高校は私服
「おむすび」のヒロインの制服姿が可愛いとどこかに書かれてあった。
見ていないけど容易に想像がつく。
私の時代でさえ「制服の可愛さ」で高校を選ぶ女子がいた。
条件的に似たような場合の選択は、そこに依るのはわからなくもない。
私の通った高校は、制服がなかった。
当時の都立高校は多くが私服だった。
私は制服が苦手。
着るのがというより、同じ格好をした大勢の人が集まっている絵柄が苦手。
得体のしれない恐怖感があり、そういうグループが向こうから歩いてくると逃げたくなる。
軍隊を連想させるからかもしれない。
あと、北の独裁国。
でも制服がないからではなく、ひたすら公立校は学費が安いから選んだに過ぎない。
制服代の負担を家にかけないで済むことも、もちろん歓迎だけれども。
学校が決めて強制的に買わせる諸々は、業者との癒着とぼったくりだと思っている。
校訓だったのか定かでないが、校風は「自主自律」。
生徒会とは呼ばずに自治会と呼び、意味不明の校則を廃止するなど上からの押し付けに抵抗する世代だった。
世が大学紛争に揺れたのは、それより前の世代だが、その名残りのようなものが高校に降りてきていたのかもしれない。
でも、派手なメイクや髪色や突飛な格好で登校する生徒はほとんどいなかった。
「満員電車で通学の際に危険だから」という理由で、緩く禁じられていたサンダル履きで来る子はたまにいたけれど、世間の不良のようなイメージからは遠かった。
男女ともにジーンズが多かった。
私はたまにプリーツスカートにブレザー姿で通学したけれど、そういうときに限って痴漢に遭い、お気に入りのタータンチェックをカッターで切られたり、生臭い白いシミをつけられたりした。
いま考えても、人生で最悪に混雑した電車に乗っていたと思う。
駅員さんにお尻を押してもらわないとドアが閉まらないし、閉まったドアの外に上着の裾や、バッグの本体だけが出ている状態でも発車した。
お弁当を入れたランチボックスと、ブックバンドでくくった教科書をかかえるのが流行って、私も真似をして恰好をつけていたら満員電車の中で、ペンシルケースだけがするりと抜け落ちた。
しかし、もう降りる駅だったのであきらめて学校に行ったことがある。
これに懲りて、以降は、トートバッグひとつに何でも詰めて行くようにした。
バックパックも試したが、これを母は「ナップザック」と呼び、近所のおばさんからは「ハイキングに行くの?(学校はどうしたの?)」みたいに不審を抱かれた。
実際、学校をサボって一人旅に出かけることは、ままあったのだが。
しかし、出席にも緩かった。
文化祭は、実行委員を命じられた1年のときだけ熱心に取り組み、あとは休んで旅に出た。
体育祭に至っては、1度も出席しなかった。
翌日の振り替え休日と合わせて連休になるので、旅に出ない手はない。
修学旅行が嫌で、担任に「参加しないのでこれまで積み立てた費用を返してください」とお願いに行った。
返してもらって一人旅の費用に充てようと目論んでいたのだが、認められなかった。
どうやら、行かなくても費用は返してもらえないらしい。
授業を休んでも授業料を返してくれないのと同じ。
それで、やむなく参加を決め、一転して実行委員になって「できる限りの小グループ行動と自由時間の確保」を交渉した。
貸し切りの新幹線車両とバスの車内は、私にとって最悪の環境だったが、訪問地に関しては、次に個人で行くときの下見と思って自分を納得させた。
家が自営だったし、子供のころから内職パートとして働きつつ、業者さんや他の下請けさんの支払い処理もしていたので、なんでもかんでも原価計算をしてしまう癖がある。
そこから考えて、修学旅行の積み立ては、ぼったくりだと感じた。
でも、どこが中抜きしているのか定かでないので、言わなかった。
校内では、一時的になぜか「白衣」が流行った。
化学の実験用の白衣で、これは業者との癒着があるのか、科学で「化学」を選択しない生徒も強制的に買わされた。
私は「物理」と「地学」を選択。
物理は公式が覚えられないので成績は惨憺たるありさまだったが、地学は旅と直結するせいか大いに楽しんだ。
この白衣を、美術部を真似て色とりどりの絵の具で汚す。
きれいにデザインされたり、きちんと塗ったのではダメで、気をつけていたのに制作に夢中になるあまりうっかり付いてしまったというていを装う。
その姿で電車登校する兵もいた。
私も、学校の近くの商店街まではその格好で出歩いたことがある。
あのときは、あれが恥ずかしいとはまったく感じなかった。
己が姿を思い出すと、滑稽である。
私の苦手なギャルのあれこれも、似たようなものかなと思う。
気づかないだけで、友人数名と汚れた白衣姿で歩く私に、すれ違う人は不審や嫌悪を感じたのかもしれない。
3年になると、この白衣熱は、憑き物が落ちたように冷めた。
かといって、熱心に受験勉強をするわけでもなく、私は相変わらず旅の日々を重ねた。
あの頃、可愛い制服姿より、汚れた白衣姿やくたびれたジーンズをカッコいいと思ったのはなんだったんだろう?
旅以外で高校時代への懐かしさはあまりないが、可愛い制服姿の女子を見ると、自分にはなかった経験と感覚を思い出す。
いまは、その母校にも制服が復活している。
人はもしかしたら、何のくくりもないとかえって自由を謳歌できないのかもしれない。
自分で律することが不得手な人が増えた気がするのは残念なこと。
きっともうマナーよりルールの時代になったのだろう。