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穀雨

昔、住んでいた町を歩いた。
小学校4年生から大学1年まで暮らした町だ。

15年くらい前にも1度訪れて、当時書いていたブログに載せたことがある。
変わったものと変わらないもののそれぞれにそれぞれの思い。
曖昧な記憶に蓋をするように、黄砂が空を覆う。


昔は「純喫茶」だったが、いまは「純」が取れていた。
あの「純」に、逆に妖しさを感じたのは私だけなのだろうか。


煙突のある風景に安堵する。
家族で暮らしたアパートにはお風呂がなかったので、上京した5歳以降の私は「銭湯育ち」。
夏は毎日、冬は1日おきにこの銭湯に通った。
温泉の大浴場で、マナーを知らない人を見ると「チッ!」と思う。
シャワーの湯は体に垂直に当てるのではなく平行に流すものなのよ。

何日も帰ってこない父を探して、このアーケードの飲み屋も訪ねた記憶がある。
この町の飲み屋とパチンコ屋と麻雀屋の多くを、母とまたは兄と回った。
ただ、もうとうに店の名は変わっている。

私は何を懐かしんでいるのか。
町なのか、父なのか、時代なのか。
それとも。
あの頃の自分なのか。
奇跡のような一発逆転があるかもしれないと信じられるほどには、人生の残り時間があった頃の。


50年来の親友と会うために、2時間かけてここまできた。
お店でランチをとったあと、彼女のお宅を訪ねる予定になっていた。
昔よく遊びに行った家のリフォームが済んできれいになったのを見たかったし、仏壇に手を合わせたかった。

友達のほとんどは貧乏人。
だが彼女は、私の友人の中で突出したお金持ち。
しかし彼女と、いま遺影となっているご家族は、真逆の環境の私を差別しなかった最初の人たちだ。
そして、手術のとき、ほぼ天涯孤独となった私の死後の始末を頼んだ相手でもある。
どこかの記事で「そんな不吉なこと言わないで」と言わないところが気に入っていると書いた記憶がある。

1か月1万円生活のときも、事故やコロナで失職したときも、彼女が食料を送ってくれた。
私の誕生日には豪華なディナー。

お返しというには遠く及ばないが、私自身の心のバランスのために、事故とコロナが一段落したら何かしたいと思っていた。
「生きているうちに」と書くと年寄り臭いし大げさに聞こえるけれど、事故で九死に一生を得た私は、明日死んでも不思議ではないという思いがある。

待ち合わせしたのは、中学生のとき日暮れまで立ち話をしていた場所。
ランドマークでもない、モニュメントもない、道の途中だ。
あの頃、何を毎日そんなに話すことがあったのかと不思議に思うけれど、話し出したらいまも止まらない。

商店街の店よりも、住宅街にある店が好き。
思い切りわかりにくいところにある、知っている人しか行けないような店。
そして、ママ友会をやるほどのスペースはない店。
そんな店を探してくれた。

お店がおススメの特製クリームコロッケのセット。
こんなにちゃんとしたお昼を食べたのは久しぶりだ。
このあと珈琲も飲んで、彼女のお宅に移動し、さらに3時間ほどしゃべり倒した。

今月は彼女の誕生月。
年を取ると誕生日など嬉しくないという意見もあるが、誕生日は再会の絶好の口実になる。
嬉しいのは、プレゼントをもらったあなたではなく、渡せた私のほうなのよ。

気象予報士のアドバイスを無視して、傘を持って行かなかった。
自宅の最寄駅に着くと本降りの雨だったが、不思議と持ってくれば良かったという後悔はない。
何か清々しい思いで、しっかり濡れて帰った。
町を覆っていた黄砂が洗い流されたからかもしれない。
あるいは。
心残りがひとつ消えたからかもしれない。

でも。
こうしてすこしずつ、私の中で眠っている旅虫を起こして行くのだ。
コロナと事故と緊急連絡に怯えるあまり委縮していたここ数年の私から、本来の旅人の自分を取り戻したい。
そして、日々新しい心残りを積んでいくのだ。

「穀雨」は明日だが、一足早いのも悪くない。
命を閉じるまで、いつだって道の途中。


読んでいただきありがとうございますm(__)m