見出し画像

クリーニングの店

ベランダに面したレースのカーテンが揺れている。
朝方、空気の入れ替えをしたあと、窓は閉めたはずなのに。
まだ、風が強い。
等圧線が混んでいて、年輪のように見える。

狭い間隔にたくさんの等圧線があって、人生であれば、さまざまなアクシデントがめまぐるしく起こっているということなのかもしれない。
等圧線が混んでいるところでは、強い風が吹き、激しい雨が打ちつけているのだろう。

結婚してからずっとクリーニング屋さんは、自宅から一番近いところだった。
便利だから、というのがある。
右も左もわからない街に住み始めたとき、先に引越しておられたお隣のかたに、いろいろ伺った。

当時のお隣にはとても元気な小学生の男の子がふたりいて、よくスーパーなどを傍若無人に駆け回っている姿が見られた。

クリーニングならどこがいいですか?
と訊いたとき、その母親である隣人は、別の店を勧めた。
そして、付け加えたのだ。
本当は、あそこが一番近くて便利なんだけど、私、あそこのおばさん、嫌いなのよ。

私は、理由を尋ねた。
取扱が乱暴だとか、品物を失くしてしまうような店なら、私も出さないようにしなければならない。

隣人は言った。
「あの人、お店でちょっとうちの子供たちが騒いだら、自分の子供でもないのに、すごく怒ったのよ。こっちはお客さんなのに、まったく失礼でしょ。」

私は、そのとき、隣人に嫌われているおっかないおばさんの店に、洗濯物を出すことに決めた。

おばさんは、当時50歳くらいに見えた。
確かに、あまり愛想の良くない感じだったけど、それはたぶんおべんちゃらとかがヘタクソな性格だったからだと思われる。
彼女は、一度で客の私の顔と名を覚えた。

おばさんの店は、取次店。
急ぎで出したときは、届いたことを電話で知らせてくれる。
うっかりハンカチをポケットに入れっぱなしにしてしまったときは、おばさんが見つけて、クリーニング工場には出さずにそれだけ自分で洗っては、アイロンをかけたものを返してくれた。
私にとっては、なかなか便利な店になった。

気づいたのは、いつ頃だったろうか。
古いクリーニング店の店内に一歩入ると、臭う。
そのせいかどうか、取次ぎの品物は、突然ガクンと減ったような気がした。
埋まっていた棚やスーツがかけられていたハンガーの棒に、ずいぶんと隙間が目立つようになった。

奥の部屋から、言葉にならない息遣いを感じることもあった。
来客を知らせるセンサーが鳴っても、おばさんは奥から返事だけをして、なかなか出て来られないことも、臭いの強さに比例するように多くなった。

その臭いが、寝たきりの病人の排泄物の臭いだと、私にはすぐにわかった。あまり身体を動かすことのできない病人や高齢者のそれは、健康な人のそれとはまた違った臭いだ。
実家も同じ臭いがした。

客にとっては、愉快ではないだろう。
せっかくきれいにするために出した洗濯物、大切なよそ行きの服に、その臭いが付くような不安に駆られる。

臭いの主は、おばさんの夫なのか、あるいは親なのか。
でも、私には、どなたかご病気ですか?とは訊けないし、尋ねるつもりもない。

おそらくは、黙って店を替えた客が多いのだろう。
そうなってから、数年が過ぎた。

私は、一段とガラガラになった棚を見ながら、相変わらずおばさんの店によそ行きの服を持っていった。
店内の臭いはさらに増して、人のものというより、建物自体に染み付いてしまったような気がする。

そして。
おばさんも老けた。
昔のおばあさんみたいに背中と腰が曲がっている。
それを私は、きっと自分より大きな身体の人を動かす作業を強いられているせいだと勝手に推測した。

かつて染めていた髪は、白髪のままパサパサで、ブラシも入れていないようにも見えた。
客商売には、およそ不向き。

そして、おばさんはだんだんと、私の名を思い出すのに時間がかかるようになった。

カウンターの隅に、裏白のチラシを切った名刺大の紙が何枚も置かれ、そこには一枚一枚手書きで、こう書かれている。
「不備があれば遠慮なく申し出てください。」
そして、住所と電話番号と名前。

おばさんは、確実に老いている。
そしてきっとうんと疲れている。
もしかしたら、軽い認知症が始まっているかもしれない。
そのことを、おばさんはたぶん、自分で気づいている。

でも、私は、どうしても、おばさんの店をやめることができないでいた。
わずかになった客を相手にして得られるお金と、そして何らかの刺激を、おばさんの暮らしから失くしたくない。
他の人がみんなその臭いに眉をしかめてやめていっても、おばさんが店を閉めない限り、私だけは、変わらずに通いたい。

カウンターに置かれた紙をそっと一枚もらった。

そして、その余白に、親会社のクリーニングチェーンと、実際にクリーニングをやっている工場の電話番号をこっそりと書き加えた。

そしてやがて、その店の引き戸に、一枚の貼り紙を見つける。
印刷ではなく、ただの白い紙に、マジックで手書きされていた。

「長いあいだ、ありがとうございました。
当店は、本年をもって閉店いたします。」

昔から知っている役者や歌い手が亡くなると、ひとつの時代が終わったような感慨にとらわれることがある。

市井の小さなクリーニング店の女主人は、知名度のある名優に及ぶべくもない。
でも、それは私にとって、確かにひとつの時代の終わりに違いなかった。

晴れと雨、時化と凪をくりかえしながらここまできた。
「明日は何が起こるかわからない」というのは、私の口癖で、実感で、絶望で、希望でもある。

明日は洗濯をしよう。
下ろしてあった物干し竿を元に戻して、私も日を浴びよう。
そんなことを目当てにして、生きていたっていい。

読んでいただきありがとうございますm(__)m