。
そして彼女はその夜、その男の部屋に泊まった。
それでも、翌日には家に戻った。
息子のことが気がかりで。
そして、夫に殴られて、問い詰められて、正直に男の部屋に泊まったことを白状した。
さらに殴られた。
このままでは、夫に殺されてしまう。
ことのあらましを知っている者はみな「逃げろ」と言った。
彼女は、今度は買い物に行くふりをして、財布だけを持ち、遠い故郷にある実家に駆け込んだ。
それを知って命の恩人である男が追いかけてきた。
男は優しく、独身だった。
同情なのか、気まぐれなのか、それとも一目惚れだったのか、わからない。
彼女は、その男に感謝はしていたが、恋はしていなかった。
それでも、彼女は、その男とときどき逢瀬を重ねた。
離婚と息子の親権を望んでいるが、夫は息子を手放さない。
連れてこなかったことを悔いたけれど連れに戻る旅費さえ乏しい。
パパが可哀そうだから、ママ帰ってきてと息子は電話口で泣く。
夫の起こした事業はうまくいっていない。
それでも彼はあきらめない。
夫は、夢見ているのだ。
なにがしかの元手さえあれば、もう一度事業を盛り返して、必ず成功し、妻とともに仲良く暮らせることを。
でも、その元手はない。
それで、妻の名義で借金をしろといい、逆らうと殴る。
彼女にも、もう絶対返せない額の借金がある。
妻名義の分だけでも破産と、弁護士をたてているが、ことはあまり進まない。
一番辛いのは、息子が夫に言いくるめられて、自分を浮気のあげく勝手に逃げ出したひどい母と恨んでいることだという。
夫にも数々の女がいて、散々貢いでいたというのに。
でも、彼女は、例の男と会うのをやめない。
さだまさしの歌に「まほろば」というのがあり、
「遠い明日しか見えない僕と 足元のぬかるみを気に病む君と」
という歌詞がある。
そうだ。
女は、足元のぬかるみしか見えない。
そのぬかるみのひとつひとつを越えずに、遠い明日を見ることはできない。
彼女は、ともにぬかるみを見てくれる人がほしかったのだ。
抱き上げて、飛び越してくれる男が。
ぬかるみをひとつ越えたことを、一緒になってよかったねと、言ってほしかったのだ。
だから今も、恋していない相手の腕に抱かれる。
彼は、すくなくとも、彼女の足元のぬかるみを見ていると感じられるから。
嘘でもいいから、と思う。
嘘じゃないほうがいいに決まっているけれど、見えない未来に対する真実より、今このときを救う嘘。
結果的に嘘になってしまうかもしれない今だけの真実。
何かに対するこたえって、本当はそんなに真剣に求めてないのかもしれない。
だから、欲しいのは、正解ではなくて共感なのだ。
こたえは、やっぱり自分で出したい。
そしてその自分の想いに共感され、肯定されたい。
あまり素行の良くない男友達の言い分に「抱いているときは、その女性を世界で一番愛していると感じてるんだ」というのがあって、まあ、終わったらとっとと忘れちゃうのだとしても、それはそれでわからなくもない、と思ったことがある。
その一瞬の真実は、いつか嘘になるかもしれない「ずっと愛してる」の言葉より安心かもな、みたいな。
男の愛は、既にある線上の点であり、女の愛は、永遠に線を持たない瞬間ごとの点だと感じている。
いや、男の、女の、というのは違うな。
彼女の愛はというべき。
たぶん私の愛も。
被災地のニュースの途中で、音楽に切り替える。
共感疲労になるから「見るな」と言われていた地震直後より、いまのほうがずっと報道が堪える。
故人を偲ぶ遺族の声とか生前のエピソードとか。
どれだけ捜索してももう生きて戻る命はないのだということが。
地震のあれこれから心を引き離そうとしたらこんな記事になってしまった。