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隣人の犬は「可哀想」なのか、それとも

よくあるご近所トラブル、騒音問題。私が住む賃貸の部屋で体験している騒音は、ちょっと不憫に思えてしまう、隣人の飼い犬に起因している。

上の階にすむ家族が飼っている小さな白い犬は、体に比例せず、元気な声でよく吠える。郵便屋さんにも他の犬にも、すぐ吠える。それは特に気にならないのだが、私の神経に触れるのは「家族の誰かが構ってくれていないと、玄関に向かって必死に鳴き続ける悪習」だ。コロナ禍で家に誰かがいつもいる環境に甘やかされたらしく、誰か構ってくれる家族のメンバーが帰ってくるまで、永遠に叫び続ける。

私のワンルームの部屋は、悲しいことに、上の階の家族が住む玄関の真横にある。犬が自らを憐れみ、大袈裟に絶望して出す甲高い鳴き声は、わたしの部屋にかなりの音量で毎度響き渡るのである。


週に何度か、犬を2時間ほど家に置いて買い物に行くのはまあ仕方ないかと思えていた。多分車の中に犬を置いて行っても同じように泣き叫ぶから連れて行けないのだろう。が、問題はそこではなく、こんな不安症の犬をそれでも家に置いて外出してしまう家族であろう。自分達が家にいなければ、犬が鳴こうが喚こうが、騒音問題は自分達には関係ないといったところだろうか。

大家さんの話では、家族の中の誰か一人はいつも家にいて、犬の面倒を見ることになっているようだ。が、実際はそれぞれがいろんな理由で夜遅くまで出掛けていたりする。例え誰かが家にいて留守番をしていたとしても、ティーンの娘が自室にこもって犬を部屋の外に放っておくと、犬は玄関に立ち尽くし誰かを必死に呼び続ける。何時間も、何時間も、誰かが帰ってきて、優しい声をかけてくれるまで。


犬をドッグデイケアに預けるでもないし、特に適切な訓練を受けさせている様子もない。鳴くならケージに入れるなり私の部屋から遠いところに隔離してくれないものかと思うが、大家さんを通してそこまで要求するのは実はこちらにもリスクがある。(面倒くさいテナントだと思われると、次に引っ越し先を探す際に、大家さんからいい紹介文を書いてもらえない恐れがあるのだ。)

私にできるのは、犬が日中、私が仕事している時に鳴き出したら、近くのカフェやオフィスに移動して作業を続けること。夜であれば、犬が放置されて鳴き続けた日付と時間を携帯にメモしておき、自分の部屋から聞こえているものを録音しておくこと。流石に夜11時近くまで泣き続けていたら、録音した音源をつけて、大家さんに犬の様子を見てもらうよう、上の家族と連絡をとってもらうことくらいだ。

上の家族は大家さんを介して一応謝ってはくれるが、毎回上手い言い訳が返ってくるので、その頭の回転の良さに感嘆している自分がいる。大家さんにたまに問い合わせるようになってからは、犬の騒音の頻度は若干減ってきているのも事実だ。


この犬が教えてくれたことが、実はいくつかある。


一つは「自分が精神的に一杯一杯だと、この鳴き声を耳に入れ続けることに耐えられない」ということ。自分自身のコンディションが良ければ、そこまで大きなダメージを喰らわないのだが、自分にも余裕がなかったり生理前のタイミングだったりすると、理性や言葉の通じない、無力な壁の向こうのこの生き物に、そしてこの状況を引き起こしている無責任な人間たちに対して、大変腹が立つ。そしてこの騒音に集中してしまうと、視野が狭まって怒りが溜まるだけで、さっと回避する方法が思い付かなくなってしまうのである。

昨年末、偶然仕事が少ない週があった。その時に、キッチンの換気扇をつけて「ホワイトノイズ」を流しつつ、ノイズキャンセリング付きのイヤフォンをつけて音楽を聴けば、この騒音をかなり軽減させられるという発見をしたのだ。このエウレカは、自分の心と時間に余裕があったタイミングだったからこそ、ふと思いついたのである。やってみたらかなり有効だった。この方法を思いつけたおかげで「寝る前や朝など、睡眠に影響の出る時だけ大家さんに苦情を入れたらいい、その時以外は記録だけしておいて、この方法で音を軽減すればいい」というラインを自分で引くことができるようになった。

二つめは、音で自分のテリトリーを表現することができること。今住む家は音がかなり響く家で、隣人たちの話し声もよく聞こえてくる。私は一人暮らしでパーティーもしないし、普段から静かな方だとは思う。が、もし不快な音が聞こえてきたら、上記のように「自分の部屋でも音を出したらいい」と気づいた。いつも周りに気を遣ってイヤフォンをするのではなく、自分の好きな音楽ーーと言っても、騒がしすぎるものではなく、ピアノ音楽や、カフェで流れるようなジャズだがーーを音量を大きめにして流す昼間のひと時があってもいいのか、と思うようになった。BGMで自分がリラックスする空間を作ると言うのは、自分を守ることにもなるのだな、と気づけた。隣人たちとは、迷惑をかけつかけられつつ、でも嫌われると面倒なことになる。便宜上の礼儀正しいコミュニケーションを取りつつ、政治的に上手に振る舞っていたら、別にいつも物分かりの良い子でいすぎなくてもいい。

三つ目は、自分がなぜ犬の鳴き声にここまでネガティブな反応するのか。この犬を「可哀想」と思っているのは、隣人たちの中ではどうやら私だけのようなのだ。犬が鳴き続けるのは、時間の概念がわからないから。そして、人間の言葉も都合も理解していないから。そして何より「飼い主の力がないと自分の不幸を解決できない、無力なペット」であるから。

どうして自分がこんなに理性の通じない存在に苛立つのか、長いこと考えていた。それはもしかしたら「無力で囚われた、自由のない存在」を「かわいそう」と私が思うから。そして、そんなかわいそうな状態に、絶対に自分を置きたくない、と願っているからなのかもしれない。犬と人間である自分を比較するのも変に思われるかもしれないが、私は自分が不快に思うことがあれば、家から出るという選択を自分で取ることができるし、大家さんに文句を言う選択肢もあるし、さまざまな「自分を少しでもマシな状況」に移すための選択を、自分で取ることができる。犬がうるさいなら、夜10時でも小さな反抗として掃除機をかけて掃除をしてもいい。それも、特定の不快な音から、自分の気を逸らせるための選択である。

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