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哀れな指

見覚えのあるS字カーブを過ぎると、そこにあるはずの病院がなかった。
道なりに進んでいるので、間違えるはずもない。
白昼の街中で、一瞬、狐か狸に化かされたような気になった。

その道を通ったのは、2年ぶりほどになる。
かつて、そこにはこじんまりとした総合病院が建っていた。
お約束のような白い壁で、これまたお約束のごとくところどころが剥げ落ちては、病院の歴史と経営状態を語っていた。

近所の人にはおそろしく評判が悪かった。
どこそこの誰誰さんが、診たて違いされたとか、亡くなってしまったとか、ウソかまことかわからない情報を得意げに話すご近所さんはいまもいる。
しかし、前を通るとき好奇心でチラ見する限りでは、結構な数の患者さんが利用しているようだった。
高齢のかたが多かったように思う。

その病院が、いつ消えたのかわからない。
つぶれてしまったのか、移転したのか。

いまその跡地には、同じような造りの小ぶりの建売住宅が8棟ほど、肩を寄せ合うように、いや満員電車の座席を取り合う客のように詰めて詰めて建ち並んでいた。
その住宅のほとんどのベランダに、洗濯物がはためいていた。

小学生の頃、両親の勤める工場の事務所の2階で暮らしていた。
夜、事務員が退社した事務所で電話が鳴ると、私が出て、工場で残業をしている職員を呼びに行った。

あるとき、残業の職員が機械に腕を挟まれるという事故が起こった。
その人は、指か手かを切断したと思う。
事故のとき、介抱した別の職員の手や衣服にもべったりと血が付いて、駆け込んできた事務所にそのしずくが滴るほどだった。

子供の私には、事務所の板床は殺戮現場のごときイメージで記憶されている。
そのとき私は、普段ならちゃんと電話ができたはずなのに、恐怖のせいか固まってしまって救急車が呼べなかった。
血だらけの床と、知っている人が手の一部を失ったという結果と、自分が電話ひとつできなかった、役に立たなかったという情けなさと悔いが、そのできごとを強く印象付けている。

そのあと、夢を見た。
夢でなく、想像かもしれない。

切断された指が、持ち主を探して深夜の工場を徘徊する光景だ。
小学生の私は、その人を気の毒と思うだけでなく、戻るべき身体を失って廃棄されたであろうその指を哀れだと思ったのだった。

それから40年近く経って、かつて暮らしていたその街を訪ねた。
すでに聞いていた通り、その工場も事務所も跡形もなく消えて、跡地は大規模な高層マンションの建設途中だった。
そのとき私は、突然、小学生だった自分の妄想がリアルな映像で浮かんでくるのを感じた。

あのときの指が、真新しいマンションの何も知らない家族の憩いの場所に潜んでいる・・・。
そうして、自分には得られなかった家族団欒を見ながら、小さく震えている。
怪我をした男性は、父より少し若いくらいだったけど、その後どうしたか知らない。
父より若いとは言っても、長い年月が過ぎたから、すでに人の籍を抜けているかもしれない。
切断された指か腕は、持ち主に会えただろうか。

病院跡に建てられた小奇麗な住宅にはためく洗濯物を見たとき、私の脳裏には、あのときの血の床と、マンションに潜むものの記憶がよみがえった。
そうやって、人は誰かの哀れを知らずに、そのうえにいろいろなものを建てたり、集めたりして生きているのだ。

見知らぬ誰かの歴史のうえに、自分のそれを積んでいく。
哀しみのうえに喜びを。
痛みのうえに幸せを。
自分の幸せとは呼べない思い出の空間も、誰かが笑顔で上書きしたかもしれない。
そうであってくれればいい。

読んでいただきありがとうございますm(__)m